2010年04月の記事一覧

「ヒカルのチェス」(165)

「British Chess Magazine」2010年1月号(2/3)

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ロンドン・チェスクラシック(続き)

第1回戦(12月8日)

 世界の二大超大国の代表によるもう一局はヒカル・ナカムラ対ニー・フワ戦だった。ナカムラはビショップとポーンの代わりにルークを取って勝ちそうに見えたがニー・フワは手段を尽くして引き分けに持ち込んだ。

第2回戦(12月9日)

 マイケル・アダムズ対ヒカル・ナカムラ戦はフランス防御タラシュ戦法だった。この戦法は斜めにポーン同士ががっちりとかみ合い、この英国人選手が得意なゆっくりした駒捌きができる。ヒカルは20手目までに完全に守勢に立たされた。しかし彼の陣形はかなりしっかりしたままでマイケルは最終的に1ポーン得のルーク+ポーン収局に単純化した。しかし彼のキングは具合の悪い位置にいて勝ちきることができなかった。

ビルバオ3-1-0方式
 この得点方式(勝ちが3点で引き分けが1点)はサッカーの世界ではよく知られている。しかしチェスの世界ではバスク地方の市で開催された「グランドスラム」大会で用いられたことにちなんで「ビルバオ方式」として時たま知られている。
 これが用いられていなければ最終得点はカールセン5/7、クラムニク4½、ハウエルとアダムズ4、ナカムラ3、マクシェーン、ニー・フワ、ショートが2½だった。これらの数字と表の数字を比較すると一番得したのはルーク・マクシェーンだったことが分かる。二つの3得点で彼は同点最下位から5位に上がった。

第3回戦(12月10日)

 ナカムラ対ショート戦はニムゾインディアン防御の少し風変わりな戦法で始まった。黒は手順のほとんどを「超現代派」の原則にのっとって指した。即ち白に中原の占拠を許しそれを遠くから標的にした。最後には明らかに互角のルーク+ポーンの収局になり審判が引き分けを認めた。

第4回戦(12月12日)

 第4回戦は12月11日の休息日の翌日だった。この時点での成績はカールセン7点(全勝なら9点)、クラムニク6点、ハウエル、アダムズ、ナカムラ、マクシェーン3点、ニー・フワ、ショート2点だった。第4回戦は全局が引き分けで終わり順位は変わらなかった。

 今度もまた多くの注目がマグヌス・カールセンの試合に集まった。彼はヒカル・ナカムラのe6のポーンを孤立させることに成功したが、自分の陣形が見かけほど良くないことが分かり、あまつさえ1ポーンを見捨てなければならなくなった。試合はクイーン収局になりカールセンはチェックの千日手でけりをつけた。両選手は労苦の報酬を受けた。この回の名局賞の1千ユーロを等分した。

第4回戦
□マグヌス・カールセン
■ヒカル・ナカムラ
スラブ防御 [D17]

1.d4 d5 2.c4 c6 3.Nf3 Nf6 4.Nc3 dxc4 5.a4

 非常に高度なレベルのチェスにおいては黒はポーン得を保持しようなどと望まない。しかし白は 5.a4 で用心しておかなければならない。さもないと黒は保持しようとしてくるかもしれない。

5…Bf5 6.Nh4

 白はこのビショップに …h7-h6(…Bf5-h7 と引ける)でb1-h7の斜筋に居続ける余裕を与えたくなかった。そこですぐさま追い払った。

6…Bc8

 ヒカルがマグヌスをまねている?読者はカールセンがクラムニク戦で二つのビショップを当初の位置に引いたのをまだ覚えているだろう。しかし上の疑問の答えはたぶん「ノー」である。この局面では当たり前の退却である。白がナイトを盤端に置くのに1手使ったので黒はビショップをc8に戻してもかまわないと判断した。機会があればナイトをh4から追い払った後でビショップをどこかもっと役に立つ地点に移動させることができる。

7.e3 e5

8.Bxc4

 8.dxe5 は次のように悪い結果になる。8…Qxd1+ 9.Nxd1(9…Kxd1 は 9…Ng4 10.Ke1 Nxe5 で黒が本当にポーン得になってしまう)9…Bb4+ 10.Bd2 Bxd2+ 11.Kxd2 Ne4+

これで黒はこのあと …Be6 と指して少し優勢になれる。

8…exd4 9.exd4 Be7 10.O-O O-O 11.Re1 Nd5 12.Nf3 Be6!?

 これはまったく普通の展開の手に見える。しかしなけなしのドル(またはノルウェーのクローネ)をはたいて賭けてもよいが、若い両選手は白の次の手の後の変化に脳漿をしぼったことだろう。

13.Qb3

 白はb7のポーン取りを狙っているだけでなくa2-g8の斜筋に沿って圧力を強めている。

13…Na6

 黒はこう指すより他にほとんど選択肢がない。13…b6 には 14.a5! が強手である。黒が例えば次のように軽率に指し続ければ 14…b5? 15.Bxd5 Bxd5? 16.Nxd5 で、e7のビショップが取られるのでクイーンでd5の駒を取り返すことができない。

14.Bd2

 b7のポーンにはしばしば毒が含まれているのでほとんどの熟練の選手は 14.Qxb7 と飛びつく前に真剣に考えるだろう。しかし一流の診断専門医のフリッツ博士はこのbポーンを食べても最悪の場合でも軽い消化不良で最良の場合は高い栄養になるとさえ考えているようである。14…Nab4 クイーンの後ろでドアがばたんと閉まるのを聞くのは全然気分がよくない。しかしさらに読んでみると 15.Bxd5 cxd5 16.Bg5!? で白のクイーンは全然危険でない。黒は双ビショップがポーン損のある程度の代償になるかもしれない。私の想像ではカールセンは布局からもっと具体的なものが欲しくてこの手順を拒絶した。

14…Nab4

 1999年4国(イギリス、ウェールズ、スコットランド、アイルランド)チェスリーグでのアーケル対ゴーマリー戦は 14…Nac7 15.a5 Rb8 で合意の引き分けになった。しかしソフィア規則は本局での「早い幕引き」を禁じている。

15.Ne4 Bf5 16.Ne5 a5 17.Nc5!?

 17.Rac1 の方がもっと堅実な手だろうが本譜の手は非常に意欲的で白の優勢な局面になっていたかもしれない。

17…Bxc5

 17…Bc8 と元の位置へまた戻るのは全然問題外というわけでもないだろうが、白は 18.Re2 で圧力を強めてくるだろう。また 17…Nc2 は非常に難解になるが 18.Nxb7 Qc7(もう少し良い手があるかもしれない)19.Bxa5! Rxa5 20.Nxa5 Nxe1 21.Naxc6

で白の勝勢になる。

18.dxc5 Qc7

19.Bxb4?!

 マグヌスは自分のオンラインブログでここからの一連の小駒交換は結果の局面を楽観的に過大評価していたことによると打ち明けていた。代わりに 19.Bxd5 Nxd5 20.Nc4 なら白がだいぶ優勢だった。

19…Nxb4 20.Qf3 Be6! 21.Bxe6 fxe6 22.Qb3 Qe7

 白は黒にe6の地点に孤立ポーンを作らせた。しかし実際にはそれにつけ込むことができないことが分かってくる。

23.Nf3 Nd5

 d5の頑丈なナイトによって白が自分の方にあると考えていたかもしれない陣形上の優位が帳消しになっているように見える。

24.Rac1 Rf4

 ここはルークにとって非常に良い地点で、…Rb4 を見据えている。

25.Ne5 Raf8 26.Nd3 Rd4 27.Rc4 Rxc4 28.Qxc4 Qf6 29.g3 Rd8 30.Kg2 Qf5 31.Nc1 Rf8

32.Qe2

 ここは白が気をつけなければならない。局後の検討でカールセンはf2の地点を守るためには 32.Re2 の方が良いと考えていたと言った。その時は込み合った控え室の誰もこの考えの大きな欠陥を見抜けなかった。しかし報道関係者が自分のコンピュータに戻って分析エンジンを働かせながらカールセンの示唆した 32.Re2 を見たときコンピュータが 32…Ne3+!!

をさっと指摘するのを見てびっくりした。白の手をみごとに咎めて黒の勝ちになる。33.fxe3 は 33…Qf1# で詰みだし 33.Rxe3 は 33…Qxf2+ でナイトの代わりにルークとポーンを取られる。翌日の試合の後マグヌス・カールセンは自分の見落としについて少し説明を用意して控え室にやって来た。前日の言葉のへまを申しわけなさそうに認め自分の言うことをマグヌス・カールセンだからと言って全面的に信用することのないように警告するユーモアのある話を少しした。

32…Nc7 33.Nd3 Rd8 34.Ne5 Rd5

 黒はしだいに形勢を主客転倒させてここでは白の非常に弱いcポーンに耐え切れないような圧力をかけている。

35.Kg1

 白は腹を決めてcポーンを取らせ駒の動きを良くすることにした。

35…Rxc5 36.Nc4 Qf8 37.Rd1 Rd5 38.Rxd5

38…exd5

 ここでの黒の大きな問題は時間切迫だった。しかしもし 38…cxd5 を見つけていたらいくらか勝つ可能性があったかもしれない。

39.Qe5 dxc4 40.Qxc7 Qb4

 黒が1ポーン得で40手目に達したが白は永久チェックをかけることができる。

41.Qc8+ Kf7 42.Qf5+ Ke7 43.Qe5+

43…Kf7

 43…Kd8 は 44.Qxg7 と取られ白はまったく安全である。

44.Qf5+ Ke7 45.Qe5+ Kf7 1/2 – 1/2

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(この号続く)

2010年04月30日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

カテゴリ: ヒカルのチェス

チェス世界選手権争奪史(198)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 第2回戦でフィッシャーとタリはそれぞれゲレルとケレスに負け2連敗となった。第3回戦でもタリは(前述のようにベンコーに)負けフィッシャーはフィリップに勝った。しかしその試合は前の2敗の試合にもまして若い米国チャンピオンが何もかもうまくいっていないことを示していた。次の局面で[訳注 この試合は第3回戦でなく実際は第17回戦です]

フィッシャーは 28.Qa1 と指し66手で勝った。しかし 28.Qh5 ならすぐにポーン得になっていた(28…Kg8 なら 29.Qxg6! で白の勝ち)。これは通常ならフィッシャーがブリッツ戦でも見とおしているはずである。明らかにインターゾーナルの終了と挑決の開始の間の期間が短くてフィッシャーがストックホルムへの遠征から休養をとる機会がほとんどなかった。

 一方ロシア人4選手-ペトロシアン、ゲレル、ケレスおよびコルチノイ-は着実な歩みで、第5回戦の終了時にはみな3点で同点首位だった。第6回戦でコルチノイとケレスが半点差をつけ第7回戦でコルチノイが7試合中5点をあげ単独首位に立った。第1巡を終わって成績はコルチノイ5点、ペトロシアン、ゲレルおよびケレス4点、ベンコー3½点、フィッシャー3点、フィリップ2½点、そして信じられないことにタリが2点で最下位だった。

(この章続く)

2010年04月30日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

カテゴリ: チェス世界選手権争奪史

JCAの間違い捜し(8)

「第107回チェスネット競技会」

 黒にルークが3個ある。いつのまにポーンがルークに昇格したのだろう。ルークに昇格するよりクイーンに昇格した方が良かったのに。

2010年04月29日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

カテゴリ: 我楽多

チェス世界選手権争奪史(197)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 もっとチェス本来のことで面白かったのはコルチノイとゲレルの派手な戦いだった。

キング翼インディアン防御
白 コルチノイ
黒 ゲレル

1.d4 Nf6 2.c4 g6 3.g3 c6 4.d5 Bg7

5.Bg2 d6 6.Nc3 O-O 7.Nf3 e5 8.O-O cxd5

9.cxd5 Nbd7 10.Nd2 a5 11.Nc4 Nc5 12.Nb5 Ne8

13.f4 Bd7 14.a4 Nxa4 15.Qxa4 Nc7 16.Nxc7 Bxa4

17.Nxa8 b5 18.Ncb6 exf4 19.Rxf4 Re8 20.e3 Re7

21.Ra3 Rc7 22.Nxc7 Qxc7 23.Rc4 bxc4 24.Nxa4 h5

25.Nc3 h4 26.gxh4 Qd8 27.Ra4 Qxh4 28.Bd2 Bh6

29.Ra1 f5 30.Ne2 Qe7 31.Kf2 Qh4+ 32.Kf1 Qxh2

33.Rxa5 Qe5 34.Ra8+ Kf7 35.Ra7+ Ke8 36.Ra8+ Kf7

37.Ra7+ Ke8 38.Ra8+ 引き分け

(この章続く)

2010年04月29日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

カテゴリ: チェス世界選手権争奪史

世界のチェス雑誌から(70)

Olympiad United! Dresden 2008(6/8)

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ヨーロッパのチェス侍(続き)
セルビア人の日本コーチ体験

 三将の上杉晋作(レイティング2222、10戦5点、実効レイティング2342)は創造性あふれるチェスを指した。彼はあらゆる型の局面をよく理解している。第7回戦のアイルランドとの試合では21手目で面白い局面になった。

□ 上杉晋作 (2222)
■ サム・コリンズ (2412)
シチリア防御 [B70]
(解説 ミハイロ・ストヤノビッチ)

1.Nf3 c5 2.g3 Nc6 3.d4 cxd4 4.Nxd4 g6 5.Bg2 Bg7

6.Nb3 Nf6 7.Nc3 d6 8.O-O O-O 9.e4 Bg4 10.f3 Be6

11.f4 b5 12.Nd5 Rc8 13.Kh1 Re8 14.a4 a6 15.axb5 axb5

16.Be3 Nd7 17.c3 b4 18.Ra4 bxc3 19.bxc3 Ncb8 20.c4 Nc5 21.Nxc5 dxc5

 白は陣地が広く展開も優っているがそれをどのように生かしていくのだろうか。

22.f5!

 ここが陣形の急所である。22.e5 も強手だが上杉選手は直接攻撃を好んだ。

22…Bd7 23.Ra7

23…Rf8?!

 f7の地点は守る必要がなかった。もちろん 23…Nc6?? は 24.Rxd7 と取られるので大悪手だが、23…e6! なら 24.fxe6 Bxe6 25.Ne7+ Qxe7 26.Rxe7 Rxe7

となって駒数が少なくなっているので引き分けに終わる可能性が濃厚である。

24.Bf4!

24…Bd4?

 24…Kh8 の方が良かった。

25.f6!

