チェス世界選手権争奪史の記事一覧

チェス世界選手権争奪史(138)

第6章 1948年の世界選手権競技会(続き)

 第1巡が終わったところでボレスラフスキーが6-3で首位にたちケレスに½点差をつけていた。若いブロンシュテインはスミスロフ戦の負けにより遅れをとっていた。

クイーン翼ギャンビット拒否
白 スミスロフ
黒 ブロンシュテイン

1.d4 d5 2.c4 c6 3.Nf3 Nf6 4.Nc3 e6 5.Bg5(この反メランギャンビットは1945年の米国対ソ連無線チェス対抗戦でボトビニクがアーノルド・デンカーに勝った有名な試合により流行した。11手目の解説を参照。)5…dxc4

6.e4(1951年の世界選手権戦第24局で白番のブロンシュテインはボトビニクに対し 6.a4 と指し次のように進んだ。6…Bb4 7.e4 c5 8.Bxc4 cxd4 9.Nxd4 h6(?) 10.Be3! Nxe4 11.O-O Nf6 12.Qf3 +/=

6…b5 7.e5 h6 8.Bh4 g5

9.Nxg5(局面は既に非常に難解になっている。実戦の手に加えて白には 9.exf6 と取る手もあり以下は 9…gxh4 10.Ne5! Qxf6 11.Be2 Nd7!

12.O-O-12.Nxc6 は 12…Bb7 13.Bf3 a6 14.O-O Bg7 で黒が優勢である-12…Nxe5 13.dxe5 Qxe5 14.Bf3 Qc7! =/+

また 9.Bg3 は 9…Nd5! 10.Nd2 Nd7 11.Nde4 Qa5 -/=

9…hxg5 10.Bxg5 Nbd7

11.g3(デンカー対ボトビニク戦は次のように進んだ。11.exf6 Bb7 12.Be2 Qb6 13.O-O O-O-O 14.a4 b4 15.Ne4 c5! 16.Qb1 Qc7 =/+

11…Bb7 12.Bg2

12…Rg8(1948年第16回全ソ連選手権戦のリリエンタール対コトフ戦では 12…Qb6 13.exf6 c5 14.dxc5 Bxc5 15.O-O O-O-O 16.Qe2 Bd4

と進みほぼ互角の形勢だった。ブロンシュテインの指した手は改良になっていない。)13.Bxf6 Nxf6 14.exf6 Qxf6 15.a4!

15…b4 16.Ne4 Qf5 17.Qe2 O-O-O 18.Qxc4 Bg7 19.Qxb4 Bxd4 20.O-O Qe5!

21.Kh1 a5 22.Qc4 Rh8

23.Rfe1(23.Rac1! Rd5 24.Nc3 Rc5 25.Qe2 Bxc3 26.Qxe5 +/=



23…Qh5?(23…Bxf2! 24.Nxf2 Qxg3 25.Ng4 Rdg8 26.Bxc6 Rxg4 27.Bxb7+ Kb8! 28.Qc8+! Rxc8 29.hxg3 Kxb7 30.Re3 Rc2 =/+

24.h4 Qg4 25.Qe2!

25…Qxe2 26.Rxe2 Kc7 27.Rc1 Rd5 28.Nc3 Rc5 29.Rec2 Kb6 30.Ne4 Rxc2 31.Rxc2 Rd8 32.Nd2!

32…Kc7 33.Nc4 Ra8 34.f4 f6 35.Kh2 e5 36.fxe5 fxe5 37.Be4

37…Bc8(37…c5 38.Bxb7 Kxb7 39.Kg2 +/-)38.Na3 Bd7 39.Nb5+ Kb6 40.Nxd4 exd4 41.Rc4 Rb8 42.b4!

42…Re8 43.bxa5+! Kc7 44.Rxd4 c5 45.Rc4 Bc6 46.Bxc6 Kxc6

47.h5 Kd5 48.Rc1 Re4 49.Kh3 Rxa4 50.h6 Rxa5 51.h7 Ra8 52.Kg4 Rh8 53.Rh1 c4 54.Kg5 c3 55.Kg6 c2 黒投了

(この章続く)

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チェス世界選手権争奪史(139)

第6章 1948年の世界選手権競技会(続き)

 競技会の第2巡でボレスラフスキーは好調を持続したがケレスは勢いを失った。そしてコトフとの試合で乱戦の中で一度失着を出して思いがけない負けを喫した時脱落したことが明らかになった。最終戦でボレスラフスキーは早々と引き分けにして少なくとも同点1位が確定した。ケレスと対戦中のブロンシュテインだけが彼に並ぶ可能性があった。

ルイロペス
白 ブロンシュテイン
黒 ケレス

1.e4 e5 2.Nf3 Nc6 3.Bb5 a6 4.Ba4 Nf6 5.O-O Be7 6.Re1 b5 7.Bb3 O-O 8.d4

 この手にはほとんど独自性がない。ここで指せばマーシャル・ギャンビット(8.c3 d5)を避けるいくつかの手段の一つにはなっている。しかしケレスは一度もマーシャル・ギャンビットを指したことがない。

8…d6

 8…Nxd4? は悪手で 9.Bxf7+ ! Kh8(9…Rxf7 10.Nxe5 Nc6 11.Nxf7 Kxf7 12.e5 Ne8 13.Qh5+ Kg8 14.Re3 +/-)

10.Nxe5 +/= となる。

9.c3 Bg4

 白が 8.c3 と指していたら 8…d6 のあともちろん 9.h3 で釘付けを防ぐ選択肢があった。白が永続的な主導権を維持するために 9.h3 と一手かける必要があるのかどうかは、それほど多く取り上げられるわけではないが、まだ結論の出ていない問題である。

10.h3

 白にはいくつか選択肢がある。Ⅰ10.d5 Na5 11.Bc2 c6 12.dxc6 Qc7! 13.Nbd2 Nxc6 14.Nf1 Rad8 15.h3 Be6 16.Ng5 d5! でねじりあいになる。

Ⅱ10.a4 Qd7! 11.d5 Na5 12.Bc2 c6 13.dxc6 Nxc6 14.h3 Bh5 15.Nbd2 Rac8! 16.Qe2 Nd4! で黒が優勢である。

Ⅲ10.Be3 は後で出てくる1962年ストックホルムでのフィッシャー対コルチノイ戦を参照。

10…Bxf3

11.Qxf3!?

 この手は新手だった。11.gxf3 は 11…Na5 12.Bc2 Nh5 13.f4! Nxf4 14.Bxf4 exf4 15.Qg4 Bh4 16.Qxf4 Qg5+

となって白が戦いに持ち込む機会のない局面になる(ボレスラフスキー対フロール、第17回全ソ連選手権戦、1949年)。

11…exd4 12.Qd1! dxc3 13.Nxc3 Na5 14.Bc2 Re8 15.f4 b4!

16.Nd5

 16.Ne2 は弱気の手で 16…d5 17.e5 Ne4 18.Bxe4 dxe4 19.Ng3 Bh4 =/+

16…Nxd5 17.Qxd5 c6 18.Qd3 g6 19.Kh1 Bf8 20.Rf1

20…Bg7?

 ボトビニクによると 20…d5! 21.e5 Nc4 22.b3 Na3 23.Bxa3 bxa3

で黒が少し優勢だった。

21.Bd2

21…c5

 ここでも 21…d5(22.Bxb4 Nc4)の方が戦える態勢だった。本譜の手で黒は …Nc6-d4 と捌くつもりである。

22.Ba4!

 その 22…Nc6 を防いだ。

22…Rf8 23.Rab1 Qb6 24.f5! Bd4 25.Qg3 Nc4 26.Bh6

26…Bg7

 26…Rfd8 には 27.Bb3! が強手で 27…Ne5 28.fxg6 hxg6 29.Rxf7!

で勝勢である。途中 27…d5 なら 28.Bxc4! dxc4 29.e5 から e6 となる[訳注 29…Qc7 で受かるようです]。黒の最善の受けは 26…Nxb2 で、一つの変化は 27.fxg6 hxg6(27…Nxa4 28.Rxf7!)28.Bb3 c4 29.Rxb2 Bxb2 30.Bxc4 d5 31.Bxd5 Rad8 32.Bxf8 Rxf8 33.Qb3 Be5 34.Bxf7+ Kg7

で白の1ポーン得はほとんど意味がない(クモッホの分析)。

27.Bxg7 Kxg7 28.f6+ Kh8 29.Qg5!

29…b3

 29…Qd8 なら白は 30.Rf4 Rg8 31.Rh4 Qf8 32.Rh6 から Qh4 で勝つ。

30.axb3 Qb4

31.bxc4

 31.Rf4 は 31…Qd2! でだめである[訳注 32.bxc4 または 32.Qh6 で白の勝勢のようです]。

31…Qxa4 32.Rf4 Qc2 33.Qh6! 黒投了

 4手詰みである。

 1950年コペンハーゲンでのFIDE総会でボレスラフスキーとブロンシュテインの12番勝負で優勝決定戦を行なうことが決められた。12局戦って同点ならばさらに2試合行ない、必要ならばさらにどちらかが最初に勝つまで1試合ずつ行なうことになった。息詰まるような14試合のあとブロンシュテインがボトビニクの最初の公式挑戦者として名乗りをあげた(最終結果はブロンシュテインの3勝2敗9分)。挑戦試合は翌年モスクワで24番勝負で行なわれることになった。

(この章終わり)

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チェス世界選手権争奪史(140)

第7章 ボトビニク時代

 FIDE主催の世界選手権戦として行われる初めての番勝負は1951年3月15日からモスクワのチャイコフスキー・ホールで始まった。これは巨大なコンサートホールだが満員になった。最初に12½を挙げた方が勝利者となる。24局終わっても互角ならばもちろんチャンピオンがタイトルを維持する。試合は金曜日、日曜日、火曜日に行なわれ、指しかけの試合の続きは翌日に行なわれる。持ち時間は最初の40手が2時間30分で以降は16手につき1時間である。

 番勝負を前にしてほとんどの人の関心の的の一つは「ボトビニクは番勝負でどんな結果を残すのだろうか」ということだった。彼はこれまでの2回の番勝負に勝ったことがなかったのだった。1933年のフロール戦、および1937年のレベンフィッシュ戦とも指し分けだった。しかしもちろん破れてもいなかった。ブロンシュテインはボレスラフスキーとの唯一の番勝負に勝っていた。そして二人とも互角の条件であることがすぐに明らかになった。最初の4局は引き分けだった。第5局でブロンシュテインが先勝した。

