名著の残念訳(1)

名著の残念訳(1)

「ボビー・フィッシャー 魂の60局」

棋譜法 Ⅸページ
『?! : 疑わしい手
? : 疑問手
?? : 悪手』

「疑問手」とは「疑わしい手」のことをいう。だから正しくは「?! : 疑問手、? : 悪手、?? : 大悪手、ポカ」

01 フィッシャー対シャーウィン 001ページ

『シャーウィンは、序盤で重大なミスは犯さなかったが、幾度かの互角にする機会を逃した。フィッシャーは、彼ならではの妙技を驚くべき成熟さで披露しながら、わずかな優位-良好な中央と双ビショップ-を積み重ねて徐々に局面を制圧していく。一方、シャーウィンは自陣をば盤石にしようと試みるも、14歳の対戦相手の一撃(18.Nxh7)による粉砕を目の当たりにするばかり。それは、どこから生じたかも自明ではないアリョーヒンのコンビネーションを思い出させる。シャーウィンは敗北を拒否して反撃する。しかし、彼の防御はよろめくキングへの鋭い連続攻撃を受け、ついには崩壊する。』

英語の原文は全部現在形で書かれてある。それなのに日本語訳では最初の文だけが「逃した」というように過去形になっていて統一がとれていない。原文が現在形なのは臨場感を出すためのよくある手法である。しかし日本語訳の方でそれをまねして同じ効果が得られるかはまた別の話であろう。英語と日本語は大きく異なる言語なので別個に考えた方がよい。異なる例の典型的な例には学校英語の文法で習った「時制の一致」がある。他にも辞書から例をとると「Stop talking when the bell rings.(ベルが鳴ったらすぐおしゃべりをやめなさい)」がある。英語の現在形(rings)に対し日本語では「鳴ったら」と言うが、別に過去のことを言っているわけではない。ここでの文章の場合も日本語としては全部過去形に統一した方が臨場感が出ると思われる。なお、「Too little, too late」が「少しだけ、遅すぎた」という訳になっているが、大修館書店の「ジーニアス英和大辞典」には「効果的にはほど遠い」という訳語が出ていた。

04 ピルニーク対フィッシャー 015ページ
『双方とも活気のない序盤の後、中盤戦では 26…bxa3 を型通りに説明できないことを除けば、フィッシャーは終盤戦まで誘導する。』

「・・・を除けば」どうだというのだろう。次の「フィッシャーは終盤戦まで誘導する」とかみ合わない。英語の原文はどうなっているのだろうか。

英文『After a lackluster opening by both sides, and a middle game that, with the exception of 26…bxa3, can scarcely be described as more than routine, Fischer pilots the game into an even ending.』

原文と比較すると訳文の誤りが見えてくる。訳文では「26…bxa3 can scarcely be described as more than routine」と考えているが、これは誤りである。まず After のあとに続くのは a lackluster opening by both sides と a middle game … routine である。そして a middle game を修飾しているのが that … routine である。with the exception of 26…bxa3 を取り除いて(前後にコンマがあるのでここは挿入句である)考えれば [After] a middle game that can scarcely be described as more than routine という骨格がはっきり見えてくる(that は主格の関係代名詞)。26…bxa3 が exception なのは本文中で 26…bxa3! というように好手の印の ! が付いていて、そのあたりの中盤戦の他の手は全部ありきたり(can scarcely be described as more than routine)なので ! が付けられていないことからつじつまがあう。
試訳『両者の面白みのない序盤と、26…bxa3 を除けばありきたりの中盤のあとで・・・』

27 レシェフスキー対フィッシャー 119ページ
『進路をはずした花火ショー』

「花火ショー」が「進路をはず」すとはどういうことだろうか。「花火ショー」が何か意志のようなものを持っているのであろうか。

英文『Sheer pyrotechnics』
Sheer には確かに「針路からそれること(名詞)」という意味があるが(ただし「進」でなく「針」)、普通は「全くの(形容詞)」という意味で使われる(sheer idiocy 全くの白痴)。pyrotechnics の方にも「才気煥発」という意味がある。

40 フィッシャー対ナイドルフ 186ページ
『ザ・ナイドルフ変化』
英文『The Najdorf Variation』
56 フィッシャー対グリゴリッチ 253ページ
『フィッシャー変化』
英文『The Fischer continuation』