25…exf6

 25…e6 は 26.Ne7+ Kh8 27.Nxc8 で白が勝つ。

26.Bxb8 Kg7 27.Bxc7 Rxc7 28.Rxc7 1-0

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(この本続く)

2010年04月28日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

カテゴリ: 世界のチェス雑誌から

チェス世界選手権争奪史(196)

<b><big>第8章 タリとペトロシアン</big></b>(続き)

 キュラソーはベネズエラからそう遠くないオランダ領アンティル諸島の島である。この島の風景の最も目立つ特色は順不同で三軒の現代米国様式ホテル、ヤギそれにサボテンである。挑戦者決定競技会の会場としては一風変わっているがこの島の行政府が観光業の全面的な振興策の一環として開催費用に2万5千ギルダーを寄付し他の出資者、とりわけ地元の商人と宝くじで残りをまかなった結果だった。開催国が現れなかったインターゾーナルの記憶の生々しいフォルケ・ロガルドはとにかく開催地が見つかって喜んだに違いない。

 競技会はインターゾーナルの二ヵ月後に島の中心地のウィレムスタットで4月から滞りなく始まった。第1回戦は好局と番狂わせがあった。ボビー・フィッシャーはストックホルムで負けなしだっただけでなくその2、3ヶ月前のブレッドでの熾烈な大会でも負けなしでタリに次いで2位だった。これまで40局以上負けたことのなかった彼がパル・ベンコーに負けた。そしてタリはさらに意外なことに旧知のペトロシアンに負けた。1959年の挑戦者決定競技会でおざなりの4引き分けだった相手に早くも負けたのはタリの最悪の大会の始まりを告げるものだった。

 フィッシャー対ベンコー戦は二つの理由で触れておく価値がある。一つ目はベンコーの指した 1.g3 は以降の回戦でタリをも負かした初手でベンコー・システムと呼ばれるようになった。二つ目はその試合の後二人の米国選手は口論になり、その結果大会の残りの期間お互いに口をきかなくなった。米国チェス連盟からフィッシャーとベンコーの助手として派遣されたアーサー・ビズガイアーは微妙な立場に立たされたに違いない。

(この章続く)

2010年04月28日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

カテゴリ: チェス世界選手権争奪史

チェス世界選手権争奪史(195)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 2位につけていたゲレルが第19回戦でポマルに負けた後はフィッシャーが他の選手に2点差をつけた。ストックホルムでソ連勢の団長を務めたアレクサンドル・コトフはその回戦が終わったあと彼とフィッシャーが歩いてホテルまで帰った時ボビーが彼に1952年のストックホルム・インターゾーナルで何点あげたか聞いてきたと明かしている。「私は笑ってしまった」とコトフは続けている。「『君はもう一人ライバルを探しているんだな。私は20試合で16½点をあげたんだ』するとボビーは計算し始めた。『それなら僕は18½点取らなければならない』と彼は言った。『取ってやる』」コトフがフィッシャーについて書いていることは全部額面どおりに受け取ることはできないがこのちょっとした回想談には一つのことを除いておかしなことは何もない。それはフィッシャーが残り試合を全部勝ったとしても18点にしかならないということである。

 ストックホルムでの最終順位はフィッシャーが断トツで、ゲレルとペトロシアンが同点の2-3位で続き、フィリップとコルチノイが4-5位、そしてベンコー、グリゴリッチおよびシュテインが同点で次の競技会への最後の席を争うことになった。ゲレルは非常に攻撃的なチェスを指しフィッシャーを除けば誰よりも多い10試合で勝ち負けたのは2試合だけだった。これに対してペトロシアンは同じ得点をもっと地味にあげた(8試合に勝ち、ボビー以外では唯一の無敗だった)。そして効率よく立ち回ったのはそれもこれも長期の戦いに備えたためのように見えた。

 進出者のうち最大の番狂わせだったのはチェコスロバキアのミロスラフ・フィリップ博士だった。彼は大病のため1958年から1960年の間ほとんどチェスを指していなかった。しかし負かすことの難しい選手との評判を得ていた(ストックホルムでは2敗しかしなかった)。それでも彼が挑戦者決定競技会で活躍するとは誰もあまり考えなかった。

 13½点同士のベンコー、グリゴリッチそしてシュテインはもう数日ストックホルムに留まり順位をつけるため2回戦総当たりの試合を行なった。シュテインは3人のロシア人選手の第1補欠となるために指しているだけだったがベンコーと2試合引き分けグリゴリッチに2試合勝って1位になった。ベンコーはグリゴリッチとの1試合に勝ちもう1試合は引き分けて、キュラソーでの来るべき挑戦者決定競技会の8番目の選手になった。

(この章続く)

2010年04月27日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

カテゴリ: チェス世界選手権争奪史

チェス布局の指し方[9]

第1章 展開と戦術(続き)

1.9 キングの安全

 キングは盤上で最も重要な駒であり、いつも細心の注意を持って扱わなければならない。試合の始まりではキングは自陣の中央に位置していてかなり不安定である。戦いが激しくなり戦術がたけなわになってくればキングを中央に置いておくのは非常に不利である。なぜなら戦闘に巻き込まれかねず悲惨な結果を招くかもしれないからである。

 幸いにもチェスの規則にはキングを中央から遠ざける手段、即ちキャッスリングがある。通常は試合の早い段階でキャッスリングするのが賢明である。キャッスリングは普通は布局戦略の一環として行なわれる。中盤までキャッスリングを持ち越すのはたまにしかないが状況によっては、特にクイーンが交換された場合には、キャッスリングを全然しないことが可能なことがある。そもそもキャッスリングというものはキングを安全な所に置くのが重要な務めである。クイーンが交換されてしまえばキングに対する攻撃の危険性は大きく減少する。だから布局で互角になれば満足の黒は時にはキャッスリングの権利を放棄してもクイーンを交換することがある。次の戦法はその一例である。1.d4 Nf6 2.c4 d6(古インディアン防御)3.Nc3 e5

ここで白は黒からキャッスリングの権利を奪う選択肢がある。4.dxe5 dxe5 5.Qxd8+ Kxd8+
 図15(白番)
 黒はすぐに …c6 と突いてキングの避難所を作る。そうすればキングはc7に安全に落ち着くことができ収局に備えることができる。クイーンの交換によって白の布局の優位は最小限になっていて、注意深く指せば黒は引き分けにできる。

 ほとんどの布局では白も黒もキャッスリングするのが普通である。だから読者はキャッスリングしたキングの陣形に存在するいろいろな種類の弱点を注意深く研究するのがよい。そうすれば自分のキングの陣形にそのような弱点を作ることを避ける方法を学んだり、敵陣のそのような弱点につけ込むいろいろな攻撃の仕方の作戦を検討したりできる。

 キャッスリングしたキングの安全の要はキングを保護するポーンの形である。安全かつ柔軟性のあるポーン構造はh2、g2およびf2のポーンから成る基本的な配置である(白キングがキング翼にキャッスリングしたものとする)。h2のポーンは通常はg1のキングだけでなくf3のナイトによって守られている。もしh2-b8の斜筋に沿ってh2の地点に対する攻撃が強ければ、g3と突いてこの攻撃を鈍らせることができる。もしhポーンがh2でなくh3にあれば敵はそれを目標に …g5-g4 突きによって、またはビショップかナイトをh3で切ってキング翼攻撃を加速させることができる。

 h3、g2およびf2のポーン構造に付きまとう弱点のためにh3突きは軽い気持ちで行なってはならない。h3突きの別の不利益な点はナイトの展開の節でも見られた。このポーン突きは確かに何らかの弱点を作るが必要かつ利益となることもよくある。h3と突くべきか突くべきでないかを判断できるようになるためにはチェスの他の要素の判断と同様に経験によるしかない。

 既にビショップの展開の節でフィアンケットを見てきた。キャッスリングしたキングは普通はフィアンケットビショップの背後でうまく隠されている。キングの周辺に侵入するためには敵は侵入口を見つけなければならない。そのような陣形を攻撃する通常の方法は h4-h5 と突き hxg6 でh列をこじ開けることである。そうなれば以前に述べた捌きでフィアンケットビショップを交換すればh列に沿って詰みを目指す攻撃が可能となってくる。

 ずっと先に進んだgポーンの背後でキャッスリングする(またはキャッスリングしたキングの前のgポーンをずっと突き進めて行く)のは非常に攻撃的な戦術だがはねっ返りもよく起こる。攻撃がうまくいかなければ攻撃側のキングは守りが手薄になり相手の猛烈な反撃にさらされる。

 hポーンやgポーンを突くのはしばしばキャッスリングしたキングを弱めるが、fポーン突きは通常はそれほど危険な被害をもたらさない。このポーン突きはキング翼攻撃の役に立つことがよくあり、e5突きによる中央突破の支援に役立つこともある。fポーン突きによりできる一つの弱点はg1-a7の斜筋である。

(この章終わり)

2010年04月26日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

カテゴリ: チェス布局の指し方

チェス世界選手権争奪史(194)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 インターゾーナルの結果は2語で要約できた。ボビー・フィッシャー。最後の進出者の席をめぐってはいつものどたばたがあってベンコーが決定戦に勝ったがすべての視線は18歳の米国選手に注がれていた。フィッシャーは第5回戦で首位に立ち一度もその座を譲らなかった。最初の2戦は2引き分けとゆっくりした出だしだったがそれから5連勝と快調に飛ばし第7回戦までに首位に立った。第8回戦は抜け番で得点上はほんの少しの間だけウールマンに抜かれたが第11回戦からまた5連勝して首位を奪い返しこんどはそのままだった。第16回戦からはソ連軍団と4連戦で、シュテイン、ペトロシアンそれにゲレルと引き分けコルチノイには次の試合のように勝った。

ルイロペス
白 フィッシャー
黒 コルチノイ

1.e4 e5 2.Nf3 Nc6 3.Bb5 a6 4.Ba4 Nf6 5.O-O Be7 6.Re1 b5 7.Bb3 O-O 8.c3 d6 9.d4

 フィッシャーの兵器庫の中で最強の武器の一つは布局の中の小さな意外性が無限とも思えるほどあることである。コルチノイ戦にもこのほとんど未開拓の戦型を用意していた(1950年ブダペストでのブロンシュテイン対ケレス戦(139)を参照)。

9…Bg4 10.Be3 exd4 11.cxd4 Na5 12.Bc2 Nc4 13.Bc1 c5 14.b3 Na5

 コルチノイはほどなく書いた試合解説で代わりに 14…Nb6 なら完全に互角になるという見解を載せていた。しかしフィッシャーによればその戦型でも白が優勢になる(彼がそれにもまた小さな意外性を用意していたことは疑いない)。いずれにしても以降の世界選手権競技会でこの戦法が2回出現してどちらも黒が 14…Na5 と指した。

15.d5!

 この手は 15.Bb2 Nc6 16.d5(カパブランカ対ボゴリュボフ、1922年)の改良である。その試合では黒のナイトは戦いに復帰していた。以下は 16…Nb4 17.Nbd2 Nxc2 18.Qxc2 Re8 19.Qd3 h6 20.Nf1 Nd7 21.h3

と進み、ここで 21…Bh5 でなく 21…Bxf3 なら黒も十分に戦えた。

15…Nd7 16.Nbd2 Bf6 17.Rb1

17…c4

 コルチノイはこの手を多くの弱点を作り出したので「超楽天主義」と呼んだ(特に白にd4の地点の支配を譲った)。1967年スースでのインターゾーナルで白番のコルチノイがポルティッシュ相手にこの戦法を用いたとき、ポルティッシュはこの局面で 17…Bc3 と指した。しかし 18.h3 Bxf3 19.Qxf3 Qf6 20.Re3 Bd4 21.Qxf6 Nxf6 22.Re2

と進んで白が優勢だった。それでも後にグリゴリッチが1968年の挑戦者決定番勝負でタリ相手に 17…Ne5 を試みた。これはもともとコルチノイがフィッシャー戦の試合の自戦解説で推奨していた手だった。しかし 18.h3 Nxf3+ 19.Nxf3 Bxf3 20.Qxf3 Re8

と進んでやはり互角の形勢にならなかった。この局面は要するに白が優勢なのだろう。

18.h3

 18.b4? は悪手で 18…c3! 19.bxa5 cxd2 20.Bxd2 Ne5

となって白のキング翼が乱れポーン得が役に立たなくなる。

18…Bxf3

 18…Bh5 は 19.g4 でビショップがたぶん永久に働かなくなる(ボゴリュボフはそのようにしてカパブランカに負けた)。

19.Nxf3 cxb3 20.axb3 Qc7

21.Be3

 コルチノイはこの手を批判し代わりに 21.Re2 を推奨した。その意図はおそらく 21…Bc3 に 22.Nd4 g6 23.Bh6(23.Be3 なら本譜に戻る)と応じて実戦より白の利得が多いということだろう。

21…Bc3 22.Re2 b4

 コルチノイによるとこれで黒が黒枡で十分に戦える。

23.Nd4 Rfe8

 黒は 23…g6! で 24.Nf5 を防ぐべきだった。白はここからキング翼で強力な攻撃を仕掛けていく。

24.Nf5 Nb7 25.Bd4 g6 26.Nh6+ Kf8 27.Rc1 Rac8

28.Bd3

 28.Re3! の方がはるかに強い手で 29.Bxc3 bxc3 30.Qd4 f6 31.Bb1 でポーン得する狙いがある。本譜は数手でどのみち黒が1ポーンを犠牲にすることになるが代わりに適切な反撃を確保する。

28…Qa5 29.Rec2 Ne5 30.Bf1 Nc5 31.Bxc3 bxc3

32.Rxc3 Kg7 33.Ng4 Nxg4 34.Qxg4 Rb8 35.Rf3 Nxe4 34.Qf4

36…f5

 コルチノイは時間に追われて怖い作戦に手を染めた。明らかに 36…Rb7 の方が安全だった。

37.Re3 Re5 38.Rc6

38…Rbe8

 それでもここは 38…g5 と指すべきだった。

39.Rxd6!

39…Qa1?

 そしてここでは 34…g5! が絶対だった。想定手順は 40.Rd7+ Kg6 41.Qf3 Qb6

で 42…Nf6 で白ルークを捕まえる必殺の狙いがある。だから 42.Qe2!(フィッシャーによれば最善の受け)42…Nxf2 43.Rxe5 Ng4+ 44.Kh1 Rxe5 45.Qxa6 Qxa6 46.Bxa6 Nf6

でポーンを取り返せる[訳注 46…Re1+ で詰むので正着は 44.Re3! Rxe3 45.Qxa6 Qxa6 46.Bxa6 Nf6! 47.Rd8 Rxb3 =]。本譜の手で黒の負けが決まった。

40.Rxa6 Qd4 41.Rd3 Qb2 42.d6 g5 43.Qe3 f4 44.Qa7+ 黒投了

 次のように黒のルーク損になる。44…Kf8 45.d7 Rd8 46.Qb6 Ke7 47.Qxd8+ Kxd8 48.Ra8+

から 49.d8=Q+ 悪手はあったが面白い試合だった。

(この章続く)

2010年04月26日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(193)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 他のゾーナル競技会はもっと順調だった。第26回全ソ連選手権戦はゾーナルも兼ねていて優勝はペトロシアンだった。続いてはビクトル・コルチノイ(1931年生まれ)で、彼は長い間ソ連チェス界の強豪だったがこれまで世界選手権戦の競技会に進出したことはなかった。さらにゲレルとウクライナ選手権者だが比較的無名だったレオニド・シュテイン(1934年生まれ)が続いた。ゾーナルを突破できなかった選手には元世界チャンピオンのワシリー・スミスロフ、ボリス・スパスキーそれにダビド・ブロンシュテインが名を連ねた。これらの選手はアジアゾーナルからの進出者にポーンと1手のハンディを与えても勝つかも知れないことは紛れもない事実なのでシステム全体の公平性に疑問が投げかけられた。1961年FIDE総会でスミスロフにインターゾーナルへの進出を与えるべきという主張は退けられた。そしてインターゾーナルから挑戦者決定競技会に進出できるロシア選手は3名までということも決定された。

 1961年米国選手権戦もまた米国ゾーナルを兼ねていた。これはボビー・フィッシャーが優勝しウィリアム・ロムバルディとレイモンド・ワインスタインが後に続いた。しかし舞台裏の交渉の結果フィッシャー、アーサー・ビズガイアーそれにパル・ベンコーが米国の代表となった。

 インターゾーナルは開催国が見つけられなかったので数ヶ月遅れた。ソ連とスペインで開催する案が共につぶれたあとFIDE会長のフォルケ・ロガルドがストックホルムの市当局に懸命の要請をして1962年1月後半にスウェーデンの首都で急遽開催されることになった。

(この章続く)