ニムゾインディアン防御
白 ボトビニク
黒 ブロンシュテイン

1.d4 Nf6 2.c4 e6 3.Nc3 Bb4 4.e3 O-O 5.Bd3 c5

6.Nf3 b6 7.O-O Bb7 8.Na4 cxd4 9.a3 Be7 10.exd4 Qc7

11.b4 Ng4 12.g3 f5 13.Nc3 a6 14.Re1 Nc6 15.Bf1 Nd8

16.Bf4 Bd6 17.Bxd6 Qxd6 18.Bg2 Nf7 19.c5 Qc7 20.Rac1 Rae8

21.Na4 b5 22.Nc3 f4 23.d5 fxg3 24.fxg3 exd5 25.Qd4 Nf6

26.Nh4 Re5 27.Rxe5 Qxe5 28.Qxe5 Nxe5 29.Nf5 Nc4 30.Rd1 Kh8

31.Re1 Nxa3 32.Nd6 Bc6 33.Ra1 Nc2 34.Rxa6 d4 35.Ncxb5 Bxg2

36.Kxg2 Ng4 37.Nf5 d3 38.Rd6 Rxf5 39.Rxd7 Nge3+ 黒投了

あと1手で詰む。

(この章続く)

2010年03月03日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(141)

第7章 ボトビニク時代(続き)

 第6局でブロンシュテインはまた主導権を握った。しかしボトビニクの防御手段は持ちこたえるのに適切だった。そのあと引き分けが明らかな局面になったがブロンシュテインはチェス史に残るポカを犯した。

 この局面でブロンシュテインは 57.Kc2?? と指したがボトビニクの 57…Kg3! を見て自分の誤りに気づき投了した。以下は 58.Ne6 e2 59.Kd2 Kf2 または 58.Kd1 Kf2 でポーンがクイーンに昇格する。半点を逃がしたことに明らかに動揺したブロンシュテインは第7局で精彩を欠きチャンピオンがリードを奪った。

(この章続く)

2010年03月04日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(142)

第7章 ボトビニク時代(続き)

 第8局は引き分けになり第9局も同じだった。しかし第8局は布局がよく言われる「教科書」どおりに中盤まで良く知られた手順をたどったのに対し、第9局の布局はたたき合いとしか形容できなかった。

オランダ防御
白 ボトビニク
黒 ブロンシュテイン

1.d4 e6 2.c4 f5 3.g3 Nf6 4.Bg2 Be7 5.Nc3 O-O

6.d5(6.e3 なら 6…d6 でも 6…d5 でも互角の形勢になる。第1局で白番のボトビニクは 6.e3 と指し以下 6…d6 7.Nge2 c6 8.O-O e5 9.d5 Qe8 10.e4

と進み、ここで実戦の 10…Qh5 でなく 10…Na6! と指していれば黒が良かった。第22局はブロンシュテインの白番で 6.e3 d5 7.Nge2 c6 8.b3 Ne4! 9.O-O Nd7 10.Bb2 Ndf6 11.Qd3 g5!?

と進み難しい戦いになった。)6…Bb4! 7.Bd2 e5 8.e3 d6 9.Nge2 a6 10.Qc2 Qe8 =

11.f3(この手は明らかに e4 の準備であると共に …Ng4 や …Ne4 を防いでいる。11.O-O の方が良いとよく推奨されるが、あとになっても f3-e4 と指さなくても決まってそのあと白がどう指すかのヒントがない。)11…b5! 12.Qb3(12.cxb5 axb5 13.Qb3 Na6!)12…Bc5 13.cxb5

13…Bd7(この手も完全に成立するが 13…axb5 14.Qxb5-14.Nxb5 Qf7 15.Nbc3 c6-14…Qxb5 15.Nxb5 Nxd5 も同様である。)14.Na4!(14.bxa6 Nxa6 15.O-O f4 16.gxf4 exf4 17.Nxf4 Bxe3+ -+)

14…Ba7?(14…axb5! 15.Nxc5 dxc5 16.O-O! c4 17.Qc2 Nxd5 18.e4 fxe4 19.f4!

これでほぼいい勝負である。白はポーン損の代わりに攻勢に立っている。)15.b6

15…Bxa4(15…cxb6 16.Nxb6 Bxb6 17.Qxb6 Nxd5 18.Qxd6 は白がたった1ポーン得である。本譜の手は黒がルークの丸損になる。)16.b7 Bxb3 17.bxa8=Q Bb6 18.axb3 Qb5 19.Nc3 Qxb3

20.Rxa6(この手は必要なかった。20.O-O Qxb2 21.Ra2 Qb3 22.Rb1 Qc4 23.Bf1 で黒は完全なルーク損で投了する必要があるだろう。ある解説者が言ったように「さもないと面目をなくす」。しかし本譜の手でもまだ勝ちがある。)20…Nxa6 21.Qxa6 Nxd5

22.Qa4?(22.Nxd5! Qxd5 23.Ke2 f4 24.Qd3 +/-)22…Qxa4 23.Nxa4 Bxe3 24.Bf1?(24.Nc3!)24…Ra8

25.b3(25.Bc4 Rxa4! 26.Bxd5+ Kf8 で黒には 27…Ra1+ と 27…Bxd2+ 28.Kxd2 Rd4+ の二つの狙いがある[訳注 27.Bb3 で両方受かります]。本譜は黒が駒損の代償を完全に得てほぼ互角の収局である。)25…Bxd2+ 26.Kxd2 Kf8 27.Bd3 g6 28.Rc1 Rb8 29.Nc3 Nb4

30.Be2 Ra8 31.Na4 c6 32.Rc4 Rb8 33.Bd1 Ke7 34.Nb2 d5 35.Rh4 h5

36.g4 hxg4 37.fxg4 f4 38.g5 Rf8 39.Rh7+ Kd6 40.Rg7 e4 41.Rxg6+ Ke5

ここで指しかけになったが両選手は再開せずに引き分けに合意した。

(この章続く)

2010年03月05日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(143)

第7章 ボトビニク時代(続き)

 第10局も引き分けだったが第11局でブロンシュテインはこの番勝負で最高の出来と考えられる指し回しで対戦成績を互角に戻した。

クイーン翼インディアン防御
白 ボトビニク
黒 ブロンシュテイン

1.d4 e6 2.Nf3 Nf6 3.c4 b6 4.g3 Bb7 5.Bg2 Be7 6.O-O O-O 7.b3

 はるかに一般的な 7.Nc3 が白にほとんど有利をもたらさないことは今では広く受け入れられている。もちろん実戦の手もあまり有利にならない。

7…d5

 7…c5 も次のように良い手である。8.Bb2 cxd4 9.Qxd4 Nc6 10.Qf4 d5 11.Rd1 Qc8 12.Nc3 dxc4 13.Qxc4 Nb4 =

(パッハマンの分析)

8.cxd5

 8.Ne5 もあり次のような前例がある。8…c5 9.dxc5 bxc5 10.cxd5 exd5 11.Nc3 Nbd7 12.Nd3 Nb6 13.a4 a5 14.Ba3 Rc8 =

(エーべ対アリョーヒン、世界選手権戦、1937年)

8…exd5 9.Bb2 Nbd7 10.Nc3 Re8

11.Ne5
 11.Rc1 は 11…c6 で陣形がより柔軟なために次のように既に黒の方が少し優勢である。12.Qd2 Ne4 13.Qc2 Nxc3 14.Bxc3 Bd6 15.Rfe1 Nf6 16.Nd2 Bf8 17.Bb2 Rc8 18.Qd3 Rc7 19.Rcd1 g6 =/+

(レベンフィッシュ対ボトビニク、番勝負第1局、1937年)

11…Bf8

12.Rc1

 12.Nd3 や 12.f4 の方が安全な手だが白は何も得られない。それがこのポーンを犠牲にしようとする手の主眼だが本手ではない。

12…Nxe5 13.dxe5 Rxe5 14.Nb5 Re7 15.Bxf6 gxf6

16.e4

 この2回目のポーン捨ては1回目の顔を立てるために必要である。16.Nd4 は 16…Qd7 17.Qd3 c5 18.Nf5 Re5 19.Bh3 Qc6 で明らかに黒が優勢である。

16…dxe4 17.Qg4+ Bg7 18.Rfd1

18…Qf8!

 18…Qc8 は 19.Qf4 で白が 20.Nxc7 と Nd6-f5 の捌きを狙ってくる。

19.Nd4

 Nxc7 または Rxc7 でポーンを取り返せば白は持ちこたえる可能性がある。しかしそれは白がそもそもこの変化に飛び込んだ意図とはほとんど相容れない。

19…Bc8 20.Qh4 f5

21.Nc6

 21.Bh3 には黒は 21…Bxd4 22.Rxd4 Be6 と応じそれでも 23.Qg5+ と来れば 23…Qg7 と合わせる。

21…Re8 22.Bh3 Bh6 23.Rc2 e3! 24.fxe3 Bxe3+ 25.Kh1 Be6

 狙いは 26…Qh6 によるクイーン交換である(27.Ne7+ Rxe7 28.Qxe7 Qxh3)。

26.Bg2 a5 27.Bf3 Kh8 28.Nd4 Rad8

29.Rxc7

 29.Qf6+ Qg7 30.Qxg7+ Kxg7 31.Nxe6+ fxe6 32.Rxc7+ Kg6 33.Re1 の後の収局は引き分けの可能性がいくらかある。

29…Bd5!

30.Re1

 ケレスとトルシュの研究によると 30.Bxd5 Rxd5 31.Rd3 Rd6 で 32…Re4 と 32…Rh6 を狙うのも[訳注 32.Nxf5 Rxd3 33.Qf6+ Kg8 34.Re7 でほぼ互角なので正着は 31…Bh6]、30.Rf1 Qd6 31.Nxf5 Bxf3+ 32.Rxf3 Qd1+ 33.Kg2 Rd2+ 34.Kh3 Rxh2+ 35.Kxh2 Qg1+ 36.Kh3 Qh1+ 37.Kg4 Rg8+ 38.Kh5 Rg5+

も黒の勝ちになる。

30…Qd6 31.Rc2 Re4 32.Bxe4 Bxe4+ 33.Qxe4 fxe4 34.Nf5 Qb4

35.Rxe3 Rd1+ 36.Kg2 Rd2+ 37.Rxd2 Qxd2+ 38.Kh3 Qf2! 39.Kg4 f6! 黒投了

(この章続く)

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チェス世界選手権争奪史(144)

第7章 ボトビニク時代(続き)

