チェス世界選手権争奪史(222)

チェス世界選手権争奪史(222)

第9章 スパスキーと奇才フィッシャー(続き)

 一部は米国からの長距離電話により、また一部はチュニスの米国大使館の介入でさらに交渉が行なわれた後でフィッシャーは嵐のような反感の喧伝(けんでん)のなか米国に帰国した(「チェス界はチェスの神童が怪物少年の世界チャンピオンに成長するのをなんとしても見たくないのだ」というのは新聞がフィッシャーについて描写していたことの一つの見本である)。それでも責任の全部ではないにしてもほとんどがチュニジアの大会役員にあるという米国チェス連盟の報告は説得力のある文章になっている。大会役員たちが事の収拾のためにもっともっと精力的に努力することができたはずなのは確かだった。彼らは実のところそのためにはほとんど何もせず、真意は何であれ難題を悪化させるために多くのことをした。またしてもフィッシャーの世界選手権の追求は激しい妨害で阻まれた。

 競技会自体はフィッシャー事件で味噌をつけられたがベント・ラルセンが15½-5½という成績で優勝した。ゲレル、グリゴリッチそれにコルチノイが14-7で同点2位で、ポルティッシュが13½-7½で単独5位だった。レオニド・シュテインはまたしても最後の進出権をかけて決定戦を戦うことになった。今度の相手はホルトとレシェフスキーで皆13-8の成績だった。決定戦は一ヵ月後にロサンゼルスで行なわれレシェフスキーが最後の席を射止めた。

 挑戦者決定番勝負の準々決勝の組み合わせはスパスキー(もちろんシードで)対ゲレル、タリ(同様に前回の挑戦者決定競技会での2位の結果によるシードで)対グリゴリッチ、コルチノイ対レシェフスキー、それにラルセン対ポルティッシュとなった。

(この章続く)

2010年05月24日 コメントは受け付けていません。

カテゴリ: チェス世界選手権争奪史

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