2010年04月25日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(192)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 再戦でのボトビニクの勝利は世界選手権の将来の予測を楽しいものにした。彼がいつまでもチャンピオンではいられないことは明らかだが、あるいは可能だろうか。タリはなんといっても24歳にすぎないのですぐに復活するだろうか。はたまた他の若い有望株の一人が、たぶんスパスキーかフィッシャーだが、若さにもかかわらず取って代わることになるのだろうか。そして古参をみな度外視することができるのだろうか。いや、老練なボトビニクの最近のできばえを見ればそんなことは決してない。

 1962年ストックホルムでのインターゾーナルは驚きの結果だったけれども明解な答えが出たように見えた。この大会はフィッシャーの独壇場で、無敗で後続に2½点差をつけて圧勝した。

 次期世界選手権の計画を策定するためにFIDE総会が1959年ルクセンブルクで開催されたとき、注意深く立てられた計画が混乱に陥る状況を予測することはほとんど不可能だった。困難な状況がほとんどすぐに発生した。1960年東ドイツ政府はベルリンの東と西を隔てる壁を築いた。国際的な反響はチェス界にもたちどころに波及した。中欧ゾーナルはオランダのベルヒエンダルで開催されることになっていたが東ドイツのボルフガング・ウールマンがオランダへのビザを拒否されたとき一人欠場になった。そしてブルガリア、チェコスロバキア、ハンガリー、ポーランドそれにユーゴスラビアの代表が抗議で参加を取り止めたとき欠場は数名になった。それでも残りの選手たちは試合をしたが、最終結果が認められるのかについては不確実だった。フリドリク・オラフソンが優勝しオーストリアのアンドレアス・デュクシュタインと西ドイツのルドルフ・テシュナーが同点2位で続いた。

 実のところこの競技会は1961年夏にチェコスロバキアのマリアンスケ=ラズニェで再開催された。そしてオラフソンがまた優勝しチェコスロバキアのミロスラフ・フィリップとウールマンがそれぞれ2位と3位に入った。デュクシュタインもテシュナーもこの2度目の大会には参加しなかったが1961年のFIDE総会で両者が番勝負を戦い勝った方が追加で進出することが認められた。この番勝負は3-3になったときデュクシュタインが不可解な棄権をしテシュナーに権利を譲った。

(この章続く)

2010年04月24日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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「ヒカルのチェス」(164)

「British Chess Magazine」2010年1月号(1/3)

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ロンドン・チェスクラシック


開会式で選手たちが写真撮影のために勢ぞろい。1番目にカールセン、2番目にクラムニク、・・・なにやら前途を暗示しているような。


ヒカル・ナカムラは戦うチェスを見せてくれた。

          1 2 3 4 5 6 7 8 合計
1 マグヌス・カールセン GM ノルウェー 2801 3 1 1 3 3 1 1 13
2 ウラジーミル・クラムニク GM ロシア 2772 0 1 1 3 3 1 3 12
3 デービド・ハウエル GM 英国 2597 1 1 1 1 3 1 1 9
4 マイケル・アダムズ GM 英国 2698 1 1 1 3 1 1 1 9
5 ルーク・マクシェーン GM 英国 2615 0 0 1 0 0 3 3 7
6 ニー・フワ GM 中国 2665 0 0 0 1 3 1 1 6
7 ヒカル・ナカムラ GM 米国 2715 1 1 1 1 0 1 1 6
8 ナイジェル・ショート GM 英国 2707 1 0 1 1 0 1 1 5

ロンドン・チェスクラシック、オリンピア会議センター(英国)、2009年12月8日-15日
平均レイティング2696、第18水準、勝敗率11/28(39%)、勝ち=3点、引き分け=1点

 ヒカル・ナカムラとニー・フワはどちらも盤上の超戦士で二つの超大国、米国と中国の観衆を引き連れている。

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(この号続く)

2010年04月23日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(191)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 それからボトビニクが3局棒に勝って7½-3½と差を広げた。そしてチェス界は騒然となった。タリの病気は番勝負中本当に病気だったとしてもその気配さえ感じられなかった。ここ2、3年当たるべからざる勢いだった青年がわずか1年前の初めての番勝負の終わりに老け込み憔悴したような相手にどうして突然壁際に追い詰められたのか人々はまったく説明に窮してしまった。もちろんタリの熱狂的な支持者の中にはまだ巻き返しを期待する者もいた。しかしボトビニクは冷酷なまでにリードを守り抜き第20局を終わったとき番勝負に勝つには1引き分けを必要とするだけだった。第21局はある意味では縮図の対戦だった。老人が若き挑戦者を手玉に取った。

キング翼インディアン防御
白 ボトビニク
黒 タリ

1.d4 Nf6 2.c4 g6 3.Nc3 Bg7 4.e4 d6 5.f3 Nbd7

 これは …c5 と突く含みのある手である。過去にこの手でうまくいったことがあった。例えば1958年バルナでの学生団体選手権戦のボボツォフ対タリ戦は次のように進んだ。6.Be3 O-O 7.Qd2 c5 8.Nge2 Qa5 9.O-O-O a6 10.Kb1 b5 11.Nd5 Nxd5!?

12.Qxa5 Nxe3 13.Rc1?(13…Rd3!)13…Nxc4 14.Rxc4 bxc4 15.Nc1 Rb8 =/+

6.Be3 e5

 …c5 と突くつもりではなかった。

7.Nge2 O-O 8.d5 Nh5

9.Qd2

 これで主手順の中の一つに戻った。もちろん 9.g4 Nf4 10.Nxf4 exf4 11.Bxf4 でポーン得するのは 11…f5!

で黒の反撃がきつい。

9…f5 10.O-O-O a6 11.Kb1 Ndf6 12.exf5 gxf5 13.Ng3

13…Qe8

 13…f4 は 14.Nxh5 fxe3 15.Nxf6+ Qxf6 16.Qc2(16.Qxe3 は 16…e4! 17.fxe4 b5 で黒の攻撃が強いからだめである)で白が優勢になる。

14.Bd3

14…Nxg3

 しかしここでは 14…e4! 15.Nxh5 Nxh5 16.fxe4 f4 で黒が十分だった。

15.hxg3 c5 16.Bh6 Qg6 17.g4 b5

18.Bxg7

 ここは 18.Rh4 の方が正確だった。

18…Kxg7 19.Rh4 bxc4 20.Bc2 h6! 21.Rdh1 Qg5 22.Qxg5+ hxg5 23.Rh6

23…fxg4

 23…e4 は 24.fxe4(24.gxf5 Bxf5 25.fxe4 Bh7!)24…Nxe4 25.Nxe4 fxe4 26.Rxd6

24.fxg4 Bxg4 25.Rg6+ Kf7 26.Rf1 Ke7 27.Rg7+

27…Ke8

 27…Kd8 なら白は 28.Ne4! と指す(28.Rxf6 は 28…Rxf6 29.Rg8+ Ke7 30.Rxa8 Rf1+ -/+ で良くない)。

28.Ne4 Nd7

29.Nxd6+

 ここでも白は 29.Rxf8+ Kxf8 30.Rxg5 Be2! と間違える可能性があった。

29…Kd8 30.Rxf8+ Nxf8 31.Nxc4 Bd7 32.Rf7 Kc7 33.d6+ 黒投了

(この章続く)

2010年04月23日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(190)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 3局引き分けが続いたあとボトビニクが第7局に勝って2点差をつけた。しかしタリは第8局に勝ってすぐに挽回した。

カロカン防御
白 タリ
黒 ボトビニク

1.e4 c6 2.d4 d5 3.e5 c5 4.dxc5 e6 5.Qg4 Nc6

6.Nf3 Qc7 7.Bb5 Bd7 8.Bxc6 Qxc6 9.Be3 Nh6 10.Bxh6 gxh6

11.Nbd2 Qxc5 12.c4 O-O-O 13.O-O Kb8 14.Rfd1 Qb6 15.Qh4 a5

16.Rac1 Rg8 17.Nb3 a4 18.c5 Qc7 19.Nbd4 Rc8 20.b4 axb3e.p.

21.axb3 Qd8 22.Qxd8 Rxd8 23.b4 Rg4 24.b5 Rc8 25.c6 Be8

26.Rc2 Bg7 27.Ra1 Bxe5 28.Nxe5 Rxd4 29.Nd7+ 黒投了

(この章続く)

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世界のチェス雑誌から(69)

Olympiad United! Dresden 2008(5/8)

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ヨーロッパのチェス侍(続き)
セルビア人の日本コーチ体験

□ モハマド・アル=モディアーキ (2559)
■ 小島慎也 (2272)
シチリア防御 [B30]
(解説 ミハイロ・ストヤノビッチ、小島慎也)

1.e4 c5 2.Nf3 Nc6 3.Bb5

 これはGMモディアーキの得意戦法だが小島も十分研究していた。

3…Nf6 4.Bxc6

 白はすぐにナイトを取って黒の二重ポーンに対する長期的な優位を得て指し進める考えである。この方針は多くの半閉鎖的な局面では双ビショップがあまり有効に働かないという重要な原理に基づいている。

4…dxc6 5.d3 Bg4 6.Nbd2 e6

 黒は自然な陣形で応じている。

7.h3 Bh5

8.O-O

 二人の強豪グランドマスターがGMパベル・トレグボフに対して 8.g4 と指し次のように共に負けている(!)。2004年セルジー・ポントワーズ快速戦でのフレシネ対トレグボフ戦では 8…Bg6 9.Nc4(2004年インターネット・ブリッツでのボローガン対トレグボフ戦では 9.Ne5 Bd6 10.Ndf3 Qc7 11.Nxg6?! hxg6 12.g5 Nh5 13.Qe2 Bf4

と進みキング翼の白ポーンが弱いので黒が優勢だった)9…Qc7! 白からの Bf4 を防いだ 10.Nfe5 Nd7 11.Bf4 Nxe5 12.Bxe5 Qd7

と進んで黒が良かった。また 8.Nf1?! なら2008年オルディクスでのクシュベントナー対トレグボフ戦のように 8…c4! で黒が有利である。「ロシアのGMトレグボフがこの局面を指している棋譜が少しあったので詳しく研究していた」(小島)

8…Be7 9.Qe1 Nd7

 黒はどちらにでもキャッスリングできるようにしている。

10.b3

10…e5

 ここは 10…O-O 11.Bb2 Qc7 が良かった。「白は少し良いだけである。」(小島)

11.Bb2 Qc7

12.g4

 この手は諸刃の剣である。白は当初から強い圧力をかけている。その反面自分のキングを薄くしている。12.Qe3 の方が堅実で Nc4 を見ている。「12…b5 13.a4 O-O で何も問題ない。」(小島)

12…Bg6 13.Nc4 f6 14.Nh4

14…O-O-O

 「14…Nf8!? でナイトの位置をすぐに改善することはできた。しかしキングを中央に残しておくのが嫌だった。15.f4 exf4 16.e5 がその理由である。」(小島)

15.Bc1

 白は新たにキング翼で進攻しようとしている。しかし黒の応手を過小評価していた。代わりに 15.Qa5 Qxa5 16.Nxa5 Nf8 17.Nf5 Rd7! ならほぼ互角の形勢である。「彼が f4 突きを狙っているのは分かっていた。しかし白は展開が足りないので黒は十分に対応できる。」(小島)

15…Nf8 16.f4

16…Bf7!?

 この手は攻撃に効いている Nc4 を取り除いてしまうつもりである。「16…Ne6 も読んだが止めてしまった。しかし実際は 17.f5 Nd4 18.fxg6 Nxc2 19.Qc3 Nxa1 20.Kg2 Qd7!

で黒が良かった。」(小島)

17.fxe5 Bxc4 18.bxc4

18…fxe5!

 黒が 18…Qxe5 でキング翼のしまったポーンの形を保とうとすると白は 19.Bf4 Qd4+ 20.Kg2 で Nf5、Qa5 または Rb1 を狙って優勢になる。実戦の手の後は Be7 がよく働いている。

19.Rf7

 この手は怖そうに見えるが実際はどうということもないことが分かってくる。

19…Ne6 20.Nf5 Rd7

21.Qg3

 21.Nxg7 は 21…Nxg7「代償があるので 21…Nd4 と指すかもしれない。」(小島)22.Rxg7 Bh4! 23.Rxd7 Qxd7 24.Qe3(24.Qc3 は 24…Rf8 で白の方が悪い)24…Rf8

で黒に強い主導権がある。

21…Bf6 22.Rxd7 Qxd7

23.Be3??

 この手は自然な手だが白は駒損することを見落としていた。代わりに 23.g5 は 23…Bd8(「23…g6?! とは指せない。以下 24.gxf6 gxf5 25.exf5 Nd4(25…Qd4+ は 26.Qe3 Rg8+ 27.Kh2 で白がはっきり良い)26.Qg7 で白が少し良い」(小島))24.Bb2(24.Qxe5 は 24…Bc7 25.Qb2 Rf8 から …g6 の狙いで白が困る)24…Nf4 25.Qg4 Bc7

から …Rf8 の狙いで黒の方が非常に良い。

23…g6!

24.Nh6

 24.Nh4 は 24…Nd4 で白は …Ne2 あるいは …Bxh4 から …Nf3 の狙いをかわせない。

24…Nf4! 25.Re1 Bg5

 ナイトが捕まり小島は決定的な優勢を勝利に導いていく。

26.Bxc5

26…Bxh6

 「対局中は 26…b6 27.Bd6! Qxd6!(27…Re8 は 28.c5 Bxh6 29.d4!)28.Nf7 Qe7 29.Nxh8 Bh4

で決まっていることが読めなかった。」(小島)

27.Bxa7 Bf8 28.Qe3?