 しかし第12局でブロンシュテインがポーンの犠牲を生かせなくてボトビニクがすぐに突き放した。次の4局は引き分けだった。そして第17局で挑戦者がまた追いついた。

ニムゾインディアン防御
白 ボトビニク
黒 ブロンシュテイン

1.d4 Nf6 2.c4 e6 3.Nc3 Bb4 4.e3 b6 5.Ne2 Ba6

6.a3 Be7 7.Ng3 d5 8.cxd5 Bxf1 9.Nxf1 exd5 10.Ng3 Qd7

11.Qf3 Nc6 12.O-O g6 13.Bd2 O-O 14.Nce2 h5 15.Rfc1 h4

16.Nf1 Ne4 17.Nf4 a5 18.Rc2

18…Bd8(18…Nd8 19.Rxc7! Qxc7 20.Nxd5 Nxd2 21.Nxd2 Qd6 22.Nxe7+ Qxe7 23.Qxa8 +/-

19.Be1 Ne7 20.Qe2 Nd6 21.f3 g5 22.Nd3 Qe6 23.a4 Ng6

24.h3 f5 25.Bc3 Bf6 26.Re1 Rae8 27.Qd1 Rf7 28.b3 Rfe7 29.Bb2 f4

30.Ne5(30.exf4 Qxe1 31.Nxe1 Rxe1 32.Qd2 Nxf4 -/+)30…Bxe5 31.dxe5 Nf7 32.exf4 Nxf4 33.Nh2 c5 34.Ng4 d4 35.Nf6+ ? Qxf6 白投了

(この章続く)

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チェス世界選手権争奪史(145)

第7章 ボトビニク時代(続き)

 第18局は恐らくこの番勝負で最も複雑で難解な一局だった。そして結果(引き分け)も十分うなずけるものだった。

クイーン翼ギャンビット拒否
白 ブロンシュテイン
黒 ボトビニク

1.d4 d5 2.c4 c6 3.Nc3 Nf6 4.Nf3 e6 5.e3 a6

 黒がメラン・システム(5…Nbd7 6.Bd3 dxc4)を望まないならばそれを避ける手段は 5…Bb4(ロミ戦法)、5…Be7、5…Ne4 それに本譜の手という具合にいろいろある。

6.Bd3

 白の通常の手は 6.c5 で、1948年世界選手権競技会でのレシェフスキー対ケレス戦は次のように進んだ。6.c5 Nbd7 7.b4 a5! 8.b5 e5 9.Qa4 Qc7 10.Ba3 e4 11.Nd2 Be7(11…g6! 12.Be2 Bh6 =)12.Be2 h5 13.b6 Qd8 14.h3 Nf8 15.O-O-O +/=

6…b5 7.b3 Nbd7 8.O-O Bb7 9.c5

9…Be7

 この形で狙い筋の 9…e5 は次の手順で悪い。10.dxe5 Ng4 11.e6 fxe6 12.Nd4 Nxc5 13.Qxg4 Nxd3 14.Qxe6+ Qe7 15.Qf5 +/=

10.a3 a5 11.Bb2 O-O 12.Qc2 g6 13.b4 axb4 14.axb4 Qc7 15.Rae1 Rfe8

16.Ne2

 もっと積極的に 16.Ne5 と跳ねることもでき 16…Nxe5 17.dxe5 Qxe5 なら 18.Ne4 で白の駒得になる。

16…Bf8 17.h3

 白は 17…e5 18.dxe5 Ng4 を防いだ。

17…Bg7 18.Ne5 Nf8 19.f3 N6d7 20.f4 f6 21.Nf3 Re7 22.Nc3 f5

 これで両者とも少なくとも当面はeポーンを突くのをあきらめた。そして注意を素通しのa列に向けている。

23.Ra1 Ree8 24.Ne5 Rxa1 25.Rxa1 Ra8 26.Qb1

26…Qc8

 黒が 26…Qb8 と指していれば同じように白が駒を捨ててきても次のように効果が薄かった。27.Bxb5 Nxe5 28.fxe5 cxb5 29.Nxb5 Ba6 これでポーンがせき止められている。

27.Bxb5! Nxe5 28.fxe5

28…Bh6

 代わりに 28…cxb5 29.Nxb5 Ba6 とは指せない。なぜなら白に 30.Nd6(クイーン当たりの先手)30…Qb8 31.b5 +/- という手があるからである。

29.Bc1 cxb5 30.Nxb5 Nd7 31.Nd6 Rxa1 32.Qxa1 Qa8

33.Qc3

 白はすぐに 33.Qb2 とする方が良かった。

33…Bf8 34.b5 Bxd6 35.exd6 Qa4

36.Qb2

 ここでは単純に 36.c6 Qxb5 37.cxb7 Qxb7 38.Qa5 とすれば白が優勢だった。

36…Kf7 37.Kh2

37…h6

 黒は白の次の手を見落としていた。代わりに 37…Nf6 なら 38.Bd2 Ke8 39.Qb4 Qxb4 40.Bxb4 Kd7 で問題なく守ることができた。

38.e4!

38…f4

 代わりに 38…fxe4 なら 39.Bxh6、38…dxe4 なら 39.d5! である。白は急に敵キングを激しく攻める立場になった。本譜の黒の応手の主眼点は 39.Bxf4 なら 39…g5 40.Be3 dxe4 とできることにある。

39.e5 g5 40.Qe2 Kg7

41.Qd3

 この手が封じ手だったが次のように 41.c6 の方が良かった。41…Bxc6 42.bxc6 Qxc6 43.Bxf4! gxf4 44.Qg4+ Kf7 45.Qxf4+ Kg7 46.Qg4+ Kf7 47.Qh4!(47.Qh5+ Kg7 48.Qe8 Nxe5!)47…Nf8 48.Qxh6

しかし帰宅して真っ先に調べたわけでもないそのような思い切った手段をブロンシュテインが躊躇(ちゅうちょ)したのは確かに理解できる。

41…Nb8! 42.h4 Qc4 43.Qh3!

43…Qxb5!

 この手は次の変化よりはるかに良い手である。43…Qxc1 44.hxg5 hxg5 45.Qxe6 Qe3 46.Qf6+ Kh7 47.Qxg5 Qg3+ 48.Qxg3 fxg3+ 49.Kxg3

これは白ポーンが止まらない。

44.hxg5 hxg5 45.Qxe6 Qd3!

 あとはもう引き分けにしかならない。

46.Qf6+ Kh7 47.Qf7+ Kh8 48.Qf6+ Kh7 49.Bxf4 gxf4 50.Qf7+ Kh8

51.Qe8+ Kg7 52.Qe7+ Kh8 53.Qe8+ Kg7 54.Qe7+ Kh8 55.Qf8+ Kh7 56.Qf7+ Kh8 57.Qxb7 Qg3+ 58.Kh1 1/2-1/2

(この章続く)

2010年03月08日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(146)

第7章 ボトビニク時代(続き)

 ボトビニクは第19回戦でまたリードを奪った。そして第20回戦でも引き分けでそれを維持した。それからブロンシュテインが2連勝し、新世界チャンピオンになるには残りあと2局を指し分ければよいだけになった。しかしボトビニクは第23局で素晴らしい指し回しを見せた。白が57手目を指した次の局面ではボトビニクの双ビショップが盤上を席巻している。

ここでブロンシュテインは観戦者のほとんどが驚いたことに投了した。確かに 57…Nc6 58.Bxd5 Nd6 59.Bf3 Kf5 60.Bc1! b5 61.Bxc6 bxc6 62.a5

と進めば白の勝ちは容易である。しかし途中 59…b5(ウィンターとウェードの推奨)

と指せばまだはっきりしなかったかもしれない。いずれにしても引き分けならば世界選手権獲得が確実になる立場の者ならばもう少し指してみてもよかったと考えられる。

 最終の第24回戦でブロンシュテインは序盤から全力で臨んだ。2ポーンを犠牲にしたがあまり攻撃の成果があがらなかった。22手目でボトビニクが引き分けを提案した時勝つ可能性はボトビニクの方にだけあった。そしてブロンシュテインはそれを受諾した。これで世界選手権戦のうちで多分最も面白かった番勝負は引き分けの結果に終わった。そしてボトビニクがタイトルを保持した。

(この章続く)

2010年03月09日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(147)

第7章 ボトビニク時代(続き)

 ダビッド・ブロンシュテインはボトビニクとの世界選手権戦が引き分けに終わった時まだ24歳にすぎなかった。だから当時は(何でも確実だというものがあるならば)彼がいつの日か世界チャンピオンになるのは確かなように思われた。たぶん早ければ1954年にも。その年は次の周期の競技会(1951年の世界選手権戦が行われている時既に進行中だった)で次の挑戦者が決まることになっていた。批評家たちによれば彼がしなければならないことは収局を研究することだけだった。それが微に入り細を穿ってボトビニクの見つけることのできた彼の防備の唯一の弱点だった。そしてブロンシュテインは遅かれ早かれタイトルを奪取しそれから長期に渡って世界のチェス界を席巻するだろうと目されていた。

 しかし彼は二度と世界選手権を脅かすことはなかったし世界選手権戦を戦うことさえなかった。1953年チューリヒでの挑戦者決定競技会では同点2位だった。1956年のアムステルダムでは同点3位だった。1958年ポルトロシュでのインターゾーナルでは最終戦で負けるはずのない格下の相手に負けて次の挑戦者決定競技会に進むことさえできなかった。彼は長い棋歴の間に数多くの素晴らしい試合で現代チェスを豊かにしてきた。ある意味ではグランドマスターの中で最も想像力が豊かである。しかし彼の世界王座への探求は挫折と失望によって運命づけられていた。

(この章続く

2010年03月10日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(148)

第7章 ボトビニク時代(続き)

 ブロンシュテインに代わってもうおなじみになった人物は当然のボトビニクと共に次の十年間に世界選手権の戦いを席巻することになった。それはワシリー・スミスロフである。彼はその間にボトビニクと世界選手権戦を三度戦い最初の1954年には引き分け二回目の1957年には勝ち三回目の1958年には負けた。この期間においてスミスロフは番勝負においてはボトビニクと完全に互角であることを実証した。三度の対決の通算成績はスミスロフの18勝17敗31分だった。

 ワシリー・ワシリエビッチ・スミスロフは1921年3月24日にモスクワで生まれた。そして6歳頃にチェス好きだった父親からチェスを学んだ。14歳の時に初めて大会に参加しその後順調に上達した。17歳だった1938年にモスクワ選手権戦で同点優勝した。1940年には第12回全ソ連選手権戦で、同点優勝したボンダレフスキーとリリエンタールに半点差で3位になりケレス、ボトビニクおよびボレスラフスキーよりも上位に入った。翌年のいわゆる絶対選手権戦では3位だった。彼はしだいに収局の巨匠としての評価を勝ち得た。そしてレベンフィッシュと協同でルーク+ポーン収局の決定版的な本を書いた。

 1948年世界選手権競技会で2位になった後彼はもちろんタイトル挑戦の有力候補とみなされた。そして以降の年月における彼の成績はこの見方を十分に裏付けた。1950年ブダペストで同点優勝したブロンシュテインとボレスラフスキーに次いで3位に終わったのはほとんど満足できるものでなかった。しかし1953年チューリヒで開催予定の次の挑戦者決定競技会への参加権を獲得した。

(この章続く)

2010年03月11日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(149)

第7章 ボトビニク時代(続き)