一方は The をザと訳し、他方は無視したのはなぜだろうか。

47 フィッシャー対ビスガイヤー 214ページ
『ビスガイヤーは、フィッシャーに対してまずまずの局面に持ち込み続けてきたグランドマスターの一人だったが』

「グランドマスターの一人だったが」というところからすると「まずまずの局面に持ち込み続けてきた」グランドマスターが複数(数人?)いることになる。そんなばかなことがあるのだろうか(当時フィッシャーを除いて米国のチェスのトップのレベルは低かった)。

英文『Bisguier is the one Grandmaster who consistently obtains decent positions against Fischer』

the one Grandmaster を「グランドマスターの一人」と誤訳している。「グランドマスターの一人」なら one of Grandmasters でなければならない。of の次には名詞の複数形がくる。さらには one の前に the がある。辞書には the one について次のような意味が載っている。

6 ((the one)) 唯一の(強勢を置いて発音する): the one way to succeed 成功する唯一の方法

だから上記の英文は「ビスガイヤーは、フィッシャーに対してまずまずの局面に持ち込み続けてきた唯一のグランドマスターだったが」となる。

47 フィッシャー対ビスガイヤー 214ページ
『結局、フィッシャーとの数十局の対戦で、ビスガイヤーはたった1回のドローでしかポイントを上げられなかった。』

一流でもないビスガイヤーが数十局もフィッシャーと対戦するものだろうか。ちなみにフィッシャーの全局集に載っている棋譜は確か650局くらいでなかったろうか(とすると約1割がビスガイヤー戦?)。

英文『Out of something like a dozen encounters, he has squeezed but a single draw.』

dozen が数十の意味になるのは複数形で dozens of という形で使われるときである。その点からも上記翻訳は間違いである。インターネットの http://www.chessgames.com で二人の対戦を検索することができる。それによると15局で(若干の漏れがあることもある)ビスガイヤーが1ドローの他に1局勝っている。だから英文も少し間違っている(昔は棋譜データベースがなかったから仕方がない)。そして something like は成句で「およそ」という意味がある。

試訳「結局、フィッシャーとの十数局ほどの対戦で、ビスガイヤーはたった1回のドローでしかポイントを上げられなかった。」

55 フィッシャー対べドナルスキー 249ページ
『うっかり王子』

王子とは誰のことだろう。フィッシャーがそう呼ばれていたことはないからべドナルスキーのことだろうか。本文にはそれらしい言及が何もない。有名な話ならわざわざ書く必要もないだろうがそうとは思われない。こんな一流でない選手が自国でそのように呼ばれ期待されていたとも思われない。

英文『The price of incaution』

price を prince と見誤ったようである。それにしても常識的におかしいなと思いそうなものである。

01 フィッシャー対シャーウィン 001ページ
『4.g3 Nf6
 フィッシャー対イフコフ、サンタモニカ 1966 では』

日本語では 1966年 というように「年」をつけるものである。逆に英語では in year 1966 というように year をつけることはない。

フィッシャーは天国でこんな訳本がでたことをどう思っているだろうか。

2011年07月03日 コメント(2)

カテゴリ: 名著の残念訳

コメント


コメント

  1. Kitano より:

    30年ほど前、日本の翻訳には誤訳が多く、それを指摘する書籍が出版されるのが流行っていました。当時は英語があまりできない人が翻訳していたのですから仕方がなかったことですが、現在でもそういうことがあるのですね。どうせ誤訳するのなら、思い切って意訳してチェスの理解に役立つ書籍にして欲しいものです。

  2. Yamagishi より:

    そう、あの頃確か「翻訳の世界」とかいう雑誌があって、別宮貞徳(べっく・さだのり)氏(当時上智大学教授)が「欠陥翻訳時評」とかいう連載を書いていて、毎回本屋で立ち読みしていました。ある程度まとまると単行本になって出版されたので3冊ほど買いました。それから新書版での翻訳のこつや誤訳に関する本はよく買って読んでいます。次のような言葉がいつも思い起こされます。
    「翻訳を読んで分からないのはあなたの頭が悪いからではない。訳が悪いからだ(誤訳)!」



»
«