 敗勢の局面でポカが飛び出した。

28…Bb4! 29.Kh2 Bxe1 30.Qxe1 Qc7 31.Qb4 Ne6

 これでf列からクイーンとルークが侵入できる。

32.Bb6 Qf7 33.Qa5 Rf8 34.Qa8+ Kd7 35.Qxb7+ Kd6 36.Qa6 Qf4+ 37.Kg2 Qd2+ 38.Kg3 Qe1+ 39.Kh2 Qe2+

40.Kh1

 40.Kg3 は 40…Rf3+ 41.Kh4 g5+ 42.Kh5 Rxh3# で詰む。

40…Rf1+ 41.Bg1 Qf2 42.c5+ Nxc5 0-1

棋譜解説者たち


小島慎也 レイティング2272、1988年生まれ、日本、主将


ミハイロ・ストヤノビッチ GM、レイティング2535、1977年生まれ、セルビア、日本男子・女子チームのコーチ

******************************

 「Behind the Scene」の「Dresden Dream(3)」に小島選手の自戦解説があります。

(この本続く)

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チェス世界選手権争奪史(189)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 対局は1961年3月15日からモスクワのエストラーダ劇場で始まった。ボトビニクが第1局に勝ちタリが第2局に勝った。そして第3局でボトビニクが布局で軽妙な手筋を放って優勢を確立した。

ニムゾインディアン防御
白 ボトビニク
黒 タリ

1.c4 Nf6 2.Nc3 e6 3.d4 Bb4 4.e3 O-O

5.Bd3 d5 6.a3 dxc4 7.Bxc4 Bd6 8.Nf3 Nc6

9.b4(第1局でボトビニクは 9.Nb5 と指したが 9…e5 10.Nxd6 Qxd6 11.dxe5 Qxd1+ 12.Kxd1 Ng4 13.Ke2 Ncxe5

と進んで優勢にならなかった)9…e5 10.Bb2 Bg4 11.d5 Ne7 12.h3 Bd7 13.Ng5 Ng6

14.Ne6!(これで白は陣形的に勝勢になった)14…fxe6 15.dxe6 Kh8 16.exd7 Qxd7 17.O-O Qf5 18.Nd5 Ng8

19.Qg4 Qc2 20.Qe2 Qf5 21.Qg4 Qc2 22.Qe2 Qf5 23.e4 Qd7

24.Rad1 Rad8 25.Qg4 Qe8 26.g3 Nh6 27.Qh5 Ng8 28.Qe2 N6e7

29.Ne3 Nh6 30.Ng4! Nxg4 31.hxg4 Nc6 32.Kg2 Be7 33.Bd5 Nd4

34.Bxd4 exd4 35.Bc4 c5 36.b5 Bf6 37.f4 d3 38.Rxd3 Rxd3 39.Bxd3 Bd4

40.e5 g6 41.Rh1 Kg7 42.Qe4 b6 43.Bc4 黒投了

(43…Qe7 の後[43…Qd7 は 44.Qc6! Qxc6 45.bxc6 Rc8 46.e6!]44.g5![45.Qc6 から 46.Qf6+ の狙い]44…Rc8 45.f5 gxf5 46.Rxh7+ Kxh7 47.Qh4+

で黒キングが詰まされる)

(この章続く)

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チェス世界選手権争奪史(188)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 何はともあれ今回の番勝負に関してはこれで終わりだった。第20局と第21局は短手数で引き分けになりタリが世界チャンピオンになった。感傷的な人は一つの時代の終わりを悲しんだ。ボトビニクは断続的ではあったが12年間世界チャンピオンの座にあった。もっと前向きな人は来るべき時代について考えをめぐらした。タリは23歳にすぎなかった。そして彼の最も有力な挑戦者と目されるスパスキーとフィッシャーの二人は十分手ごわくもっと強くなるはずだが、それでもタリより強い者が現れるとはとても信じられなかった。ボトビニクに再戦の権利があることはもちろん当然注目されていた。彼の信奉者のほとんどはさらに屈辱を受ける機会になりかねないことを危惧していた。

 精力的で若い相手に成すところなく屈っしてからほぼ1年後の日にボトビニクはタイトルを取り戻していた。それも負けた番勝負よりももっと一方的と思われる番勝負で奪回したのだった。

 この奇妙な有為転変の理由は理解しがたい。確かに最も重要な理由の一つはタリの健康状態だった。彼は容易ならぬ腎臓病でたびたび入院していた。そしていまだに患っている。最初は選手権を奪取した直後に発病が始まった。1962年キュラソーでの挑戦者決定競技会では成績が振るわないまま途中で棄権しなければならなかったが、しかしそれは唯一の例外でいつどのくらい彼の対局に病気が影響していたかは何とも言えない。タリは不成績の前でも後でも言い訳をする人間ではなかった。同様にボトビニクが2回目の番勝負ではるかに好調だったことは言っておかなければならない。そして最初の番勝負で自分をこっぴどく負かした相手に再び挑み負かしてしまったボトビニクの計り知れぬ自信と勇気は誇張などと言えるものではない。

(この章続く)

2010年04月20日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス布局の指し方[8]

第1章 展開と戦術(続き)

1.8 f2/f7の弱点

 白にとってf2、黒にとってf7の地点は早期の攻撃に最ももろい。eポーン布局の昔の定跡のほとんどはこの弱点をめぐって組み立てられていた。キング翼ギャンビットとジオッコピアノが19世紀と20世紀前半に隆盛を極めたのはこのためだった。

 f2/f7の地点の重要性と脆弱性は試合の始まりではキングでしか守られていないということに起因している。これによりいろいろな詰みの可能性が生まれ、迂闊な相手に対して時折用いられる。読者もチェスを覚えたての頃「学者の詰み」にはまったことがあるだろう。そんな早々の災難はひどい見落としの結果でしかないが、熟達した選手でもf2/f7への攻撃に基づいた戦術の企みのためにあっさり負けることがある。以下はそのいくつかの例である。

 (1)1.e4 e5 2.Nf3 d6 3.Bc4 Bg4 4.Nc3 h6? 5.Nxe5! Bxd1?

 図14(白番)

(5…dxe5 なら 6.Qxg4 で白がポーン得で優勢である)6.Bxf7+ Ke7 7.Nd5#

 (2)1.e4 e5 2.Nf3 d6 3.Bc4 Be7 4.d4 exd4 5.Nxd4 Nf6 6.Nc3 Nc6 7.O-O O-O 8.h3 Re8 9.Re1 Nd7?

10.Bxf7+! Kxf7(キングがf8またはh8に逃げると 11.Ne6 でクイーンを取られる)11.Ne6!! Kxe6 12.Qd5+ Kf6 13.Qf5#

 (3)1.e4 e5 2.Nf3 Nc6 3.Bb5 a6 4.Ba4 b5 5.Bb3 Nf6 6.d4 Nxd4?

7.Bxf7+ Kxf7 8.Nxe5+ Ke8 9.Qxd4 白は駒を取り返し1ポーン得になった。

 (4)1.d4 g6 2.e4 Bg7 3.Nf3 d6 4.Nc3 Nd7 5.Bc4 Ngf6 6.e5!

6…dxe5 7.dxe5 Nh5 8.Bxf7+ Kxf7(8…Kf8 は 9.e6 で駒損になる)9.Ng5+ Kg8(キングが他に動けば 10.Ne6 でクイーンが取られる)10.Qd5+ 黒投了(f7での詰みが防げない)

 (5)1.e4 e6 2.d4 d5 3.Nd2 c5 4.exd5 exd5 5.dxc5 Bxc5 6.Ne2??

6…Qb6 これで白が負ける。白は詰みを避けるためにはナイトを捨てるしかない。例えば 7.Nf3 は 7…Bxf2+ 8.Kd2 Qe3# で詰む。

 (6)1.e4 c5 2.Nf3 Nc6 3.d4 cxd4 4.Nxd4 Nf6 5.Nc3 d6 6.Bc4 g6?

7.Nxc6 bxc6 8.e5 dxe5?? 9.Bxf7+! Kxf7 10.Qxd8 これで白の勝ちとなる。

 上例のそれぞれで一方が急に負けの局面になった。それはf2/f7の地点にきちんと目配りしていなかったためである。これらは特異な例ではない。チェスの書物にはそれこそ何千もの例がある。読者は本書の以降の章を学んでいる間にもっと多くの例に出会うだろう。布局でのf2/f7の地点の重要性はいくら強調してもしすぎることはない。f2/f7の地点への攻撃と捨て駒にはいつも注意しなければならない。

(この章続く)

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カテゴリ: チェス布局の指し方

チェス世界選手権争奪史(187)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 しかしボトビニクは挽回に努めた。第18局は収局で惜しくも勝ちを逃がした。そして第19局では黒番でも勝つ可能性を求めて諸刃の剣のオランダ防御を指した。

オランダ防御
白 タリ
黒 ボトビニク

1.c4 f5 2.Nf3 Nf6 3.g3 g6 4.Bg2 Bg7 5.d4 d6

6.Nc3 e6 7.O-O O-O 8.Qc2 Nc6 9.Rd1 Qe7

10.Rb1 a5 11.a3 Nd8 12.e4 fxe4 13.Nxe4 Nxe4

14.Qxe4 Nf7 15.Bh3 Qf6 16.Bd2 d5 17.Qe2 dxc4

18.Bf4 Nd6 19.Ng5 Re8 20.Bg2 Ra6 21.Ne4 Nxe4

22.Bxe4 b5 23.b3 cxb3 24.Qxb5 Rf8 25.Qxb3 Rb6

26.Qe3 Rxb1 27.Bxb1 Bb7 28.Ba2 Bd5 29.Bxd5 exd5

30.Bxc7 a4 31.Rd3 Qf5 32.Be5 Bh6 33.Qe2 Rc8

34.Rf3 Qh3 35.Bc7 Bf8 36.Qb5 Qe6 37.Be5 Qc6

38.Qa5 Ra8 39.Qd2 Rc8 40.Kg2 Qd7 41.h4 Qg4 黒投了

(この章続く)

2010年04月19日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(186)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 第10局は引き分けで第11局はタリが勝ち2点差をつけた。これで彼は番勝負の流れを緩やかにしようと決めたらしく5局連続して引き分けが続いた。第17局も次図で棋理に反する
12.f4?! でなく 12.Qd2 と指していたら引き分けになっていただろう。

タリは変化を考えている間にいったい何が問題なのかが突然明らかになったと述べている。つまり 12.Qd2 と指し引き分けになったら「妻と私が映画か演劇に行く時間があるだろうか」ということである。代わりに 12.f4 と指し41手で勝ったことからしてその答えはノーだったろう。これでタリはまた3点差をつけボトビニクの可能性はなくなったように思われた。

(この章続く)>

2010年04月18日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(185)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 第7局でタリはボトビニクのカロカンを粉砕し完勝に向かって順風満帆のように見えた。選手権戦の本でボトビニクは以降の試合で勝敗に見合った指し方をしていないとタリを批評している。3点も勝ち越しているのだから安全に指して相手に危険を冒させてことによったらやり過ぎさせれば良かったというのである。「しかしあと17局も引き分けを目指して指すのは非常にうんざりする」とタリは反論している。いずれにせよボトビニクは激闘の末に第8局に勝った。そして第9局を迎えた。

カロカン防御
白 タリ
黒 ボトビニク

1.e4 c6 2.d4 d5 3.Nc3 dxe4 4.Nxe4 Bf5 5.Ng3 Bg6 6.N1e2

6…Nf6(第5局の 6…e6 も第7局の 6…Nd7 から 7.h4 h6 8.Nf4 Bh7 9.Bc4 e5 も互角の形勢にならなかった)7.h4(7.Nf4 e5! 8.dxe5 Qxd1+ 9.Kxd1 Ng4 10.Nxg6 hxg6 11.Ne4 Nxe5 =

7…h6 8.Nf4 Bh7 9.Bc4 e6 10.O-O Bd6 11.Nxe6!

11…fxe6 12.Bxe6 Qc7 13.Re1(13.Nh5!)13…Nbd7 14.Bg8+ Kf8!

15.Bxh7 Rxh7 16.Nf5 g6! 17.Bxh6+ Kg8 18.Nxd6 Qxd6 19.Bg5 Re7

20.Qd3(20.Rxe7 Qxe7 21.h5 Qf7! -/+)20…Kg7 21.Qg3??(21.f4! Rae8 22.Re5! c5 23.c3 cxd4 24.cxd4 Nxe5 25.fxe5 Rxe5 26.Bxf6+ +/-

21…Rxe1+ 22.Rxe1 Qxg3 23.fxg3 Rf8! 24.c4 Ng4

25.d5(25.Re4 Ndf6 26.Rf4 Re8 -/+)25…cxd5 26.cxd5 Ndf6 27.d6 Rf7 28.Rc1 Rd7 29.Rc7 Kf7

30.Bxf6 Nxf6 31.Kf2 Ke6 32.Rxd7 Kxd7 33.Kf3 Kxd6 34.Kf4 Ke6

35.g4 Nd5+ 36.Ke4 Nf6+ 37.Kf4 Nd5+ 38.Ke4 Nb4

39.a3?(39.a4!)39…Nc6 40.h5 g5 41.h6 Kf6 42.Kd5 Kg6 43.Ke6 Na5

44.a4 Nb3 45.Kd6 a5 46.Kd5 Kxh6 47.Kc4 Nc1 48.Kb5 Nd3

49.b3 Nc1 50.Kxa5 Nxb3+ 51.Kb4 Nc1 52.Kc3 Kg6 53.Kc2 Ne2

54.Kd3 Nc1+ 55.Kc2 Ne2 56.Kd3 Nf4+ 57.Kc4 Kf6 58.g3 Ne2 白投了

(この章続く)

2010年04月17日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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「ヒカルのチェス」(163)

「Chess Life」2010年1月号(1/1)

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チェスライフオンライン
1月のuschess.org

ヒカルがコーラスに参戦

 我らの誇る米国チャンピオンのGMヒカル・ナカムラが今年のコーラスのAグループに参加する(オランダ・ベイクアーンゼー、1月15日-31日)。対戦相手には世界チャンピオンのGMアーナンドと現在最高レイティング2800超のマグヌス・カールセンがいる。ナカムラは最近のブリッツ戦でカールセンを破っている。GMイアン・ロジャーズが現地から報告する。


「チェスのスター 彼らも我々と同じだ」

セントルイスからトルコへ

 米国チームは1月3日から14日までトルコのブルサで開催される世界チーム選手権戦への旅費にセントルイスのチェスクラブと教育センターから後援を受ける。チームは全員GMのナカムラ、オニシュク、シュールマン、アコビアンおよびヘスで、団長はIMドナルドソンである。ブログを含む最新情報はチェスライフオンラインで見られる。

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(この号終わり)

2010年04月16日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(184)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 第4局と第5局もボトビニクが優勢ながら引き分けに終わった。そして迎えた第6局ではタリがボトビニクに対しても「知らぬが仏」が通じることを示した。

キング翼インディアン防御
白 ボトビニク
黒 タリ

1.c4 Nf6 2.Nf3 g6 3.g3 Bg7 4.Bg2 O-O 5.d4 d6 6.Nc3

6…Nbd7

 現代流の 6…Nc6 については後出(218)の1966年のペトロシアン対スパスキー世界選手権戦第10局を参照されたい。

7.O-O e5 8.e4

8…c6

 以前の主手順の 8…Re8 から 9…exd4 は今では廃れた。一例は 8…Re8 9.h3 exd4 10.Nxd4 Nc5 11.Re1 a5 12.Qc2 c6 13.Be3 Nfd7 14.Rad1 a4 15.Nde2 Qa5 16.Bf1 Ne5 17.Nd4 a3 18.f4 Ned7 19.b3

で白がまだ少し優勢だった(レシェフスキー対ブロンシュテイン、チューリヒ、1953年)。

9.h3

 9.Be3 は前出(155)の1954年のボトビニク対スミスロフ世界選手権戦第14局を参照されたい。

9…Qb6

 9…exd4 と指せば黒はまだ引用した実戦の手順に戻ることができる。9…Qa5 も今日ではよく見かける。

10.d5

 黒の狙いはもちろん 10…exd4 11.Nxd4 Nxe4! である。白は実戦の手の代わりに 10.Re1 または 10.Rb1 で中原の争点を維持することができる。
Ⅰ10.Re1 Re8 11.d5 c5 12.a3 Qd8 13.Nb5 Nf8 14.b4 +/=(レンジェル対グリゴリッチ、アムステルダム、1964年)

Ⅱ10.Rb1 exd4 11.Nxd4 Nxe4?(11…Qb4!)12.Nxe4 Bxd4 13.b4! Ne5 14.c5! dxc5 15.bxc5! Qd8 16.Bh6 +/-(レシェフスキー対ロンバルディー、米国選手権戦、1958年)

10…cxd5 11.cxd5 Nc5 12.Ne1 Bd7 13.Nd3 Nxd3 14.Qxd3

14…Rfc8

 14…Nh5 は 15.Be3 Qd8 16.Qe2! f5 17.exf5 Bxf5

で白が良い。しかし 14…Ne8 なら 15.Be3 Qd8 16.Rac1 f5 17.exf5 gxf5 18.f4

でほぼ互角である。タリは最も積極的な手を選んだ。

15.Rb1 Nh5 16.Be3 Qb4 17.Qe2 Rc4 18.Rfc1 Rac8 19.Kh2 f5

 黒はf5の地点でビショップで取り返す必要があるので、白の駒にe5の地点を譲るこの手は黒の21手目の捨て駒がなければ単純に悪手である。

20.exf5 Bxf5 21.Ra1 Nf4!?