 スミスロフはもの静かで控えめな人柄だったが多くの魅力を兼ね備え皮肉をこめたユーモアも持っていた。イギリスの国際マスターのハリー・ゴロンベックは三回のボトビニク対スミスロフの世界選手権戦すべてで審判を務めたが1954年のある出来事を次のように詳述している。

 『試合が指しかけになった後、オペラを見に行きたいので両選手が1回の対局で試合を終わらせることを期待していた、せめて明日試合が長引かないといいとスミスロフに言った。「何というオペラだ」と彼は聞き返した。「グリンカの『ルスランとリュドミラ』だ」と私が答えた。さらにスミスロフが言った。「音楽はいいんだがオペラとしてはあまり大したことがない。いいかい、ニコライ1世皇帝は部下を処罰したい時に彼らを『ルスランとリュドミラ』を見に行かせたんだ。だからここにいて試合を観戦していた方がいい。」』[ハリー・ゴロンベック著『1954年世界選手権戦』]

 スミスロフは作局の審査員の資格も持っていた。チェスでの活躍が華々しくてオペラのテノール歌手としての名声を求めることができなかった。時々冗談めかして音楽を職業にチェスを趣味にしなかったことを悔やんでいると言っていた。歌の世界選手権なら獲得してすぐにそれを失うことはないからである。

 第19回全ソ連選手権戦(ゾーナルも兼ねていた)では若い選手たちが大活躍した。優勝のケレスに続いてチグラン・ペトロシアン(1929年生まれ)とエフィム・ゲレル(1925年生まれ)が同点2位に入り、スミスロフが4位、ボトビニクが5位、ユーリー・アベルバッハ(1922年生まれ)とマルク・タイマノフ(1926年生まれ)が同点6位だった。彼らの中で挑戦者決定競技会にシードされていない者がインターゾーナルに進出した。

(この章続く)

2010年03月12日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(150)

第7章 ボトビニク時代(続き)

 1952年ストックホルムで開催された第2回インターゾーナル競技会は上位5人をソ連選手が独占して終わった。コトフが同点2位のペトロシアンとタイマノフに3½点差をつけて生涯最高の成績で優勝し、ゲレルが4位、アベルバッハがユーゴスラビアのグリゴリッチ、ハンガリーのサボ、スウェーデンのストールベルグと共に同点5位だった。

 そして1953年チューリヒでの挑戦者決定競技会の始まりにおいてロシア勢に太刀打ちできるのは米国のサミュエル・レシェフスキーだけであるのは明らかだった。実際そのとおりになったが第2回戦でベテランのマックス・エーべはおそらくこの大会で最高の試合と考えられる試合で健在ぶりを見せつけた。

ニムゾインディアン防御
白 ゲレル
黒 エーべ

1.d4 Nf6 2.c4 e6 3.Nc3 Bb4 4.e3 c5 5.a3 Bxc3+ 6.bxc3 b6

7.Bd3 Bb7 8.f3 Nc6 9.Ne2 O-O 10.O-O Na5 11.e4 Ne8

(この試合の布局を以前に出てきたボトビニク対レシェフスキー戦、および後で出てくるゲレル対スミスロフ戦の布局と比較してみよ)12.Ng3 cxd4 13.cxd4 Rc8 14.f4 Nxc4 15.f5 f6

16.Rf4 b5! 17.Rh4 Qb6 18.e5 Nxe5 19.fxe6 Nxd3

20.Qxd3 Qxe6 21.Qxh7+ Kf7 22.Bh6 Rh8! 23.Qxh8 Rc2

24.Rc1(24.d5! Qb6+ 25.Kh1 Qf2 26.Rg1 Bxd5 27.Re4!

で形勢不明だった)24…Rxg2+ 25.Kf1 Qb3 26.Ke1 Qf3 白投了

(この章続く)

2010年03月13日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(151)

第7章 ボトビニク時代(続き)

 この大会は2回戦総当たりで、第1巡が終わった時の成績はスミスロフ9½-4½、レシェフスキーとブロンシュテイン8½-5½、エーべとペトロシアン7½-6½、タイマノフとなんとあのケレスが7-7だった。そしてインターゾーナルで無敵の活躍だったコトフは不調だった。しかし第1巡目の終わりのアベルバッハ戦で豪快な手筋を決めた。次の局面で

コトフは 30…Qxh3+! とクイーンを切っていった。その後は次のようになった。31.Kxh3 Rh6+ 32.Kg4 Nf6+ 33.Kf5 Nd7 34.Rg5 Rf8+

35.Kg4 Nf6+ 36.Kf5 Ng8+ 37.Kg4 Nf6+ 38.Kf5 Nxd5+

39.Kg4 Nf6+ 40.Kf5 Ng8+ 41.Kg4 Nf6+ 42.Kf5 Ng8+ 43.Kg4 Bxg5

44.Kxg5 Rf7 45.Bh4 Rg6+ 46.Kh5 Rfg7 47.Bg5 Rxg5+

48.Kh4 Nf6 49.Ng3 Rxg3 50.Qxd6 R3g6 51.Qb8+ Rg8 白投了

(この章続く)

2010年03月14日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(152)

第7章 ボトビニク時代(続き)

 第2巡目に入ってケレスは力強く巻き返し始めた。第21回戦でスミスロフがコトフに負けた時上位選手たちの成績はレシェフスキーとスミスロフが12½点、ブロンシュテインが12点そしてケレスが11½点だった。第22回戦でレシェフスキーがボレスラフスキーを、スミスロフがゲレルをそれぞれ負かしたがブロンシュテインとケレスは共に引き分けにしかできなかった。第23回戦はスミスロフが手空き番で、レシェフスキーがコトフに負けて後退し、引き分けのブロンシュテインとゲレルに勝ったケレスが並んだ。第24回戦でケレスがスミスロフに立ち向かった。

イギリス布局
白 ケレス
黒 スミスロフ

1.c4 Nf6 2.Nc3 e6 3.Nf3 c5 4.e3 Be7

5.b3 O-O 6.Bb2 b6 7.d4 cxd4 8.exd4 d5

9.Bd3 Nc6 10.O-O Bb7 11.Rc1 Rc8

12.Re1

 ケレスは布局でスミスロフに何も難しい問題を突きつけようとしなかった。その結果局面は互角の形勢である。白の陣形の広さによるわずかな優勢は中原の不安定さで打ち消されている。スミスロフは実戦の手の代わりに 12.Qe2 から 13.Rfd1 を推奨し、次のように黒がdポーンを取るのは危険すぎると指摘している。12.Qe2 dxc4 13.bxc4 Nxd4 14.Nxd4 Qxd4 15.Nd5 Qc5 16.Bxf6! gxf6 17.Bxh7+ Kxh7 18.Qh5+ Kg8 19.Rc3

これで白の攻撃が決まって勝ちになる[訳注 19…Qxd5 20.cxd5 Rxc3 で互角なので正着は 19.Qg4+ Kh8 20.Rc3]。または 12.Qe2 Nb4 13.Bb1 dxc4 14.bxc4 Bxf3 15.gxf3 Qxd4 16.Ne4 Qd7 17.Nxf6+ gxf6 18.Kh1

でやはり白の攻撃が決まって勝ちになる。

12…Nb4 13.Bf1 Ne4 14.a3 Nxc3 15.Rxc3 Nc6 16.Ne5 Nxe5

17.Rxe5

 白は 17.dxe5 dxc4 18.Bxc4 Qxd1 19.Rxd1 Rfd8 と単純化した方が安全でたぶん引き分けになるだろう。この試合の自戦解説でケレスは「引き分けでもまだ優勝の可能性は消えなかった」ので指しすぎたことに対して自分を責めていた。

17…Bf6 18.Rh5

 この手の狙いは 19.Rxh7! Kxh7 20.Qh5+ Kg8 21.Rh3 Bh4 22.Rxh4 f5 23.Qh7+ と猛攻することである。

18…g6 19.Rch3

19…dxc4!

 19…gxh5 は 20.Qxh5 Re8 21.a4!

で白の攻撃が収まらない。ここで 21…dxc4 は 22.Qxh7+ Kf8 23.Ba3+ Re7 24.Rg3 +/- である。また 21…Qd6 は 22.c5

で、このあと三通りの変化が考えられる。
Ⅰ22…bxc5 23.Qh6 Bg7 24.Qxh7+ Kf8 25.dxc5

Ⅱ22…Qd8 23.c6 Rxc6 24.Ba3 Rd6 25.Qh6 Bxd4 26.Bd3

Ⅲ22…Qf4 23.Qxh7+ Kf8 24.Ba3 bxc5 25.Bxc5+ Re7 26.Rg3 Ke8 27.Bb5+[訳注 27…Kd8 または 27…Bc6 で黒が優勢なのでそもそも 22.Qh6 とするしかなくそれで白が少し優勢です]

いずれも白の攻撃が決まって勝ちになる。

20.Rxh7

 20.Qg4 は 20…c3! 21.Bxc3 Rxc3 22.Rxc3 Qxd4 23.Qxd4 Bxd4 24.Rc7 gxh5 25.Rxb7

で黒の有利な収局になる。

20…c3 21.Qc1

21…Qxd4!

 もちろん 21…cxb2 は 22.Qh6 Qxd4 23.Rh8+ Bxh8 24.Qh7# でだめである。しかし本譜は白の攻撃が頓挫し黒の楽勝になる。

22.Qh6 Rfd8 23.Bc1 Bg7 24.Qg5 Qf6 25.Qg4 c2 26.Be2 Rd4 27.f4 Rd1+ 28.Bxd1 Qd4+ 白投了

 スミスロフは次の第25回戦でもレシェフスキーを破りそのまま楽に逃げ切った。最終成績はスミスロフが18点、ブロンシュテイン、ケレスおよびレシェフスキーがみな16点、ペトロシアンが15点だった。レシェフスキーの同点2位はそれからの約20年間世界選手権で米国人の最高の成績となった。

(この章続く)

2010年03月15日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(153)

第7章 ボトビニク時代(続き)

 1954年3月16日チャンピオンと新しい挑戦者はチャイコフスキーホールの壇上で対決のときを迎えた。この時までに両者は既に20局対戦していたが成績はボトビニクが12½-7½とリードしていた。しかしそれらの対局の多くはボトビニクが指し盛りでスミスロフがまだ非常に若かった時のものだった。今はボトビニクが43歳でスミスロフが33歳になっていた。この年齢差は長丁場の対戦で挑戦者に有利に働くと思われていた。

 しかしボトビニクはしょっぱなから圧倒した。第6局が終わってボトビニクの4½-1½となっていた。彼の指し回しはいつものように非常に独特で厳しかった。その一例が第2局である。

ニムゾインディアン防御
白 ボトビニク
黒 スミスロフ

1.d4 Nf6 2.c4 e6 3.Nc3 Bb4 4.e3 b6 5.Ne2 Ba6

6.a3 Be7 7.Nf4 d5 8.cxd5 Bxf1 9.Kxf1 exd5 10.g4 c6

11.g5 Nfd7 12.h4 Bd6 13.e4 dxe4 14.Nxe4 Bxf4 15.Bxf4 O-O

16.h5 Re8 17.Nd6 Re6 18.d5 Rxd6 19.Bxd6 Qxg5 20.Qf3 Qxd5

21.Qxd5 cxd5 22.Rc1 Na6 23.b4 h6 24.Rh3 Kh7 25.Rd3 Nf6

26.b5 Nc5 27.Bxc5 bxc5 28.Rxc5 Rb8 29.a4 Rb7 30.Rdc3 黒投了

(この章続く)

2010年03月16日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(154)

第7章 ボトビニク時代(続き)

 ところが第7局からスミスロフが自分を取り戻し始め、世界チャンピオンが引き分けの収局でへまをしたのに乗じてスミスロフがこの番勝負で初勝利をあげた。第8局は引き分けだったが第9局でスミスロフが2勝目をあげた。

フランス防御
白 スミスロフ
黒 ボトビニク

1.e4 e6 2.d4 d5 3.Nc3 Bb4

4.e5

 スミスロフは第7局で 4.a3 と指していたが第19局と第21局でもその手を指した。第7局は 4…Bxc3+ 5.bxc3 dxe4 6.Qg4 Nf6 7.Qxg7 Rg8 8.Qh6 c5 9.Ne2 Rg6

10.Qe3(第21局では 10.Qd2 と指した)10…Nc6 11.dxc5 Ng4 12.Qxe4 Qd1+ 13.Kxd1 Nxf2+ 14.Ke1 Nxe4 15.Nf4

と進んで白が良かった。

4…c5 5.a3 Ba5

 1957年の世界選手権戦の第14局でようやく断然一般的な 5…Bxc3+ が指された。その手の周辺については後で出てくるその番勝負の第20局の解説を参照されたい。

6.b4!

 アリョーヒンの示唆によるギャンビット。

6…cxd4

 代わりに 6…cxb4 も 7.Nb5 Nc6! で白からの圧迫が強いがこの戦型でも黒にそれなりの防御手段がある。

7.Qg4

 スミスロフは第1局と第3局で 7.Nb5 と指したが有利にならなかった。ちなみに第3局は 7…Bc7 8.f4 Ne7 9.Nf3 Bd7! 10.Nbxd4 Nc6 11.c3 Nxd4 12.cxd4 Nf5 =

と進んだ。

7…Ne7

 ボトビニクは長い間このポーン取らせる手を愛用していた(例えば後で出てくる1960年タリとの世界選手権戦第1局と比較されたい)。本譜の手の代わりに 7…Kf8 でも 8.Nb5 Bb6 9.Bd3 で黒も指せるが白に永続的な主導権がある。

8.bxa5!

 8.Qxg7 は 8…Rg8 9.Qxh7 Bc7 10.Nb5 a6 11.Nxd4 Bxe5 12.Ngf3 Qc7

となって黒が快調である(エストリン対ハシン、モスクワ選手権戦、1953年)。

8…dxc3 9.Qxg7 Rg8 10.Qxh7

10…Nd7

 1960年ライプツィヒ・オリンピアードでの有名なフィッシャー対タリ戦ではもっと攻撃的な 10…Nc6 が指された。その試合は 11.Nf3 Qc7 12.Bb5! Bd7 13.O-O O-O-O 14.Bg5? Nxe5!

15.Nxe5 Bxb5 16.Nxf7 Bxf1! 17.Nxd8 Rxg5 18.Nxe6 Rxg2+ ! 19.Kh1! Qe5 20.Rxf1 Qxe6 21.Kxg2 Qg4+

と進んで引き分けになった。

11.Nf3 Nf8

 先に 11…Qc7 として 12.Bf4 を余儀なくさせておく方が正確だった。実戦はこのビショップがもっと活動的なg5の地点に行った。

12.Qd3 Qxa5 13.h4 Bd7 14.Bg5 Rc8 15.Nd4!

15…Nf5

 15…Rc4 は 16.Qe3 Ra4(16…Nf5 17.Nxf5 Re4 18.Nd6#)17.Rb1 Rxa3 18.Nb5 +/- で白が良い。

16.Rb1 Rc4

 この手は交換損を伴う大胆だが本手でない手筋を誘発した。黒は穏やかに 16…b6 17.g4 Nxd4 18.Qxd4 Qxa3 19.Bd3 +/= と指した方が良かった。

17.Nxf5 exf5

 もちろん 17…Re4+ ?? は大悪手で 18.Qxe4 Rxg5(18…dxe4 19.Nd6#)19.Nd6+ で白の勝ちになる。

18.Rxb7

18…Re4+ ?

 黒は 18…Rxg5 hxg5 と切っておいてから 19…Re4+ と指さなければならなかったが白は受け切ることができる。スミスロフは 20.Be2 Ng6 21.Kf1 という手順をあげている。以下はⅠ21…Nf4 22.Rh8+ Ke7 23.Qb5

Ⅱ21…Bc6 22.Rb8+ Ke7 23.Qa6

「これで黒が収局をしのぐ可能性は非常に低い。」

19.Qxe4! dxe4 20.Rb8+ Bc8 21.Bb5+ Qxb5 22.Rxb5 Ne6 23.Bf6 Rxg2 24.h5 Ba6 25.h6 黒投了

(この章続く)

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チェス世界選手権争奪史(155)

第7章 ボトビニク時代(続き)

 スミスロフは第10局と第11局も勝ち、ひどい出だしだったにもかかわらず対戦成績を6-5とリードした。しかしボトビニクは第12局に勝って折り返し点で互角の成績に戻した。

 ボトビニクは番勝負の後半戦に入って息を吹き返し第13局に快勝した。しかし第14局は間違いなくスミスロフがこの選手権戦でみせた最高の試合になった。

キング翼インディアン防御
白 ボトビニク
黒 スミスロフ

1.d4 Nf6 2.c4 g6 3.g3 Bg7 4.Bg2 O-O 5.Nc3 d6

6.Nf3(ボトビニクは本局に明らかにショックを受けたようで今回の番勝負で他の3局はキング翼インディアン防御に対して当たり障りのない 6.e3 を指した)6…Nbd7 7.O-O e5 8.e4 c6

9.Be3(はるかによく指される 9.h3 については後の(184)で出てくる1960年のボトビニク対タリの世界選手権戦第6局を参照されたい。1941年の絶対選手権戦のボトビニク対リリエンタール戦では形がちょっと違っていたが-リリエンタールは 8…c6 でなく 8…Re8 と指した-ボトビニクは 9.h3 についてマスターより下の選手が自動的に指す手で、自分の主張するソビエト派の深い局面理解から出た手ではないと解説していた。本局で白が序盤から有利さを得たいなら 9.h3 がどうしても必要であることが実証された)9…Ng4 10.Bg5 Qb6!

11.h3 exd4! 12.Na4 Qa6 13.hxg4 b5

14.Nxd4(14.c5 dxc5 15.Nxc5 Nxc5 16.Be7 Ne6 =/+; 14.Be7 Re8 15.Bxd6 bxa4 16.Nxd4 Ne5 =/+)14…bxa4 15.Nxc6 Qxc6 16.e5 Qxc4 17.Bxa8 Nxe5 =/+

18.Rc1 Qb4 19.a3 Qxb2 20.Qxa4 Bb7

21.Rb1?(21.Bxb7 Qxb7 22.Rc3 Nf3+ 23.Rxf3 Qxf3 24.Be7 Rc8 25.Bxd6 で白がしのげるかもしれない)21…Nf3+ 22.Kh1 Bxa8! 23.Rxb2 Nxg4+ 24.Kh2 Nf3+ 25.Kh3 Bxb2 -/+

26.Qxa7 Be4 27.a4 Kg7 28.Rd1 Be5 29.Qe7 Rc8!

30.a5 Rc2 31.Kg2 Nd4+ 32.Kf1 Bf3 33.Rb1 Nc6 白投了

(白キングに対する決定的な攻撃の …Bd4 および/または …Ne5-…Nxg4 を防ぐ方法がない)

(この章続く)

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チェス世界選手権争奪史(156)

第7章 ボトビニク時代(続き)

 しかし動じないボトビニクは次の2局を連勝して突き放した。そして第16局が終わってボトビニクが9-7とリードしていた。その後の3局が引き分けに終わった時ついにボトビニクが初めて番勝負で勝つように見えた。しかしスミスロフは第20局に勝って差を1点に縮め、そのあと2局引き分けが続いた後第23局にも勝って互角の成績にした。

逆キング翼インディアン
白 スミスロフ
黒 ボトビニク

1.e4 e6 2.d3 c5 3.Nd2 Nc6 4.g3 g6

5.Bg2 Bg7 6.Ngf3 Nge7 7.O-O O-O 8.c3 d6

9.a4 f5 10.Qb3 d5 11.exd5 exd5 12.Re1 f4

13.Nf1 Bg4 14.gxf4 Bxf3 15.Bxf3 Kh8 16.Bd2 Bh6

17.Re6 Bxf4 18.Rae1 Bxd2 19.Nxd2 Nf5 20.Bg2 Nh4

21.Qxd5 Nxg2 22.Qxg2 Qxd3 23.Ne4 Rf5? 24.Nd6 Rf3

25.Nxb7 Raf8 26.Nxc5 Qf5 27.Re8 Kg8 28.Rxf8+ 黒投了

(28…Kxf8 29.Ne6+ Kg8 30.Ng5 Rd3 31.Qxc6 Qxg5+ 32.Qg2

または 28…Qxf8 29.Ne6 Qf6 30.Ng5 Rf5 31.Re8+ Kg7 32.Ne6+

から 33.Qxc6)

(この章続く)

2010年03月19日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(157)

第7章 ボトビニク時代(続き)

 ボトビニクは見た目にも憔悴しているのが明らかだった。もしスミスロフが最終第24局に勝てば新チャンピオンになれるところだった。しかしその局はボトビニクの白番で、彼はすぐに隙のない局面を築きスミスロフにほとんど反撃の可能性を与えなかった。次の局面でスミスロフが引き分けを申し込みボトビニクが受諾した。形勢はチャンピオンの方がはるかに良かった。

 22…Ra6

 またしてもボトビニクは番勝負に勝つことができなかった。そしてやはりタイトルを保持した。西側の一部ではこれは世界チャンピオンに値するたくさんの選手がソ連にいることを誇示する共産主義の陰謀であるとのまことしやかな批評もあった。しかしもちろん根拠などなかった。いずれにしても次の世界選手権戦では決着がつくことになった。

(この章続く)

2010年03月20日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(158)

第7章 ボトビニク時代(続き)