 「私に言わせればこの手に関する議論は完全に無意味である。他の手はすべて悪いと言えば十分だろう。」(タリ)

22.gxf4 exf4

23.Bd2

 後になって 23.a3 なら白が完全に勝っていたという主張が出てきた。しかしタリが示したようにことはなかなかどうして明白でない。23.a3 Qb3 24.Bxa7 Be5!(24…b6 25.Qd1!)

黒の狙いは 25…f3+ である。ここで白の応手が分かれる。
Ⅰ25.Kg1 b6 26.Qd1 Qxb2 27.Ra2 Rxc3

これは黒の勝ちになる。
Ⅱ25.f3 b6 26.Qd1 Qxb2 27.Ra2 Rxc3 28.Rxb2 Rxc1 29.Qd2 Bxb2 30.Qxb2 R1c2 31.Qd4 Re8 32.Qxf4 Ree2 33.Qg3

これは引き分けに終わるだろう。
Ⅲ25.Bf3! b6 26.Qd1 Qxb2 27.Ra2 Rxc3 28.Rxb2 Rxc1

29.Qd2 Be4! または 29.Qe2 R8c3 で形勢不明である。

23…Qxb2

 タリはこの手と 23…Be5 との選択に15分費やした。後者の予想手順は 24.f3 Qxb2 25.Nd1! Qd4 26.Rxc4 Rxc4 27.Rc1 Rxc1 28.Bxc1 Qxd5 29.Bf1

でほぼ互角の分かれである。しかし本譜のタリの読みには見落としがあった・・・

24.Rab1 f3

25.Rxb2?

 タリは 25.Bxf3 Bxb1 26.Rxb1 Qc2 27.Be4! Rxe4

の後 28.Qxe4 Be5+ しか読んでいなかった。しかし 28.Nxe4! Be5+(28…Qxb1 29.Nxd6 Rf8 30.Qe6+ Kh8 31.Nf7+ Rxf7 32.Qxf7 Qf5 33.Qxf5 gxf5 34.Kg3 Be5+ 35.Bf4

)29.Kg2 Qxb1 30.Nxd6! Bxd6 31.Qe6+ Kg7 32.Qd7+

で白が大優勢だった(フロールの研究)。

25…fxe2 26.Rb3 Rd4

27.Be1

 27.Be3 なら 27…Rxc3 28.Rbxc3 Rd1 で黒が勝つ。

27…Be5+ 28.Kg1

28…Bf4

 ここでタリは 28…Rxc3 29.Rbxc3 Rd1 30.Rc4 Bb2 という速い勝ちを逃がした。彼にとっては珍しいことだが実戦の手も確実に勝つ手である。

29.Nxe2 Rxc1 30.Nxd4 Rxd1+ 31.Bf1 Be4 32.Ne2 Be5 33.f4 Bf6 34.Rxb7 Bxd5 35.Rc7 Bxa2 36.Rxa7 Bc4 37.Ra8+

37…Kf7

 37…Kg7 として38.Re8 に 38…d5、38.Ra7+ に 38…Kh6 と応じる方が簡明だった。

38.Ra7+ Ke6 39.Ra3 d5 40.Kf2 Bh4+ 41.Kg2 Kd6 42.Ng3 Bxg3 43.Bxc4 dxc4 44.Kxg3 Kd5 45.Ra7 c3 46.Rc7 Kd4

 ここで指しかけになったがボトビニクは対局を再開せずに投了した。

(この章続く)

2010年04月16日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(183)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 第2局の引き分けの後ボトビニクは今や常用となっていたカロカンに転じた。そして 1.e4 c6 2.Nc3 d5 3.Nf3 Bg4 4.h3 Bxf3

の後タリは驚きの 5.gxf3?! を指した。試合は引き分けに終わりこの新手は繰り返されることがなかった。しかしカロカンに対して白が優位を勝ち取れるのかという問題はこの番勝負のもっとも重要な問題の一つになった。

(この章続く)

2010年04月15日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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世界のチェス雑誌から(68)

Olympiad United! Dresden 2008(4/8)

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ヨーロッパのチェス侍(続き)
セルビア人の日本コーチ体験


セルビア人コーチの回りに集まった日本女子チーム (左から)若林久子、内田成美、岩城理恵、中川笑子、コーチのミハロ・ストヤノビッチ

ドレスデンに向けての準備

 「日本のオリンピアード選手が大会の1年以上前から選抜されていたということを聞いて驚いたことにも言及しておかなければならない。まる1年たてば多くのことが変わる可能性があるからこれは奇妙に思えた。しかしそれは純粋なアマチュアがどういうものであるかということを忘れていたためだった。そして結局他に仕方がないことに気づいた。早期の選抜はまったく実際的な理由によるもので、選手たちは少なくとも1年前から雇用者や教授から特別な休暇の許可を得るために職場や大学に届け出なければならないのだった。選手の一人は実際オリンピアードの前に仕事を辞めたことも言っておいた方がよいだろう。しかし誤解して欲しくないが彼はずっと前から仕事を変えるつもりでいて、ちょうどいい時に決断しただけである。」日本滞在中ストヤノビッチは男子チームの全員が日本独自の盤上競技である将棋の経験者であることに気づいた。これは貴重な情報だった。「将棋はチェスに似ているが9x9の枡目の盤で指される競技で、将棋を知っているということは日本選手たちが手を読むことに習熟しているということでそれが大いに役立つことになった。この長所を彼らの強い伝統の勤勉さと結びつければチェスを研究することにもいかに熱心になるかが分かってくる。主将の小島選手のレイティングは2300以下で、これはヨーロッパではアマチュアのレベルとみなされる。しかしレイティングの数値はいつも決定的な真実を明らかにしてくれるとは限らない。そして小島選手は二人のよく知られたグランドマスター、即ちカタールのモハマド・モディアーキとスコットランドのジョナサン・ラウソンを負かしてそのことを証明した。三将の佐野選手もグランドマスターを負かした。相手はルーマニアのレベンテ・バイダだった。実は日本ではいまだに将棋が最も盛んな盤上競技で、高額の賞金の大会がチェスよりも数多くある。しかし私の全体的な印象ではチェスは日本人にとってやりがいのあるもので人気も高まっていくだろう。日本チェス協会代行で故ボビー・フィッシャーの親密な知人だった渡井美代子は功績が大きい。」ここでドレスデンでの日本チームの活躍ぶりを紹介しておこう。小島慎也選手(レイティング2272、10戦4点、実効レイティング2306)はオリンピアードの前半戦で素晴らしい成績をあげた。非常に深い定跡の研究は高い集中力と正確な読みと相まって相手にとって手ごわい存在になり多くのグランドマスターから一目置かれる存在になった。大会の終わりに近づくにしたがって強豪相手との試合の経験不足のために成績は振るわなくなった(ボツワナのレイティング2247のイグナティウス・ニョブブとドイツのレイティング2541のGMライナー・ブーマンに負けた)。それでも最終成績は非常に立派なものだった。第2回戦のカタール戦では非常に難解な局面になった。それぞれの解説でこの試合を振り返る。

******************************

(この本続く)

2010年04月14日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(182)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 この考察には複雑さへの愛やこれまでの戦いの渇望はなくなり、純粋に技術的な面が強調されていることが今や明らかだった。番勝負の第1局は3月15日にモスクワのプーシキン劇場で始まり、タリの分析が的を射ていたことが示されていた。

フランス防御
白 タリ
黒 ボトビニク

1.e4 e6 2.d4 d5 3.Nc3 Bb4 4.e5 c5 5.a3 Bxc3+ 6.bxc3 Qc7

7.Qg4 f5 8.Qg3 Ne7 9.Qxg7 Rg8 10.Qxh7 cxd4 11.Kd1 Bd7

12.Qh5+ Ng6 13.Ne2 d3 14.cxd3 Ba4+ 15.Ke1 Qxe5 16.Bg5 Nc6

17.d4 Qc7 18.h4 e5 19.Rh3 Qf7 20.dxe5 Ncxe5

21.Re3 Kd7 22.Rb1 b6 23.Nf4 Rae8 24.Rb4 Bc6

25.Qd1 Nxf4 26.Rxf4 Ng6 27.Rd4 Rxe3+ 28.fxe3 Kc7

29.c4 dxc4 30.Bxc4 Qg7 31.Bxg8 Qxg8 32.h5 黒投了

(この章続く)

2010年04月14日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(181)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 これでタリはボトビニクへの次期挑戦者になった。フィッシャーは今回の挑戦者決定競技会に進出したことにより最年少のグランドマスターになっていた。そしてケレスはいつものように2位だった。

 ボトビニクに立ち向かうタリの可能性についての衆評はもちろん大きく分かれていた。とうとうタリがうそ筋の駒捨てに抗体を持つ相手と対決すると考える者がいた。その相手は常にタリのはったり戦術を堅固な防御で迎えることだろう(ケレスがかなりの程度やってのけたことがこの見方を助長した)。一方タリは世界中のチェス愛好家、特に若者の目にほとんど神のように映っていた。そして多くの者には彼の途切れることのない快進撃が止まることなど想像もできないことだった。客観的にはタリには若さという有利があった。26歳差はラスカー対シュタイニッツ以来の世界選手権戦における最も大きな年齢差だった。

 番勝負を前にしてのタリのボトビニク観は(133)でのエーべの見方と比較するとことに興味深い。

 『確かなことは私がこれから対戦する相手は最近激烈な戦いに自ら飛び込んで行っていないということである。そして戦術の「嵐」に巻き込まれた場合は自信を欠いている。布局で自分に主導権のある局面になれば、圧力にさらされた相手はほとんど起こりえない奇跡を願うしかなくなっている。彼の多くの試合を見て分かったことはM・ボトビニクは収局でのごくわずかな有利に満足し、非常に洗練された技量のおかげで勝利に至るのが通例であるということである。

 しかし彼のすべての試合を研究して得られた最も重要な結論は次のことである。M・ボトビニクは対局中ほとんどの思考を戦略上の問題に費やしていて、いろいろな戦術上の変化手順には気をそらされていない。これはプラスともなり得るが(作戦の実現の一貫性)マイナスにもなり得る。というのはいくつかの局面で戦術をおろそかにしたためにかなり勝負にひびいているからである。』[ミハイル・タリ著「1960年チェス世界選手権戦」]

(この章続く)

2010年04月13日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス布局の指し方[7]

第1章 展開と戦術(続き)

1.7 フィアンケット

 フィアンケットとは g3/b3 の後 Bg2/Bb2 とする手順のことである。これでビショップが「対角」斜筋(h1-a8またはa1-h8)の一つに展開される。このように展開されたビショップはフィアンケットビショップと呼ばれる。現代防御システムでは黒が真っ先に行なうことはキング翼ビショップをフィアンケットすることである。1.e4 g6 2.d4 Bg7

  図12(白番)

 g7またはb7からビショップは中原にも支援をおくっているだけでなく、斜筋上のもっと遠い地点(a1とb2)にも潜在的な圧力をかけている。チェス理論の初期の頃にはビショップが対角斜筋上に展開されることはめったになかった。しかし過去半世紀の間にフィアンケットは周知の主題となり、現在ではすべての棋力の試合でよく見られるようになった。フィアンケットビショップは攻撃の武器として用いることができるだけでなく、背後のg8にいるキャッスリングしたキングを守ることもできる。

 時には敵のフィアンケットビショップを交換によって取り除くことが望ましいことがある。これを行なうためによく用いられる手段が次の図で示されている。

  図13(白番)

 白はクイーン翼ビショップをe3に展開し、黒がこのビショップを …Ng4 によって攻撃できないように用心している(f3 と突くことにより)。そしてクイーンをこのビショップの背後に置きこれから Bh6 と指した後このビショップに紐をつけている。ビショップをh6に進めたあと白はg7のビショップとの交換を狙っている。黒はビショップをh8に引くことはできない。そうするとルークが当たりになって取られてしまう。だから黒は自分から …Bxh6 と交換するか白に好きな時に交換させるかしなければならない。

 もちろん黒は f3、Be3、Qd2、Bh6 という手順を認識して自分のフィアンケットビショップの交換を防ぐ手段を講じることができる。例えばルークをf8からそらして白が Bh6 と指した時フィアンケットビショップをh8に引くことができる。ビショップはその位置からでも対角斜筋にまだにらみを利かすことができる。別の方法は Be3 に …h6 と突き Qd2 に …Kh7 と応じることである。このようにすれば白はビショップをh6に進めることができない。その地点は黒のキングとビショップによって守られている。

(この章続く)

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チェス世界選手権争奪史(180)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 しかしタリはこんなことではびくともしなかった。彼は成績が下位の選手たちを叩くことにより得点のほとんどをたたき出していた(最終的にはフィッシャーに4-0、オラフソンに3½-½、ベンコーに3½-½だった)。そして第27回戦では楽ではなかったがフィッシャーをまた破った。

シチリア防御
白 フィッシャー
黒 タリ

1.e4 c5 2.Nf3 d6 3.d4 cxd4 4.Nxd4 Nf6 5.Nxc3 a6 6.Bc4

(当時フィッシャーはいつも決まってこの手を指していた。そしてロシア勢はそれに対して準備怠りなかった)6…e6 7.Bb3

7…b5(第13回戦でタリは 7…Be7 と指し次のように進んだ。8.f4 O-O 9.Qf3 Qc7 10.O-O? b5 11.f5 b4 12.Na4 e5 13.Ne2 Bb7=/+

途中 10.f5! なら白の方が良かった)
8.f4

8…b4(8…Bb7! 9.f5 e5 10.Nde2 Nbd7 11.Bg5 Be7 12.Ng3 Rc8 13.O-O h5! 14.h4 b4 =/+

R・バーン対フィッシャー、スース、1967年)9.Na4 Nxe4 10.O-O

10…g6?(10…Bb7 または 10…Nf6)11.f5! gxf5 12.Nxf5!

12…Rg8(12…exf5? 13.Qd5 Ra7 14.Qd4 +/- または 12…d5! 13.Nh6 Bxh6 14.Bxh6 +/=)13.Bd5! Ra7

14.Bxe4?(14.Be3! Nc5 15.Qh5! Rg6 16.Rae1 +/-)14…exf5 15.Bxf5 Re7!

16.Bxc8 Qxc8 17.Bf4?(17.Qf3!)17…Qc6! 18.Qf3 Qxa4!

19.Bxd6 Qc6! 20.Bxb8 Qb6+ 21.Kh1 Qxb8

22.Qc6+(22.Rae1 Kd8! 23.Rd1+ Kc7! 24.Qf4+ Kb7 25.Rd6 Qc7 26.Qxb4+ Kc8 27.Rxa6 Qb7! 28.Qxb7+ Kxb7 29.Raf6 Rg7 =

フィッシャーの研究)22…Rd7 23.Rae1+ Be7 24.Rxf7 Kxf7 25.Qe6+ Kf8!