 スミスロフは1956年アムステルダムで開催された挑戦者決定競技会に優勝してたちまち再挑戦の権利を得た。規則の変更によりチューリヒでの上位選手のうち彼だけがそのままアムステルダムの競技会にシードされていた。残りの選手は1955年スウェーデンのイェーテボリで開催されたインターゾーナルから参加権を得なければならなかった。インターゾーナルにはいく人かの新顔がいた。その中の一人の18歳のボリス・スパスキーは第22回全ソ連選手権戦でゲレルとスミスロフに次いで同点3位に入賞してインターゾーナル出場権を得た。イェーテボリ大会に出た時にはアムステルダムでの世界ジュニア選手権戦に優勝した直後だった。サミュエル・レシェフスキーはシード選手の中で参加を辞退した唯一の選手だった。

 イェーテボリでの優勝者は15-5の成績のダビッド・ブロンシュテインで、世界選手権戦にまた挑む準備万端に見えた。彼に続いたのはケレス(13½点)、アルゼンチンの元世界ジュニアチャンピオンのオスカル・パンノ(13点)、ゲレルとサボ(共に12点)、アルゼンチンのエルマン・ピルニク、チェコスロバキアのミロスラフ・フィリップそれにスパスキー(いずれも11点)だった。

(この章続く)

2010年03月21日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(159)

第7章 ボトビニク時代(続き)

 今回の挑戦者決定競技会は10選手による2回戦総当たりだった。そして新しい工夫が盛り込まれて同じ国からの選手はできるだけ早い回から対戦しなければならないことになった。そのため最初の方の回戦からソ連選手同士が組み合わされた。第2回戦でスミスロフがゲレルから大きな勝ちを得た。

ニムゾインディアン防御
白 ゲレル
黒 スミスロフ

1.d4 Nf6 2.c4 e6 3.Nc3 Bb4 4.a3 Bxc3+ 5.bxc3 c5

6.e3 b6 7.Ne2 Nc6 8.Ng3 O-O 9.Bd3 Ba6 10.e4 Ne8

(本局の布局を以前に出てきたボトビニク対レシェフスキー戦(129)およびゲレル対エーべ戦(150)の布局と比べてみよ。)11.Be3 Na5 12.Qe2 Rc8 13.d5(13.Rc1!)

13…Qh4!(13…Nd6 14.e5 Ndxc4 15.Qh5 g6 16.Qh6 +/-)14.O-O Nd6 15.Rad1 f5 16.dxe6 dxe6 17.exf5 exf5 18.Qf3 Bb7 19.Qf4

19…Qf6(19…Qxf4 20.Bxf4 Ne4 21.f3 Nxg3 22.hxg3 Ba6 12.Rfe1 +/=)20.Bb1 Ne4

21.Rd7(21.Nxe4 fxe4 22.Qxf6 Rxf6 23.Rd7 Rf7 24.Rfd1 Bc6 =/+)21…Qc6 22.Rxb7!? Qxb7 23.Nxf5!

23…Rce8(23…Nxc3 24.Qh4!)24.Qg4 Kh8 25.Ng3 Nxg3 26.hxg3 Qf7 27.Qh4 h6

28.Bd3 Qf6 29.Qh5 Rd8 30.Be2 Qf5 31.Qh4 Qf6 32.Qh5 Nc6

33.g4 Qf7 34.Qh4 Ne7 35.Qh3 Ng6 36.Qh2 Nf4 37.Bf3 Qxc4

38.g5 Rd6 39.Rc1 Rg6 40.gxh6 Rxh6 41.Qg3 Qe4!(封じ手)

42.Qxf4(43.Bxe4 Ne2+ 44.Kf1 Nxg3+ 45.Ke1 Rh1+ 45.Kd2 Nxe4+ -+)42…Qxf4 43.Bxf4 Rxf4 44.Re1 Ra4 45.Re8+ Kh7 46.Be4+ g6

47.g4 Rxa3 48.Re6 Rxc3 49.Kg2 b5 50.f3 b4 51.g5 Rh5

52.Bxg6+ Kg7 53.Kg3 Rd4 54.Be8 b3 55.g6 Rd8 白時間切れ負け

(この章続く)

2010年03月22日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(160)

第7章 ボトビニク時代(続き)

 それでも折り返し点で首位に立ったのは9試合で6点を挙げたゲレルだった。彼のあとにブロンシュテインとケレスが共に5½点、スミスロフが5点で続いていた。第10回戦でブロンシュテインはケレス相手に序盤から優位に立ち指し掛けまで優勢を維持した。しかし試合が再開された時優勢を無駄にし時間に追われとうとう時間切れになった。

ルイロペス
白 ブロンシュテイン
黒 ケレス

1.e4 e5 2.Nf3 Nc6 3.Bb5 a6 4.Ba4 Nf6 5.O-O Be7

6.Re1 b5 7.Bb3 d6 8.c3 O-O 9.h3 Na5 10.Bc2 c5

11.d4 Qc7 12.Nbd2 cxd4 13.cxd4 Nc6 14.Nb3 Bb7 15.Bg5 h6

16.Bh4 Nh5 17.d5 Nd8 18.Bxe7 Qxe7 19.Nfd4 Nf4 20.Nf5 Qf6

21.Re3 Kh7 22.a4 bxa4 23.Rxa4 Bc8 24.Rb4 Nb7 25.Rc3 g6

26.Ne3 a5 27.Rb6 Qd8 28.Nc4 Ra7 29.Nc1 Qg5 30.Rg3 Qe7

31.Ne2 Nxe2+ 32.Qxe2 Rd8 33.Ra3 Bd7 34.Qe3 Rc8 35.Bd3 Be8

36.b4 a4 37.Kh2 Raa8 38.Be2 Rc7 39.b5 Qd8 40.Ra2 Kg7 41.Rc6(封じ手)

41…Rb8 42.Rd2 h5 43.Rd1 Kg8 44.Kg1 Kh7 45.Qa3 Qe7

46.Qxa4 Nc5 47.Qc2 Bxc6 48.dxc6 Rxb5 49.Nxd6 Rb6 50.Bb5 Ne6

51.Ba4 Nd4 52.Qc5 Rbxc6 53.Bxc6 Rxc6 白時間切れ負け

ゲレルもペトロシアンに負けたので当面ケレスが首位に立つことになった。

(この章続く)

2010年03月23日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(161)

第7章 ボトビニク時代(続き)

 しかしケレスの首位は長続きしなかった。スパスキー戦とピルニク戦で戦略的に勝っていた試合を勝ちきれなかったためにスミスロフに追い上げを許した。一方ブロンシュテインは可能性が急に消えていった。そしてスミスロフとの重大な対局の前夜に「非常に神経質になり興奮している」ように若いスパスキーには思われた。彼は次のように回想している。

 『他の選手たちがどのくらい真剣にそして神経質に対局を考えているかは私には思いもつかなかった。特にブロンシュテインのことは覚えていてある晩彼は自分の見通しについて自信を持ちたがっていた。彼は3個のさいころを取り出し3回振った。そのたびに3個の5の目が出た。そしてブロンシュテインは良い兆候であると確信した。』[バーナード・カファーティ著『ボリス・スパスキーの100名局』]

 しかし現実はそうならなかった。

イギリス布局
白 スミスロフ
黒 ブロンシュテイン

1.c4 Nf6 2.Nf3 c5 3.g3 d5 4.Bg2 Nc6 5.cxd5 Nxd5

6.Nc3 Nf6 7.O-O e6 8.b3 Be7 9.Bb2 O-O 10.Rc1 Qa5

11.Na4 Rd8 12.Qc2 Nb4 13.Qb1 Nfd5 14.a3 Na6 15.e4 Nf6

16.Bc3 Qb5 17.Rfd1 c4 18.Bxf6 Bxf6 19.Rxc4 Qa5 20.e5 Be7

21.Nc3 Bd7 22.b4 Qxa3 23.b5 Nb4 24.Ng5 Bxg5 25.Qxb4 Qxb4

26.Rxb4 Be8 27.d4 Rac8 28.Rb3 b6 29.d5 exd5 30.Nxd5 Kf8

31.Ra1 Bd2 32.e6 Bg5 33.h4 fxe6 34.Rf3+ Kg8 35.Bh3 Bd7

36.Rxa7 exd5 37.Rxd7 Bf6 38.Be6+ Kf8 39.Rf7+ Ke8 40.Rb7 Rc1+

41.Kg2 Rd6 42.Bf5 g6 43.Bd3 Be7 44.Re3 Rd7 45.Rxb6 d4

46.Rf3 Bd6 47.Ra6 Ke7 48.Ra8 Bc5 49.Rh8 Kd6 50.Rc8 Kd5

51.h5! Rc3 52.hxg6 hxg6 53.Rc6 Rb7 54.Rxg6 Rxd3 55.Rxd3 Kc4 56.Rd1 d3 57.Rc1+ 黒投了

(この章続く)>

2010年03月24日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(162)

第7章 ボトビニク時代(続き)

 最終戦の前の回戦でスミスロフはケレスに半点差をつけていたがスパスキー相手に黒で対局しなければならず早々と引き分けにした。一方ケレスはフィリップ相手に勝勢の局面を築いていた。

しかしここで彼は 38.Kh2? と指し 38…Rc4 39.Qf6 Nxe5 40.Qxe6+(40.Qxe5 Qf4+ -/+)40…Nf7

と進んで負けてしまった。実際は 38.Qf6 と指していれば 38…Nxe5 39.Qxe5 Re8 40.Qc7 で勝ちだった。ケレスが世界選手権戦にもう一歩のところまで来たのはこれが二度目だったが最後ではなかった。

(この章続く)

2010年03月25日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(163)

第7章 ボトビニク時代(続き)

 ボトビニクとスミスロフは前回の世界選手権戦のあとから2回対戦していた。1955年の第22回全ソ連選手権戦ではスミスロフが同点優勝しボトビニクは3位だったが直接対決ではスミスロフが28手で勝っていた。そして1956年モスクワでのアリョーヒン記念大会では二人が同点優勝し直接対決は引き分けだった。(ところでこの大会はアリョーヒンの名誉回復を図る動きの頂点だった。その動きとは彼の政治的見解を無視しチェスのソビエト派の創始者の一人として認めることだった。そしてそれ以来彼を記念した大会がいくつも開催されていて最も最近は1971年である。)

 両者の最近の対戦の結果と、3年前よりももっと際立ってきたボトビニクの46歳という年齢と10歳の年齢差とから、大会開始時点ではスミスロフの前評判が高かった。しかしスミスロフが第1局に勝ったにもかかわらず2引き分けの後ボトビニクが第4局と第5局に連勝して3-2とリードを奪った。特に第5局の強い指し回しはスミスロフの番勝負楽勝を予想した者たちを考え直させた。