26.Qxd7(26.Rf1+ Kg7 27.Rf7+ Kh8 28.Qxd7 Rd8 29.Qg4 Qe5 -/+

26…Qd6 27.Qb7 Rg6 28.c3 a5 29.Qc8+ Kg7 30.Qc4 Bd8 31.cxb4 axb4

32.g3?(32.Qe4)32…Qc6+ 33.Re4 Qxc4 34.Rxc4 Rb6! 35.Kg2 Kf6 36.Kf3 Ke5

37.Ke3 Bg5+ 38.Ke2 Kd5 39.Kd3 Bf6 40.Rc2?(40.b3)40…Be5 41.Re2 Rf6

42.Rc2 Rf3+ 43.Ke2 Rf7 44.Kd3 Bd4! 45.a3 b3 46.Rc8 Bxb2

47.Rd8+ Kc6 48.Rb8 Rf3+ 49.Kc4 Rc3+ 50.Kb4 Kc7 51.Rb5 Ba1 52.a4 b2! 白投了

(この章続く)

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チェス世界選手権争奪史(179)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 戦いの舞台はザグレブに移りタリにとっては最高の出来ばえとなった(その中にはケレスからの唯一の勝ちも含まれていた)。この地での締めくくりには15½点で首位に立ち、その後にケレス(14点)、ペトロシアンとスミスロフ(11½点)、グリゴリッチ(10½点)、フィッシャー(8½点)、ベンコー(6½点)そしてオラフソン(6点)が続いていた。競技会がベオグラードで再開された時タリはグリゴリッチに勝ち競争相手のケレスはスミスロフに負けたので差をさらに1点広げた。両者が第24回戦で対戦したとき優勝への数字的な可能性を残すためにはケレスは勝つしかなかった。

クイーン翼ギャンビット拒否
白 タリ
黒 ケレス

1.Nf3 d5 2.d4 c5 3.c4 e6 4.cxd5 exd5 5.g3 Nc6

6.Bg2 Nf6 7.O-O Be7 8.Nc3 O-O 9.Bg5 Be6 10.dxc5 Bxc5

11.Na4 Bb6 12.Nxb6 axb6 13.Nd4 h6 14.Bf4 Qd7 15.a3 Bh3

16.Qd3 Rfe8 17.Rfe1 Bxg2 18.Kxg2 Re4 19.Nf3 Rae8 20.Bd2 d4

21.e3 Qd5 22.exd4 Rxd4 23.Rxe8+ Nxe8 24.Qe2 Nd6 25.Be3 Rd3

26.Kg1 Nc4 27.Ne1 Rb3 28.Rc1 Nxe3 29.fxe3 Qe5 30.Ng2 Rxb2

31.Qd3 Qe6 32.Nf4 Rb3 33.Rc3 Rxc3 34.Qxc3 Qe4 35.Qb3 b5

36.Qxb5 Qxe3+ 37.Kf1 Qf3+ 38.Kg1 Qe3+ 39.Kf1 g5 40.Ne2 Ne5

41.Qxb7 Nd3 42.Qc8+ Kg7 43.Qf5 Qd2 44.Nd4 Qe1+ 45.Kg2 Qe3

46.Qd5 Qf2+ 47.Kh3 Qf1+ 48.Kg4 Nf2+ 49.Kf5 Qd3+ 50.Ke5 Ng4+

51.Kd6 Qxa3+ 52.Kc7 Qe7+ 53.Kc8 Ne3 54.Qb5 Qe4 55.Qb2 Kg6

56.Qb6+ f6 57.Ne6 Nc4 58.Qa6 Ne5 59.Nc7 Qc2 60.Qd6 Qxh2

61.Nd5 Qf2 62.Kb7 Qxg3 63.Qxf6+ Kh5 64.Qe6 Ng4 65.Ne7 Qf3+

66.Kc8 Kh4 67.Nf5+ Kh3 68.Kd8 h5 69.Qg6 Ne5 70.Qe6 Ng4

71.Qg6 Ne5 72.Qe6 Qd3+ 73.Nd4+ Ng4 74.Qd5 Nf2 75.Kc8 h4

76.Qe5 Qe4 77.Qf6 Qf4 78.Nf5 Ne4 79.Qe6 Qg4 黒投了

(この章続く)

2010年04月11日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(178)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 しかし第10回戦でケレスはタリから2勝目をあげた。単にタリの捨て駒を全部ありがたくちょうだいし平然と強襲をはねのけた。一座がテントをたたんでザグレブに移動した時にはタリは首位から半点引き離されていて得点はケレス10点、タリ9½点、ペトロシアン8½点、グリゴリッチ8点、スミスロフ6点、フィッシャー5½点、ベンコー5点、オラフソン3½点になっていた。

 タリ以外の全員に対して拮抗していたフィッシャーは競技会のザグレブの部の初めのペトロシアン戦で大乱戦の収局になった。

 この局面で手番のペトロシアンは 35…a1=Q とクイーンを作りフィッシャーが 36.h7 と指して以下のように進んだ。36…Qd6?(36…Ne2+ 37.Kf2 Nxg3 と指せば白は 38.Qb8+ で引き分けにしなければならなかった)38.h8=Q Qa7 39.g4 Kc5! 39.Qf8(39.Qh2!)39…Qae7 40.Qa8 Kb4! 41.Qh2 Kb3!

ここで試合が指しかけになった。白の封じ手は 42.Qa1 だった。試合が再開された時ペトロシアンは自陣の改善を続けた。42…Qa3 43.Qxa3+ Kxa3 44.Qh6 Qf7! 45.Kg2 Kb3 46.Qd2 Qh7! 47.Kg3 Qxe4! 48.Qf2? Qh1!

ここでフィッシャーは引き分けを申し込んだ。「彼が受けないのではないかと思っていた。・・・しかし引き分けに持ち込もうとあれほど必死に戦った後では心理状態を再調整して勝ちを目指して指し始める用意は明らかにできていなかった。だから・・・引き分けになった。」

(この章続く)

2010年04月10日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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「ヒカルのチェス」(162)

「L’Italia Scacchistica」2009年11月号(1/1)

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最新ニュース

マウロ・バルレッタ

 白の手番でどう指したか

ナカムラ対バシエ=ラグラーブ
サンセバスティアン、2009年

 白の手番

44.Re3! 1-0!

 黒は簡単にポーン損を回復する代わりに投了した。明らかにこれには背後に何かある。実際その先を読んでみるとルーク交換の後でbポーンとcポーンの進むのが速い。

 一例は次のとおりである。44…Rxe3 45.Kxe3 Bxg4 46.b5 Bc8 47.c4 Kf8

48.c5 Ke7 49.b6 Bb7 50.Be4 Bxe4 51.Kxe4 Kd7

52.Kf5 f6 53.b7 Kc7 54.c6 Kb8

55.Kxf6 g4 56.Ke7 Kc7 57.b8=Q+ Kxb8 58.Kd7

要は黒は相手を認めている証として投了したということなのである。さわやかな終局だった。

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(この号終わり)

2010年04月09日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(177)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 第2巡の第1回戦でタリはスミスロフとまた対戦しみごとに前回の負けの雪辱を遂げた。

カロカン防御
白 タリ
黒 スミスロフ

1.e4 c6 2.d3

 この手に触発されたこのシステムは本局以降ある程度の人気が出たがタリに関してはそうでなかった。彼はボトビニクのカロカンに対する有力な戦型を見つけようと躍起になることがあったがこのシステムは二度と用いることはなかった。白の意図は明らかに色が逆のキング翼インディアンの陣形である。

2…d5 3.Nd2

3…e5

 今日最も普通の手順は 3…g6 4.g3 Bg7 5.Bg2 e5 6.Ngf3 Ne7 7.O-O O-O

で、ここからは 8.Re1 d4 9.a4 c5 10.Nc4 Nbc6 11.c3 Be6 12.cxd4 Bxc4 13.dxc4 exd4 14.e5! +/=(フィッシャー対ヒューブナー、パルマ・デ・マジョルカ、1970年)

や 8.b4!? a5 9.bxa5 Qxa5 10.Bb2 d4 11.a4 Qc7 =(シュテイン対ホルト、ロサンゼルス、インターゾーナル順位決定戦、1967年)という実戦例がある。

4.Ngf3 Nd7 5.d4

 しかしこの手はもちろんまったく一貫性がなく黒は造作なく互角の形勢にできる。

5…dxe4

 5…Ngf6 は 6.Nxe5 Nxe5 7.dxe5 Nxe4 8.Nxe4 dxe4 9.Qxd8+ Kxd8 10.Bg5+ Be7 11.O-O-O+

で白が優勢である。しかし単純に 5…exd4 6.Nxd4 Ngf6 で黒が十分である。

6.Nxe4 exd4 7.Qxd4 Ngf6 8.Bg5 Be7 9.O-O-O O-O 10.Nd6

 タリは明らかに布局からの大きな優位と彼特有の才能が発揮されるような局面を実現した。彼は本譜の手を指した時すでにこの先に現れる駒捨てを見越していたに違いない。

10…Qa5 11.Bc4

 11.Kb1 はもちろん 11…Bxd6 12.Qxd6 Ne4 -+ でだめである[訳注 13.Bd2 で受かっています]。実戦のビショップ出もaポーンを守ることはできない。なぜなら 11…b5 に対して 12.Bb3 は 12…c5 から 13…c4 でビショップを殺されるからである。

11…b5 12.Bd2

12…Qa6

 12…Qa4 の方が積極性に欠けるが次のように安全である。13.Nxc8 Rac8 14.Bb3 Qxd4 15.Nxd4 Nc5 これで黒も指せる局面である。

13.Nf5 Bd8

 13…Bc5 は 14.Qh4 bxc4 15.Bc3 で白の猛攻が待っている。

14.Qh4 bxc4 15.Qg5

15…Nh5

 15…g6 に対する応手は 16.Bc3 Qxa2 17.Qh6 ではない。なぜならその後 17…gxf5 18.Rxd7(18.Ng5 Ba5!)18…Bxd7 19.Qg5+ Kh8 20.Bxf6+ Bxf6 21.Qxf6+ Kg8

で白は千日手にするしかないからである。正着は 16.Bc3 Qxa2 17.Nh6+! Kg7 18.Nh4!

で、二通りの変化がある。
Ⅰ18…Re8 19.Rde1! Re6 20.Ng4 Qa1+ 21.Kd2 Qa6 22.Qh6+ Kg8 23.Rxe6 fxe6 24.Nxg6! Ne4+ 25.Ke2 Nxc3+ 26.bxc3 hxg6[訳注 黒は他の手、例えば 26…Qa5 と指せば勝勢のようです]27.Qxg6+ Kf8 28.Nh6

これで白の攻撃が決まって勝ちになる[訳注 28…Ke7 で千日手引き分けのようです]。
Ⅱ18…Qa1+ 19.Kd2 Qa6 20.N4f5+ Kh8 21.Ke2! Re8+ 22.Kf1

これで白が勝つ。

16.Nh6+ Kh8 17.Qxh5

17…Qxa2

 この手が敗着になった。ここは 17…Bf6! で次のように受かっていた。18.Bc3! Bxc3 19.Ng5! g6 20.Nhxf7+ Rxf7 21.Nxf7+ Kg7 22.Qf3 Bf6 23.Nd6

ここで 23…Qxa2 と取れば 24.Ne8+ Kf7 25.Rxd7+ Kxe8 となって白はちょうど永久チェックをかける余力が残っている(26.Qxf6 Kxd7)[訳注 黒キングがクイーン翼に隠れて勝勢のようです]。

18.Bc3 Nf6 19.Qxf7!

 これで白の勝ちが決まった[訳注 黒は 18…Bf6 でまだ受かっていたようです]。

19…Qa1+ 20.Kd2 Rxf7 21.Nxf7+ Kg8 22.Rxa1 Kxf7 23.Ne5+ Ke6 24.Nxc6 Ne4+ 25.Ke3 Bb6+ 26.Bd4 黒投了

(この章続く)

2010年04月09日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(176)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 1959年の挑戦者決定競技会はユーゴスラビアの3都市、ブレッド、ザグレブ、べオグラードで8月29日から始まった。8選手が各相手と4戦ずつ対局することになっていた。第1回戦でタリはスミスロフに、ケレスはフィッシャーに共に負けたがすぐにこの二人が優勝争いをすることが明らかになっていった。第1巡が終わったところでタリ、ケレスおよびペトロシアンが4½点で同点首位に立ち、グリゴリッチが3½点、スミスロフ、フィッシャーおよびベンコーが3点、最下位のオラフソンが2点で続いていた。フィッシャーの試合はむらがあったが第4回戦ではグリゴリッチ相手に目の眩むような指し回しを見せた。

シチリア防御
白 フィッシャー
黒 グリゴリッチ

1.e4 c5 2.Nf3 Nc6 3.d4 cxd4 4.Nxd4 Nf6

5.Nc3 d6 6.Bc4 Bd7 7.Bb3 g6 8.f3 Na5

9.Bg5 Bg7 10.Qd2 h6 11.Be3 Rc8 12.O-O-O Nc4

13.Qe2 Nxe3 14.Qxe3 O-O 15.g4 Qa5 16.h4 e6

17.Nde2 Rc6 18.g5 hxg5 19.hxg5 Nh5 20.f4 Rfc8

21.Kb1 Qb6 22.Qf3 Rc5 23.Qd3 Bxc3 24.Nxc3 Nxf4

25.Qf3 Nh5 26.Rxh5 gxh5 27.Qxh5 Be8 28.Qh6 Rxc3

29.bxc3 Rxc3 30.g6 fxg6 31.Rh1 Qd4 32.Qh7+ 黒投了

(この章続く)

2010年04月08日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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世界のチェス雑誌から(67)

Olympiad United! Dresden 2008(3/8)

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ヨーロッパのチェス侍(続き)
セルビア人の日本コーチ体験


日本チームの主将の小島慎也

もはや「第三世界」のチェスではない

 だからチェスの「第三世界」の国々のうち日本が急速かつ継続的に発展途上にあることは疑いない。一つの理由はストヤノビッチのようなトレーナーが知恵と知識を進んで共有してくれるためであるが、技術の急速な進歩の方がはるかに影響が大きい。「10あるいは15年前は可能でなかったが今日では世界中の選手たちがあらゆる種類のチェスの情報に接することができる。このことはドレスデン・オリンピアードでの我々の試合から最も明らかである。例えば日本対ボツワナの全試合で最も最新かつ流行しているチェスの定跡が用いられた。もちろん私は日本選手たちの使用する定跡は知っていたが、アフリカ選手たちが同様によく研究していたのにはとても驚かされた。今回のオリンピアードでは意外な結果が多かったが今日では当たり前のことに過ぎないと思う。チェスの世界はすでに変貌を遂げていて、もはや「第三世界」と伝統的なチェス強国との間に質の差は存在しない。実際違いがあるとすれば微妙な差でしかない。」セルビアのグランドマスターは2008年の11月に初めて日本チームの監督としてデビューした。しかし彼自身のトレーナーとしての経験はもっと前にさかのぼる。ストヤノビッチは2006年のトリノ・オリンピアードでセルビアとモンテネグロの女子チームを訓練した。そして2007年のクレタ島でのヨーロッパ団体選手権ではセルビアの男子チームの準備を担当した。彼は分析能力と親しみやすい態度を高く評価されているが、自国の最強選手の一人でもある。実際2007年7月のレイティング一覧では2601でセルビアの第2位だった。自国のために指す機会がなかった唯一の理由はその期間に国際団体競技会がなかったためだった。そこで彼は新たな挑戦を探して「日の昇る国」で新しい任務を見つけた。「私の選手たちと準備を始めたのはオリンピアードの二ヶ月くらい前だった。我々のトレーニングはヨーロッパから日本へインターネットを介して長距離で行なわれた。各選手に代表的な試合の棋譜を送るよう言いそれによって彼らの棋風を考察した。それで彼らの長所のみならず短所も把握することができた。それからオリンピアードの2、3週間前に東京に行き日本の最大の大会の「ジャパンオープン」を観戦した。そこで私の選手たちの対局を見ることができた。これによってお互いより良く知り合うことができた。」

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(この本続く)

2010年04月07日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(175)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 一方フィッシャーは欠陥のない棋風に成長していて、接近戦の技術に合わせて大局感の才能に磨きをかけ収局にも多くの時間をかけていた。彼とタリは共にアリョーヒンがやったように布局の熱狂的ともいえる研究家だった(フィッシャーは入手可能なソ連のチェス出版物をすべてむさぼり読んでいた)。しかしタリの布局のレパートリーが非常に広かったのに対しフィッシャーはかたくなに少数のお気に入りの戦法に固執しそれらが見事に粉砕されても使い続けることがあった。これは当初から彼のチェスに目立っていた自信の表れだった。例えばポルトロシュでフィッシャーはタリに真っ向から勝負を挑んだ。