キング翼インディアン防御
白 ボトビニク
黒 スミスロフ

1.c4 Nf6 2.Nc3 g6 3.g3 Bg7 4.Bg2 O-O 5.d4 d6

6.Nf3 Bg4 7.h3 Bxf3 8.Bxf3 Nc6 9.Bg2 Nd7 10.e3 e5

11.d5 Ne7 12.e4 f5 13.h4 f4 14.Bh3 Rf6 15.Qe2 Bh6

16.Bd2 Nc5 17.b4 f3 18.Qf1 Bxd2+ 19.Kxd2 Na6 20.a3 c6

21.Qd3 Nc7 22.Rab1 Rb8 23.Rhc1 a5 24.b5 c5 25.b6 Ne8

26.Re1 Ng7 27.Re3 Qf8 28.Rb5 Ra8 29.Na4 Qf7 30.Qc3 h5

31.Rxa5 Rb8 32.Nb2 Kh7 33.Qb3 Ng8 34.Nd3 Nh6 35.Re1 Ng4

36.Qa4 Qe7 37.Kc2 Rff8 38.Ra7 Ne8 39.Bxg4 hxg4 40.Qb5 Nf6

41.a4 Kg8 42.Qa5 Qd8 43.Nb2 Nd7 44.Nd1 Nf6 45.Qb5 Qe7

46.a5 Qh7 47.Kd3 Rf7 48.Qb2 Nh5 49.Rg1 g5 50.hxg5 Rbf8

51.Qd2 Rf4 52.Nc3 Nxg3 53.Rxg3 Qh2 54.Qe1 黒投了

(この章続く)

2010年03月26日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(164)

第7章 ボトビニク時代(続き)

 しかし第6局でスミスロフが快勝してから番勝負の流れが変わり始めた。

グリューンフェルト防御
白 スミスロフ
黒 ボトビニク

1.d4 Nf6 2.c4 g6 3.Nc3 d5 4.Nf3 Bg7 5.Qb3 dxc4 6.Qxc4 O-O 7.e4 Bg4 8.Be3

8…Nfd7

 皮肉にもこれはスミスロフ発案の手だった。彼は1946年グローニンゲンでのボトビニク戦で 8…Nc6 で負けたあとしばらくしてから研究の結果この手を見つけた。その試合は次のように続いた。9.d5 Bxf3 10.gxf3 Ne5 11.Qe2 c6 12.f4 Ned7 13.Bg2! Nb6 14.Rd1 +/=

9.O-O-O

 この手は最も攻撃的である。1962年バルナ・オリンピアードでの待望のボトビニク対フィッシャー戦でボトビニクは 9.Be2 と指し次のように進んだ。9…Nc6 10.Rd1 Nb6 11.Qc5 Qd6! 12.h3 Bxf3 13.gxf3 Rfd8 14.d5 Ne5

15.Nb5 Qf6 16.f4 Ned7 17.e5 Qxf4! 18.Bxf4 Nxc5 19.Nxc7 Rac8 20.d6 exd6 21.exd6 Bxb2

ボトビニクとフィッシャーは白のポーン損の代償が適切かどうかについて見解が異なっていた。ボトビニクはスミスロフ戦に備えて変化をくまなく研究したが 17…Qxf4 を完全に見落としていたとも言っていた。この試合は結局引き分けに終わった。

 本譜の局面で最もよく指されている手は 9.Qb3 である。1948年の世界選手権競技会でのエーべ対スミスロフ戦では 9…Nb6 のあと次のように続いた。10.a4 a5 11.d5 Bxf3 12.gxf3 Qd6 13.Nb5 Qb4+ 14.Qxb4 axb4 15.Nxc7 Rxa4

ここで 16.Rxa4(16.Rb1? でなく)でほぼ互角の形勢である。

9…Nc6

10.h3

 1965年ラスベガスでの対ラリー・エバンズ戦でレシェフスキーは 10.Be2 と指し次のように進んだ。10…Nb6 11.Qc5 Qd6 12.h3 Bxf3 13.gxf3 Rfd8? 14.e5! +/-

10…Bxf3 11.gxf3 Nb6 12.Qc5 f5 13.Ne2 Qd6 14.e5

14…Qxc5?

 ここは 14…Qd5! が正着で 15.b3 Rfd8(15…Qxf3 16.Nf4 +/-)16.Nf4 Qxc5 17.dxc5 Rxd1+ 18.Kxd1 Nd7 19.Ne6 f4 20.Bxf4 Ndxe5 21.Be3 Nxf3 22.Bg2 Nfd4

で互角の形勢である(フルマン対クロギウス、第25回全ソ連選手権戦、1958年)。

15.dxc5 Nc4 16.f4 Rfd8 17.Bg2 Nxe3 18.fxe3

18…Nb4

 19.Bxc6 bxc6 20.Nd4 を許すのは明らかに自殺行為である。

19.Bxb7 Rab8 20.c6

20…Kf7

 20…Nxa2+ は 21.Kb1 Nb4 22.Nd4 から 23.Ne6 または 23.Nb5 で白が勝つ。また 20…Nd3+ も 21.Kc2 Nc5(21…Nf2 22.Rxd8+ Rxd8 23.Rf1 Ne4 24.Nd4)22.Rxd8+ Rxd8 23.Rd1 で白勝ちの収局になる。

21.Nd4 e6 22.Nb5 Nd5 23.Rxd5!

23…exd5

 23…Rxd5 は 24.Nxc7 Rc5+ 25.Kb1 で 26.Na6 の狙いが受からない。

24.Nxc7 Rdc8 25.Bxc8 Rxc8 26.Nxd5 Rxc6+ 27.Kd2 Ke6 28.Nc3 黒投了

(この章続く)

2010年03月27日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(165)

第7章 ボトビニク時代(続き)

 第7局の引き分けのあとスミスロフが第8局に勝ってリードしその後どうしようもない拮抗した試合が長く続いた。ボトビニクは対戦成績を互角にしようと必死の努力を傾けたがスミスロフも同様の抵抗で応じた。第16局を終わったところでスミスロフが8½-7½でリードしていた。

 第17局は布局からスミスロフが優勢になったがそれを生かすことができず収局ではほんのわずかな有利しか残っていなかった。しかし次の局面で

ボトビニクは 43.Kg3(43.a3 Kh5 44.b4 で引き分けの収局)と指し次のように進んだ。43…Kh5 44.Kf3?(44.a3!)44…Kxh4 45.Ne1 g5 46.fxg5 Kxg5 47.Nc2 Bd6

48.Ne1 Kh4 49.Nc2 Kh3 50.Na1 Kh2 51.Kf2 Bg3+ 52.Kf3 Bh4

53.Nc2 Kg1 54.Ke2 Kg2 55.Na1 Be7 56.Nc2 Kg3 57.Ne1 Bd8

58.Nc2 Bf6 59.a3 Be7 60.b4 a4 61.Ne1 Bg5 62.Nc2 Bf6

63.Kd3 Kf2 64.Na1 Bd8 65.Nc2 Bg5 66.b5 Bd8 67.Nb4 Bb6

68.Nc2 Ba5 69.Nb4 Ke1 白投了

(黒の狙いは 70…Kd1 の後 …Bxb4 から …c2 とすることである。投了図から 70.Kxc3 と取っても 70…Ke2 71.b6 Bxb6 72.Nc2 Ba5+ 73.Kb2 Kd2 74.Kb1 Bc3

で白が負ける)
みごとな収局だった。

(この章続く)

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チェス世界選手権争奪史(166)

第7章 ボトビニク時代(続き)

 第18局では形勢が第17局の逆だった。長く続いた収局でボトビニクにも勝機があったがスミスロフが守りきり、残り5試合で2点のリードを保った。第19局は短手数の引き分けで第20局はボトビニクがタイトルの失冠を避けようと最後の努力を傾けた。

フランス防御
白 スミスロフ
黒 ボトビニク

1.e4 e6 2.d4 d5 3.Nc3 Bb4 4.e5 c5 5.a3 Bxc3+ 6.bxc3 Qc7 7.Qg4

7…f6(第14局でボトビニクは普通の 7…f5 を指し次のように申し分のない局面になった。8.Qg3 Ne7 9.Bd2 O-O 10.Bd3 b6 11.Nh3 Ba6 12.Nf4 Qd7 13.h4 Bxd3 14.cxd3 Nbc6

ギャンビット受諾の 7…f5 8.Qg3 Ne7 9.Qxg7 については後で出てくる1960年タリ対ボトビニクの第1局(182)を参照されたい)8.Nf3

8…Nc6(8…fxe5 9.Bb5+ Kf8 10.O-O +/=)9.Qg3 Qf7 10.dxc5 Nge7 11.Bd3

11…fxe5(11…Ng6 12.exf6 gxf6 13.c4 d4 14.Qd6 e5 15.Be4 Bd7 16.Bd5 Qe7 17.Bh6 +/=)

12.Nxe5 Nxe5 13.Qxe5 O-O 14.O-O Nc6 15.Qg3 e5 16.Be3

16…Bf5(16…Be6!)17.Rab1 Bxd3 18.cxd3 Rae8 19.f4!

19…Qc7(19…e4!)20.fxe5 Rxf1+ 21.Rxf1 Qxe5 22.Qxe5 Nxe5 23.Rd1 Kf7

24.h3 Nc6 25.Bf4 Re7 26.Bd6 Rd7 27.Rf1+ Ke6

28.Re1+ Kf7 29.Kf2 b6 30.Rb1 Ke6 31.Rb5 d4

32.c4 bxc5 33.Bh2 Rf7+ 34.Ke2 Re7 35.Rxc5 Kd7+

36.Kd2 Re6 37.Rg5 g6 38.Rd5+ Kc8 39.Bg1 Rf6

40.Bxd4 Nxd4 41.Rxd4 Rf2+ 42.Kc3 黒投了

(この章続く)

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チェス世界選手権争奪史(167)

第7章 ボトビニク時代(続き)

 1958年の世界選手権戦は前2回よりずっと盛り上がらなかったようだった。たぶん理由は世間が対戦者に飽きてしまったことと初めからスポーツの要素がほとんどなかったからのようだった。ボトビニクはタイトル奪回の事業にまなじりを決して臨みのっけから3連勝した。第1局と第3局は黒番でカロカンを指し第2局は白で圧倒した。

キング翼インディアン防御
白 ボトビニク
黒 スミスロフ

1.d4 Nf6 2.c4 g6 3.Nc3 Bg7 4.e4 d6 5.f3 O-O 6.Be3 a6 7.Bd3 Nc6 8.Nge2 Rb8

9.a3 Nd7 10.Bb1 Na5 11.Ba2 b5 12.cxb5 axb5

13.b4 Nc4 14.Bxc4 bxc4 15.O-O c6 16.Qd2 Nb6

17.Bh6 Bxh6 18.Qxh6 f6 19.a4 Na8 20.Rfb1 f5

21.Qe3 fxe4 22.fxe4 Nc7 23.d5 cxd5 24.exd5 Bb7

25.Rf1 Qd7 26.Qd4 e6 27.dxe6 Nxe6 28.Qg4 Rfe8

29.Nd4 Qg7 30.Rad1 Nc7 31.Qf4 Re5 32.Nc6 Bxc6

33.Qxc4+ d5 34.Qxc6 Rd8 35.Qb6 Qe7 36.Qd4 Qd6

37.Rfe1 Rde8 38.Rxe5 Rxe5 39.b5 Ne6 40.Qa7 d4 41.Ne4 黒投了

(この章続く)