ルイロペス
白 フィッシャー
黒 タリ

1.e4 e5 2.Nf3 Nc6 3.Bb5 a6 4.Ba4 Nf6 5.O-O Be7

6.Re1 b5 7.Bb3 O-O 8.h3 d6 9.c3 Nd7 10.d4 Nb6

11.dxe5 Nxe5 12.Nxe5 dxe5 13.Qh5 Qd6 14.Nd2 Be6 15.Nf3 Bxb3

16.axb3 Nd7 17.b4 Rfd8 18.Bg5 f6 19.Be3 Qe6 20.Red1 c5

21.Nh4 Bf8 22.Nf5 g6 23.Qg4 Kf7 24.Nh6+ Bxh6 25.Qxe6+ Kxe6

26.Bxh6 cxb4 27.cxb4 Rdc8 28.Be3 Rc4 29.Rd2 Rxb4 30.Rad1 Nf8

31.Rd6+ Kf7 32.Rb6 Rxb2 33.Rdd6 a5 34.Rb7+ Kg8 35.Rxf6 Re8

36.Rff7 Ne6 37.Rxh7 a4 38.Ra7 Ra8 39.Rhg7+ Kh8 40.Rh7+ Kg8 41.Rhg7+ 引き分け

(この章続く)

2010年04月07日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(174)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 ポルトロシュでの優勝者は2位のスベトザル・グリゴリッチ(1928年生まれ)に半点差をつけて13½-6½の成績を挙げたタリだった。3-4位にはベンコーとペトロシアンが入り5-6位にはフィッシャーとオラフソンが入った。最も意外な結果はベンコーかフィッシャーかそれとも最終戦でカルドーソに負けて挑戦者決定戦への進出を逃がしたダビッド・ブロンシュテインかはなんとも言えない。次の局面でブロンシュテインは交換損の代わりに1ポーンと異色ビショップを得てまだ負けを逃れることを期待していたようだが

41…Kf6 と指しカルドーソに42.Nxg5!(42…Nxg5 43.Bxg5+ Kxg5 44.h7)とすぐに咎められてしまった。ブロンシュテインは投了しそれと共に世界選手権争いに加わるのもこれが最後となった。

 タリが最も若い挑戦者候補群(インターゾーナル進出者のうち最年長は35歳のグリゴリッチだった)の先頭に立ったことは批評家たちによって複雑な受け止め方をされた。一つには彼の戦術能力は計り知れなかった(エーべは『接近戦の能力において彼はアリョーヒンをさえしのいでいるだろう』と婉曲に言わんばかりだった)。以前にブロンシュテインは次のように書いていた。「タリは素早くかつ深く読む能力において並ぶ者がない。それはほとんど何もないような局面で混沌とした状況を作り出すことによって試合を自分の得意な局面に誘導するやり方や、相手の手筋を予期し裏をかく能力においてそうである。」しかし彼の指し方には重大な欠陥があった。何年か前から「彼の指し方は非常に無造作で優勢の実現の仕方が不正確である」と言われていたがそれはまだある程度正しかった。彼はポルトロシュでも速く決めようとするあまり勝ちを逃がすことがあった。

 もっと高尚な批評家たちを本当にいらだたせたのは彼の手筋の哲学だった。他のほとんどのグランドマスターは捨て駒が成立すると読んだ場合に限りそうするが、タリはたとえ成立しないと読んでも喜んで捨て駒を行なった。それを咎める手を見つけるのは相手まかせだった。相手は見つけられないことが普通だった。しかし後で詳細な分析で咎める手が見つかると、当然ながらタリが幸運だったか格下の相手を脅して勝ったように見えた。だから挑戦者決定競技会の前夜にスミスロフがタリの棋風を不健全であり堂々と彼を負かすのがグランドマスターとしての自分の義務だと語ったと報じられた。

(この章続く)

2010年04月06日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス布局の指し方[6]

第1章 展開と戦術(続き)

1.6 ビショップの展開

 ビショップは動きが大きいおかげで展開にも色々な可能性がある。g5/g4またはb5/b4の位置では敵のキングまたはクイーンに対してナイトを釘付けにする。このような釘付けはその価値がかなり変動する。ある時は敵を守勢(古典的な例はルイロペスにおける白の 3.Bb5)に追い込むのに役立つかもしれないし、ある時は次の例のように敵に側面攻撃の弾みをつけるのに役立たせてしまうかもしれない。

 図8(黒番)

 白の直前の手は 7.Bg5 で、クイーンに対し黒ナイトを釘付けにしたところである。 7…h6 8.Bh4 白がビショップをf4に引けば 8…g5 でやはり白のキング翼に対する黒の襲撃に弾みがつく。8.Bxf6 は何の代償も引き出せずに黒に双ビショップの優位を与えてしまう。 8…Bg7 9.e4 g5 10.Bg3 Nh5

 図9(白番)

 黒の7手目と9手目はキング翼攻撃の準備である。白のc1のビショップは黒のポーン突きによってキング翼に追い込まれ交換される(黒の最後の手に注目)寸前である。白はこのように双ビショップの優位を与えたが、それによって弱体化した黒のキング翼につけこめることを期待している。これから分かってくるが、キング翼における黒の示威行動はgポーンとhポーンがさらに前進できる可能性があるので黒にとってうまくいく。この局面はマスターの実戦に少しだが現れている。実戦によれば黒のここからの攻撃は非常に強力なので既に大いに優勢である。

 ここからはあるマスターの実戦の手順をたどる。読者はほとんどの指し手の要点を理解しなくてもよい。この実戦例の目的は白がキャッスリングした後いかに容易に黒の攻撃態勢が構築されたかを説明し、先手で進んだポーンによって攻撃が行なわれる部分を示すことである。11.Bb5+ Kf8(キング翼のルークは攻撃に用いるためにh列においておく必要があるので黒はキャッスリングの権利がなくなることは気にしない)12.Be2(白の最善の手は 12.e5 とギャンビットすることである。この手は黒がキングを安全にすることができる前に中央を開けさせる)12…Nxg3 13.hxg3 Nd7 14.Nd2 Qe7 15.g4(黒ポーンの前進を止めることを期待した)15…a6 16.a4 Bd4!

(白キングの周りに圧力を加え、17…Qf6 としてf2での詰みと 18…Bxc3 19.bxc3 Qxc3 によるポーン得の可能性を準備している)17.O-O Nf6 18.Nc4 h5!

(これで攻撃が本格的に始まり短手数で試合が終わる)19.gxh5(白が 19.Nb6 hxg4 20.Nxa8 で駒得しようとすると 20…Qe5 で詰まされる)19…g4 20.Ne3 Nxh5(白はどうすることもできない。黒は 21…Qh4 と 21…Ng3 を狙っている)21.Bxg4 Qh4 22.g3 Nxg3 23.Kg2 Nxf1 24.Kxf1 Bxe3

ここで白が投了した。

 この攻撃がうまくいったのは白キングがf8で安全で、白が 12.e5! で筋を開けて黒キングの位置に付け込む機会を逃がしていたからである。もし既にキャッスリングしていたら …h6 から …g5 と突く贅沢はできそうにない。なぜなら自分のキングが薄くなって危険だからである。おおざっぱな指針として Bg5 による釘付けは敵キングが既にキング翼に位置していたら有利になる公算が大きいということができる。クイーン翼についても同じことが言える。

 Bg5 による釘付けの他の側面についてはナイトの展開の節で議論ないしは言及した。

 c4またはf4にいるビショップはh2/a2からb8/g8への斜筋に利きを及ぼしている。eポーン布局ではc4に展開したビショップはこの利きが効果的であることが多い。その理由はf2/f7の弱点の節で明らかになる。dポーン布局ではビショップがf4に展開するのはそれほど見かけない。それは相手のキングがクイーン翼にキャッスリングしない限りh2からb8への斜筋はそれほど重要でないからである。

 キング翼ビショップをc4に展開する時にはこのビショップを …Na5 で攻撃する手が相手の有利になるか(または将来そうなるか)どうかを考える必要がある。チェスでの最も基本的な質問の場合のように答えは局面の正確な特性により、何にでも当てはまる答えはできない。しかしこのような局面で相手の …Na5 の得失を見極めようとする時に自問してみるとよい二つの問いを挙げることはできる。

 (1)ビショップがd3またはe2に下がったとき相手のa5のナイトが良い位置にいるといえるかどうか。後でこのナイトがc4の地点に行けるのでなければ、答えはほとんど常に「いえない」。なぜならそうでなければナイトは元来たc6の地点に戻るしかないからである。シチリア防御から生じる多くの局面でまず …b5、…Rc8、…Qc7 のどれかまたは全部でc4の地点を支配してナイトをそこに置くことは可能となる。その場合でもc4のナイトがほとんど何も役立たないというのは時折起こることである。

 (2)ビショップがb3に下がった場合 …Nxb3 による交換でどちらかが優勢になるか。通常この交換で一方の選手が双ビショップの優位を手に入れる。他方はaポーンでナイトを取り返すことによりa列が自分の方にだけ素通しになって敵のaポーンに圧力をかけることになると共に、クイーン翼のルークを Ra4 で中原やキング翼に素早く回す可能性が生じる。これらの要因はどちらも交換の短期的な効果と合わせて考えなければならない。その時初めて正確な評価が可能となる。

 ほとんどの場合強手となるもっと重要な反撃は「両当たり仕掛け」として知られる戦術の手段で、通常は黒によって用いられる。両当たり仕掛けは手始めに次の図で示されるような配置が必要である。

 図10(黒番)

 黒のdポーンがd7にあるかd6にあるかは重要ではなく黒は …Nxe4! と指す。白が Nxe4 と取れば黒は「捨てた」駒を …d5 でビショップとナイトの両取りにして取り返す。両当たり仕掛けの着想は敵の中原の清算に結びついている。白は中原の4地点に2個のポーンがあり、2個の駒で中原を支えている。両当たりの捌きが完了すると白にはポーンの1個と駒の1個が交換されている。白の中原の支配は大きく縮小した。実戦で効果的な両当たり仕掛けの次の例はグランドマスター同士のリュボエビッチ対ドナー戦である。この試合は次のように始まった。1.e4 d6 2.d4 Nf6 3.Nc3 g6 4.f4 Bg7 5.Bc4 Nxe4!

 図11(白番)

 黒に両取り仕掛けをされた場合白のとるべき道は二つに一つである。それは前述の例題にあるようにナイトで取るか、まず黒キングの状態を弱めておくかである。本局でリュボエビッチがとった方針は二番目の方であった。6.Bxf7+ Kxf7 7.Nxe4

これで駒割が互角に戻った。しかし黒には双ビショップの優位があり白の中原は2手前ほど強力でない。黒の方から見てこの応酬の唯一の不利な点はキングが明らかに不安定なことである。しかしこの問題点は造作なく解決できる。実戦は次のように続いた。7…Re8 8.Nf3 Kg8 9.O-O Nd7 10.c3 b6 11.Qb3+ e6 12.Nfg5 Nf8

これで白に優位はない。

 e3またはd3にいるビショップは通常は攻撃を恐れることなく中原を支援することができる。3段目にいるビショップが一番よく攻撃されるのはg4に跳んできた敵のナイトによってである。通常は …Ng4 から …Nxe3 という手順は f3 または h3 によって防ぐ。しかし時にはこの捌きをやらせることがある。それは …Nxe3 のあと fxe3 と取り返すとポーン中原が強化され、少なくともビショップをナイトと交換した「損」に見合った代償となるからである。白はシチリア防御のカン/タイマノフ防御(第6章参照)で両方のビショップを三段目に展開することがよくある。

 ビショップを3段目に展開する一つの指針、実際には行動規範とも言うべきものは「まだ動いていないeまたはdポーンの前の3段目にビショップを展開するな」である。中央列のポーンは中原を占拠したり支援を加えたり、駒の展開のために進路を開けたりするために自由に動けるようにすべきである。

 e2/e7とd2/d7は通常は守りのためにビショップが占める位置である。これはそのようなビショップの利きが3段目のナイトによって制限されるためでもある。この「規則」に対する最も有名な例外はシチリア防御の多くの戦型で見られる。そこでは白のe2のビショップが中盤で攻撃と防御の両用によく用いられる。例えばドラゴン戦法(第6章)では白の 7.Be2 がe3のビショップを攻撃してくる黒の …Ng4 を防ぎ、あとで g4 突きを支援する。

(この章続く)

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カテゴリ: チェス布局の指し方

チェス世界選手権争奪史(173)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 1957年にはジュニア選手権を連覇しクリーブランドでの米国オープンも制した。この時までにはモーフィー、カパブランカそれにレシェフスキーの同じ頃と比較しても同程度かそれを上回る強さの超弩級(ちょうどきゅう)の天才であることが誰の目にも明らかだった。しかし次に何が起こるかは誰もまったく考えつかなかった。フィッシャーは1957年から58年にかけてニューヨークで開催された米国選手権戦でレシェフスキーと米国の他の最強選手たちを押さえて優勝した。この選手権戦はゾーナルも兼ねていたのでフィッシャーはレシェフスキーと共に来るべきポルトロシュでの競技会への出場権を得た(レシェフスキーは参加を辞退し代わりに第3位のジェームズ・T・シャーウィンが権利を得た)。

 他のゾーナル競技会でも意外な進出者が出た。ヨーロッパでの三つのゾーナルをほぼ同じ強さにするためにそれぞれ三つの地域すべてから参加者を集めた。ダブリンで開催された第1地域(元西ヨーロッパ)のゾーナルからは当時ハンガリーにいたパル・ベンコーがゾーナル突破の一人だった。彼はその時までほとんど国際的に無名だったがその後まもなく西側に亡命し(彼は鎮圧された1956年のハンガリー動乱に加わっていた)インターゾーナルは当時無国籍だったのでFIDEの旗の下で対局し挑戦者決定競技会は新しく取得した国籍の米国の旗の下に対局した。オランダのワーヘニンゲンで開催された第2地域からは二人の若い北欧人のアイスランドのフリドリック・オラフソン(1935年生まれ)とデンマークのベント・ラルセン(1935年生まれ)が代表になった。新設されたアジア太平洋地域からはフィリピンチャンピオンのルドルフォ・タン・カルドーソが進出した。彼は前年にコカコーラ社が主催したボビー・フィッシャーとの番勝負で6-2で敗れていた。そしてポルトロシュでは19位に終わったがその大会の結果に重要な役割を果たした。

(この章続く)

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チェス世界選手権争奪史(172)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 ポルトロシュ競技会の開始に先立って誰からも最強の参加者と目されていたのはタリだったが最も注目を集めていたのは15歳の米国チャンピオンのボビー・フィッシャーだった。ロバート・ジェームズ・フィッシャーは1943年3月9日にイリノイ州シカゴで生まれた。2歳頃に両親が離婚しボビーと7歳の姉ジョーンの養育は母のレジーナの手に委ねられた。彼女は最初アリゾナで教師をして家計を支えそれからボビーが5歳頃にニューヨークのブルックリンに引っ越した。母親が勤めに出ている間ボビーの世話はほとんど姉の役目だった。彼女はモノポリー、パチージ[訳注 インドすごろく]、チェスなどいろいろなゲームを菓子屋から買ってきてボビーの気を紛らわせようとした。ボビーが一番熱中したのはチェスだった(これはかなり幸運だった。もっともモノポリーがどのくらい好きだったかは分からないがそのようなゲームは社会的にはあまり受け入れられていない)。それから2年後に母親が今はなくなったブルックリン・デイリーイーグル紙の当時80歳代のチェス欄担当のハーマン・ヘルムズに手紙を出して自分の息子の相手になってくれるような若いチェス選手を紹介してくれないかと頼んだ。ヘルマンは彼女にブルックリンの公共図書館別館で元スコットランドチャンピオンのマックス・ペービーによる同時対局が開催されると教えた。フィッシャーはペイビーの同時対局に参加し15分ほどで負かされた。しかしその晩にブルックリンチェスクラブに勧誘された。そこで数年間めざましくはないが着実に上達した。そしてマーシャルチェスクラブとマンハッタンチェスクラブにもよく行くようになった。そこでベテランマスターのジョン・W・コリンズと出会った。彼は既に米国の最強の若手選手たちの指導者となっていてその中にはロバート・バーンとドナルド・バーンの兄弟、ウィリアム・ロンバーディ、レイモンド・ワインスタインがいた。コリンズの指導の下ボビーの上達は驚異的だった。1956年にフィラデルフィアで開催された米国ジュニア選手権戦に優勝し、数週間後の米国オープンでは同点4位に入った。ジュニア選手権優勝により同じ年に毎年ニューヨークでクリスマスにかけて開催されていたローゼンワルド杯大会に招待された。そして12人中8位になった。

(この章続く)

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チェス世界選手権争奪史(171)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 1958年にリガで開催された第25回全ソ連選手権戦はゾーナルも兼ねていた。そして僅少差にせよタリが前年の快挙を再現したことに地元のファンは大喜びした。大会のほとんどはペトロシアンが首位を走っていた。タリがやっと追いついたのは最終戦の前の回だった。最終戦でペトロシアンはアベルバッハと短手数で引き分けた。一方タリはスパスキー相手に非常に悪い局面をかろうじて持ちこたえていた。インターゾーナルへの進出を確保するためにはスパスキーも勝たなければならなかった。そして最初の規定手数の時にはそれがほとんど確実のように思われた。スパスキーはインタビューでその時の心境を次のように語っている。

 『指しかけになったとき形勢は私の方が良かった。しかし分析で非常に疲労していて翌朝の再開にはひげをそらないまま臨んだ。重要な対局の前には私はいつも風呂に入り非常にきれいなシャツとスーツを着て、全体的に上品に見えるようにしていた。しかしこの時はずっと指しかけの局面を考えていて対局に行ったときは髪はぼさぼさで疲れ切っているありさまだった。その時の私は頑固なラバのようだった。タリが引き分けを申し込んだことを覚えているが私は断わった。それからは私の力が抜けていくのを感じていた。そして私は試合の筋道が分からなくなった。私の形勢が悪くなっていった。引き分けを申し込んだがタリは拒否した。私が投了したとき割れんばかりの拍手が起きた。しかし私はぼうっとしていて何が起きているのかほとんど理解できなかった。私は世界が破滅したと信じた。何か非常にとんでもないことが起きたように感じられた。この試合のあと私は通りに出て子どものように泣いた。』[カファーティ著『スパスキーの100名局』からの引用]

 1958年にユーゴスラビアのポルトロシュで開催されたインターゾーナルへのソ連の代表にはタリとペトロシアンに加えてダビッド・ブロンシュテインとユーリー・アベルバッハが加わっていた(スミスロフとケレスは挑戦者決定競技会にシードされていた)。スパスキーが再び世界タイトルに挑むのは1965年まで待たなければならなかった。

(この章続く)

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「ヒカルのチェス」(161)

「CHESS」2009年12月号(4/4)

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古豪対新鋭(続き)

ジェイコブ・アーガード

白 A.ベリヤフスキー(2662)
黒 H.ナカムラ(2710)

第3回戦

1.d4 Nf6 2.c4 g6 3.Nc3 Bg7 4.e4 d6 5.Nf3 O-O 6.Be2 e5 7.O-O Nc6 8.d5 Ne7 9.Nd2

9…Ne8?!

 ミハイル・ゴルベフとマーク・へブデンがよく用いるこの激しい武器は長い間指されてきたがその間良い結果を収めてきたわけではない。9…a5 10.a3 Nd7 11.Rb1 f5 12.b4 Kh8 という手順の方が好まれていて、白が優勢ではないことが知られている。実戦の手順は白の攻撃がクイーン翼で邪魔されることなく突き進むので劣っている。要するに白の進攻が速すぎるのである。

10.b4 f5 11.c5 Nf6 12.f3 f4 13.Nc4 g5 14.a4 Ng6 15.Ba3 Rf7 16.a5 h5 17.b5 dxc5

18.b6!

 たぶんこの手がここでは最強手である。黒は序盤からたちまち苦戦に陥っているように見える。18.Bxc5 も指されていてやはり白が優勢のはずだが次のような愉快な実戦例もいくつかある。18…g4 19.b6 g3 20.Kh1 Nh7

21.Nb5(21.d6 Qh4 22.Bg1 Bh3 23.bxc7? Bxg2+ !! 24.Kxg2 Qh3+ !! 25.Kxh3 Ng5+ 26.Kg2 Nh4+ 0-1

フタツニク対ツビタン、ドイツ、1997年)21…Qh4 22.Bg1 Bh3!? 23.gxh3!(ツビタンはなんと次のようにこの手筋をもう1回指す機会を与えられた。23.Re1? Bxg2+ !! 24.Kxg2 Qh3+ !! 25.Kxh3 Ng5+ 26.Kg2 Nh4+ 27.Kf1 g2+ 28.Kf2 Nh3#

エピシン対ツビタン、スイス(ブリッツ戦)、1997年)23…Qxh3(23…axb6 は 24.d6! で白が優勢)24.Rf2 gxf2 25.Bxf2 axb6 26.d6!

クイーン翼の白の主導権は強固で、戦力的には損でも白の方が大いに有望だと思う。

18…g4!?

 全軍突入せよ-あの超早指しの指し方はナカムラが有名である。しかしこの局面では彼の有利になる変化は何もなかった。例えば 18…axb6 は 19.axb6 c6(19…cxb6 は 20.Qb3 Ra6 21.Rfb1 Nd7 22.Nb5 で明らかに陣形的に白が優勢)20.dxc6 Qd4+ 21.Qxd4 cxd4 22.Nd6!

で白の勝勢になる。

19.bxc7 Rxc7 20.Nb5

20…g3!?

 20…Rf7 は 21.Nbd6 で無意味である。

21.Nxc7 Nxe4!

22.Ne6?

 この手は当然のように見えるが実際は大きな見損じによるものだった。

 22.fxe4?! もやはり当然の手のようだがこれもまた最善手ではない。次のように鮮やかな一本道の手順が待っている。22…Qh4 23.h3 Bxh3 24.gxh3 Qxh3 25.Rf2 gxf2+ 26.Kxf2 Qg3+ 27.Kf1

ここで一服して有力な手を見つけるのが良い。

a)27…Qh3+ ?! このチェックは愚かである。わざわざ白キングにキング翼から立ち退かせてやることはない。それでもピョートル・スビドレル、フリッツそれに私自身(この解説の初稿で)も推奨していた。28.Ke1 Qc3+ 29.Qd2 Qxa1 30.Bd1

となって白が戦力的に得をし形も良い。黒が負けそうだしそれも惨敗しそうである。

b)27…f3! 28.Nxa8 fxe2+ 29.Qxe2 Nf4 30.Qe3 Qg2+ 31.Ke1 h4!!

これで黒の反撃は無視できない。しばらくこの局面を分析したがはっきりした結論は出なかった。白が良いのか、それとも互角なのか。それは二つの強大な軍隊がでこぼこのシーソーの上に立ってバランスをとろうとしているようなものである。

 本譜に戻って正着は2段目を守る 22.Qc2! という絶妙手である。この手はこれまでの手よりはるかに複雑である。だからはっきりしたことは何も言いたくない。しかし白が勝勢になるようである。(22…Qh4 23.h3 Bxh3 24.gxh3 Qxh3 25.Bd3 は黒がでかしていない。22…gxh2+ も 23.Kxh2 Ng3 24.Nxa8 e4 25.Bxc5 Bxa1 26.Nd6 で白の勝勢のようである。)

22…Bxe6 23.dxe6 gxh2+ 24.Kxh2 Qh4+ 25.Kg1 Ng3

 たぶんちょっと驚くかもしれないが黒にはルーク損の確かな代償がある。それは白キングに対する直接的な狙い、それに …e4 と突いてビショップの斜筋を開けると共に …e3 と突く可能性があるためである。

26.Bxc5

 こう指して何も悪いことはない。ただ白は 26.Ra2 または 26.Re1 と指すこともできて互角の戦いになる。

26…e4!

27.Ra4!

 27.Ra2 でも互角だが 27.Re1?! は良くない。27…Qg5! 28.Bf2 Bxa1 となって黒が優勢である。29.Qxa1? は 29…Nxe2+ Rxe2 30.exf3 で黒の勝勢である。

27…Rc8

 27…Qg5!? と指すのも面白かっただろう。白は 28.Bxa7! Rxa7 と指しておかなければならず、この後 29.Nd6!? または 29.Nd2 Qc5+ 30.Kh2 Nxf1+ 31.Nxf1 e3 32.Qd8+ Kh7 33.Re4

で非常に難解な局面になる。

28.Bxa7?

 この手が敗着になった。ベリヤフスキーは黒のポーン突きを見落としたに違いない。28.e7!? なら互角だった。28…Nxe7 29.Nd6! exf3(29…Rxc5? は 30.Nxe4 で急に白が良くなる。)30.Qb3+(30.Bxf3 でもよい。)30…Kh8 31.Nf7+ でチェックの千日手である。また 28.Nd6!? でも全然問題なさそうだがベリヤフスキーはまだ勝とうとしていたのではないかと思う。

28…b5!!

 ベリヤフスキーはこの手を見落としたのに違いない。29.axb6e.p. は 29…Bd4+! ですぐに詰みになるのが要点である。

29.Rb4

 29.Ra3!?(何かの時にこのルークでf3を取れるように)も可能だった。たぶんこの手に対する最強の手は 29…Rd8! で、30.Qe1 bxc4 31.Bxc4 Rc8! または 30.Qc2 bxc4 31.Bxc4 Rc8! 32.e7+(32.Re1 e3 33.Raxe3 fxe3 34.Bxe3 Ne7 は黒の駒得が大きすぎる。)32…Kh7 33.e8=Q Rxe8 34.fxe4 Ne5

で白キングの安全に良い前兆ではない。白にはいろいろと負ける手がある。

29…bxc4

 29…Rd8!? でも次のように勝ちになる。30.Qc2(30.Qe1 Bc3! もきれいである。)30…exf3 31.Rxf3 Rd1+ !! 32.Qxd1 Qh1+ 33.Kf2 Ne4#

30.Bxc4

 30.Rxc4 は 30…Rd8! 31.Qc2 Qh1+ 32.Kf2 e3+ 33.Ke1 Nxf1 34.Bxf1 Qh4+

できれいに詰まされる。

30…Qh1+?!

 ナカムラは何か勘違いして必殺の 30.e3! を指すのを止めたのではないかと思う。このあと 31.e7+ Kh8 32.Bxe3 fxe3 33.Qd8+

となった時 33…Rxd8 34.exd8=Q+ Qxd8! と戻ればよいだけのことである。

31.Kf2 e3+ 32.Bxe3 fxe3+ 33.Kxe3

33…Nxf1+

 もっと複雑だがもっとはっきり勝ちになる手順は 33…Nf5+! 34.Ke4 Qh2! 35.f4 Qxg2+ 36.Qf3 Qc2+ 37.Bd3 Qc6+

である。

34.Bxf1

 34.Qxf1 は 34…Qh4 35.Kd2 Qe7 で黒の勝ちの局面だが本譜よりは苦労させられる。

34…Qg1+ 0-1

 ここで白が投了した-がたぶん少し早すぎる。35.Ke2 Qc5 36.Qb3 Kh8 で黒の勝ちは確かだろうが白が終わりにしてしまうのにはもったいない。

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(この号終わり)

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チェス世界選手権争奪史(170)

第8章 タリとペトロシアン

 ボトビニクとスミスロフが象徴的のみならず文字どおり舞台の中央を席巻していた年月にもその陰では多くの動きがあった。特に堅実でかなり地味な主役たちと大きく異なる二人の新しい登場人物がめざましく台頭してきた。それはミハイル・タリとボビー・フィッシャーである。

 ミハイル・ネヘミェビッチ・タリは1936年11月9日にラトビアのリガで生まれた。フィッシャーより7歳年長である。8歳の時にチェスを覚えすぐにリガの少年宮のチェスクラブに入って熱中した。13歳の時までにめざましく上達してラトビアの中心選手のアレクサンドル・コブレンツから注目された。彼はずっとタリのトレーナーかつ親友となった。タリは1953年にラトビア選手権戦に優勝し1954年にはマスター位をかけたサイギンとの14番勝負に8-6で勝った。1956年にはリガでの第23回全ソ連選手権の予選決勝で1位になった。本戦では5回戦を終わったところで二ヶ月若いソ連の最年少グランドマスターのボリス・スパスキーと共に首位に立っていた。しかし二人の対戦ではタリが負かされ結局同点5位に甘んじなければならなかった。

 1957年の第24回全ソ連選手権戦はタリの大活躍の始まりだった。辛うじて本戦に進出できたあと20歳で最年少の全ソ連チャンピオンになった。これはかつてボトビニクが1931年に初めて全ソ連チャンピオンになった時より三ヶ月若かった。さらに同じ年の夏にレイキャビクで開催された学生チーム選手権戦でのめざましい活躍により次のFIDE総会でグランドマスターの称号が授与された。彼はまだ国際マスターにもなっていなかったのでこれは特別の適用だった。

(この章続く)

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チェス世界選手権争奪史(169)

第7章 ボトビニク時代(続き)

 そのあと4局連続で引き分けが続いた。そしてそのたびにチャンピオンの防衛の可能性が小さくなっていくように思われた。第11局におけるスミスロフの劇的な復活も大勢に影響がないようだった。

グリューンフェルト防御
白 スミスロフ
黒 ボトビニク

1.d4 Nf6 2.c4 g6 3.Nc3 d5 4.Nf3 Bg7 5.Qb3 dxc4 6.Qxc4 O-O 7.e4 Bg4 8.Be3 Nfd7

9.Rd1(この戦法の解説については(164)を参照されたい。第4局で白番のボトビニクは 9.Be2 Nb6 10.Qc5 と指したが何も得られなかった。本譜の手の方が普通で好ましい)9…Nb6 10.Qb3 Nc6 11.d5 Ne5 12.Be2 Nxf3+ 13.gxf3 Bh5 14.h4(当時の新手)

14…Qd7 15.a4 a5 16.Nb5

(狙いは 17.Nxc7)16…Nc8 17.Bd4 Nd6 18.Bxg7 Kxg7 19.Nd4 Kg8 20.Rg1!

20…Qh3(20…f6 は 21.Ne6、20…Kh8 は 21.Qc3、20…c5 は 21.dxc6e.p. bxc6 22.Qc3 ですべて白が有利である)21.Qe3!

(狙いは 22.Qg5 Kh8 23.Qxe7)21…c5(21…e5!)22.dxc6e.p. bxc6 23.Qg5 c5 24.Nc6 黒投了

 しかし次の試合でボトビニクが勝ち7½-4½とリードしたまま折り返した時スミスロフの世界選手権の君臨は終わったことが誰の目にも明らかだった。残りの試合で若いチャンピオンが若干差を詰め、番勝負がもっと長かったらボトビニクが差を維持できなかったかもしれないと思わせたが、最終的には途中のリードが覆らず最終成績がボトビニクの12½-10½で終わった。

(この章終わり)

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