2010年03月30日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(168)

第7章 ボトビニク時代(続き)

 第4局は引き分けで第5局もそうなるはずだった。しかし次の局面で

ボトビニクは 39…Kd6? とポカを出し(正着は 39…Rf5!)40.Rb6+ Kc5 41.Kd3! でスミスロフが1勝をあげた。しかしボトビニクは第6局に快勝して差をまた3点に広げた。

(この章続く)

2010年03月31日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(169)

第7章 ボトビニク時代(続き)

 そのあと4局連続で引き分けが続いた。そしてそのたびにチャンピオンの防衛の可能性が小さくなっていくように思われた。第11局におけるスミスロフの劇的な復活も大勢に影響がないようだった。

グリューンフェルト防御
白 スミスロフ
黒 ボトビニク

1.d4 Nf6 2.c4 g6 3.Nc3 d5 4.Nf3 Bg7 5.Qb3 dxc4 6.Qxc4 O-O 7.e4 Bg4 8.Be3 Nfd7

9.Rd1(この戦法の解説については(164)を参照されたい。第4局で白番のボトビニクは 9.Be2 Nb6 10.Qc5 と指したが何も得られなかった。本譜の手の方が普通で好ましい)9…Nb6 10.Qb3 Nc6 11.d5 Ne5 12.Be2 Nxf3+ 13.gxf3 Bh5 14.h4(当時の新手)

14…Qd7 15.a4 a5 16.Nb5

(狙いは 17.Nxc7)16…Nc8 17.Bd4 Nd6 18.Bxg7 Kxg7 19.Nd4 Kg8 20.Rg1!

20…Qh3(20…f6 は 21.Ne6、20…Kh8 は 21.Qc3、20…c5 は 21.dxc6e.p. bxc6 22.Qc3 ですべて白が有利である)21.Qe3!

(狙いは 22.Qg5 Kh8 23.Qxe7)21…c5(21…e5!)22.dxc6e.p. bxc6 23.Qg5 c5 24.Nc6 黒投了

 しかし次の試合でボトビニクが勝ち7½-4½とリードしたまま折り返した時スミスロフの世界選手権の君臨は終わったことが誰の目にも明らかだった。残りの試合で若いチャンピオンが若干差を詰め、番勝負がもっと長かったらボトビニクが差を維持できなかったかもしれないと思わせたが、最終的には途中のリードが覆らず最終成績がボトビニクの12½-10½で終わった。

(この章終わり)

2010年04月01日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(170)

第8章 タリとペトロシアン

 ボトビニクとスミスロフが象徴的のみならず文字どおり舞台の中央を席巻していた年月にもその陰では多くの動きがあった。特に堅実でかなり地味な主役たちと大きく異なる二人の新しい登場人物がめざましく台頭してきた。それはミハイル・タリとボビー・フィッシャーである。

 ミハイル・ネヘミェビッチ・タリは1936年11月9日にラトビアのリガで生まれた。フィッシャーより7歳年長である。8歳の時にチェスを覚えすぐにリガの少年宮のチェスクラブに入って熱中した。13歳の時までにめざましく上達してラトビアの中心選手のアレクサンドル・コブレンツから注目された。彼はずっとタリのトレーナーかつ親友となった。タリは1953年にラトビア選手権戦に優勝し1954年にはマスター位をかけたサイギンとの14番勝負に8-6で勝った。1956年にはリガでの第23回全ソ連選手権の予選決勝で1位になった。本戦では5回戦を終わったところで二ヶ月若いソ連の最年少グランドマスターのボリス・スパスキーと共に首位に立っていた。しかし二人の対戦ではタリが負かされ結局同点5位に甘んじなければならなかった。

 1957年の第24回全ソ連選手権戦はタリの大活躍の始まりだった。辛うじて本戦に進出できたあと20歳で最年少の全ソ連チャンピオンになった。これはかつてボトビニクが1931年に初めて全ソ連チャンピオンになった時より三ヶ月若かった。さらに同じ年の夏にレイキャビクで開催された学生チーム選手権戦でのめざましい活躍により次のFIDE総会でグランドマスターの称号が授与された。彼はまだ国際マスターにもなっていなかったのでこれは特別の適用だった。

(この章続く)

2010年04月02日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(171)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 1958年にリガで開催された第25回全ソ連選手権戦はゾーナルも兼ねていた。そして僅少差にせよタリが前年の快挙を再現したことに地元のファンは大喜びした。大会のほとんどはペトロシアンが首位を走っていた。タリがやっと追いついたのは最終戦の前の回だった。最終戦でペトロシアンはアベルバッハと短手数で引き分けた。一方タリはスパスキー相手に非常に悪い局面をかろうじて持ちこたえていた。インターゾーナルへの進出を確保するためにはスパスキーも勝たなければならなかった。そして最初の規定手数の時にはそれがほとんど確実のように思われた。スパスキーはインタビューでその時の心境を次のように語っている。

 『指しかけになったとき形勢は私の方が良かった。しかし分析で非常に疲労していて翌朝の再開にはひげをそらないまま臨んだ。重要な対局の前には私はいつも風呂に入り非常にきれいなシャツとスーツを着て、全体的に上品に見えるようにしていた。しかしこの時はずっと指しかけの局面を考えていて対局に行ったときは髪はぼさぼさで疲れ切っているありさまだった。その時の私は頑固なラバのようだった。タリが引き分けを申し込んだことを覚えているが私は断わった。それからは私の力が抜けていくのを感じていた。そして私は試合の筋道が分からなくなった。私の形勢が悪くなっていった。引き分けを申し込んだがタリは拒否した。私が投了したとき割れんばかりの拍手が起きた。しかし私はぼうっとしていて何が起きているのかほとんど理解できなかった。私は世界が破滅したと信じた。何か非常にとんでもないことが起きたように感じられた。この試合のあと私は通りに出て子どものように泣いた。』[カファーティ著『スパスキーの100名局』からの引用]

 1958年にユーゴスラビアのポルトロシュで開催されたインターゾーナルへのソ連の代表にはタリとペトロシアンに加えてダビッド・ブロンシュテインとユーリー・アベルバッハが加わっていた(スミスロフとケレスは挑戦者決定競技会にシードされていた)。スパスキーが再び世界タイトルに挑むのは1965年まで待たなければならなかった。

(この章続く)

2010年04月03日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(172)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 ポルトロシュ競技会の開始に先立って誰からも最強の参加者と目されていたのはタリだったが最も注目を集めていたのは15歳の米国チャンピオンのボビー・フィッシャーだった。ロバート・ジェームズ・フィッシャーは1943年3月9日にイリノイ州シカゴで生まれた。2歳頃に両親が離婚しボビーと7歳の姉ジョーンの養育は母のレジーナの手に委ねられた。彼女は最初アリゾナで教師をして家計を支えそれからボビーが5歳頃にニューヨークのブルックリンに引っ越した。母親が勤めに出ている間ボビーの世話はほとんど姉の役目だった。彼女はモノポリー、パチージ[訳注 インドすごろく]、チェスなどいろいろなゲームを菓子屋から買ってきてボビーの気を紛らわせようとした。ボビーが一番熱中したのはチェスだった(これはかなり幸運だった。もっともモノポリーがどのくらい好きだったかは分からないがそのようなゲームは社会的にはあまり受け入れられていない)。それから2年後に母親が今はなくなったブルックリン・デイリーイーグル紙の当時80歳代のチェス欄担当のハーマン・ヘルムズに手紙を出して自分の息子の相手になってくれるような若いチェス選手を紹介してくれないかと頼んだ。ヘルマンは彼女にブルックリンの公共図書館別館で元スコットランドチャンピオンのマックス・ペービーによる同時対局が開催されると教えた。フィッシャーはペイビーの同時対局に参加し15分ほどで負かされた。しかしその晩にブルックリンチェスクラブに勧誘された。そこで数年間めざましくはないが着実に上達した。そしてマーシャルチェスクラブとマンハッタンチェスクラブにもよく行くようになった。そこでベテランマスターのジョン・W・コリンズと出会った。彼は既に米国の最強の若手選手たちの指導者となっていてその中にはロバート・バーンとドナルド・バーンの兄弟、ウィリアム・ロンバーディ、レイモンド・ワインスタインがいた。コリンズの指導の下ボビーの上達は驚異的だった。1956年にフィラデルフィアで開催された米国ジュニア選手権戦に優勝し、数週間後の米国オープンでは同点4位に入った。ジュニア選手権優勝により同じ年に毎年ニューヨークでクリスマスにかけて開催されていたローゼンワルド杯大会に招待された。そして12人中8位になった。

(この章続く)

2010年04月04日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(173)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 1957年にはジュニア選手権を連覇しクリーブランドでの米国オープンも制した。この時までにはモーフィー、カパブランカそれにレシェフスキーの同じ頃と比較しても同程度かそれを上回る強さの超弩級(ちょうどきゅう)の天才であることが誰の目にも明らかだった。しかし次に何が起こるかは誰もまったく考えつかなかった。フィッシャーは1957年から58年にかけてニューヨークで開催された米国選手権戦でレシェフスキーと米国の他の最強選手たちを押さえて優勝した。この選手権戦はゾーナルも兼ねていたのでフィッシャーはレシェフスキーと共に来るべきポルトロシュでの競技会への出場権を得た(レシェフスキーは参加を辞退し代わりに第3位のジェームズ・T・シャーウィンが権利を得た)。

 他のゾーナル競技会でも意外な進出者が出た。ヨーロッパでの三つのゾーナルをほぼ同じ強さにするためにそれぞれ三つの地域すべてから参加者を集めた。ダブリンで開催された第1地域(元西ヨーロッパ)のゾーナルからは当時ハンガリーにいたパル・ベンコーがゾーナル突破の一人だった。彼はその時までほとんど国際的に無名だったがその後まもなく西側に亡命し(彼は鎮圧された1956年のハンガリー動乱に加わっていた)インターゾーナルは当時無国籍だったのでFIDEの旗の下で対局し挑戦者決定競技会は新しく取得した国籍の米国の旗の下に対局した。オランダのワーヘニンゲンで開催された第2地域からは二人の若い北欧人のアイスランドのフリドリック・オラフソン(1935年生まれ)とデンマークのベント・ラルセン(1935年生まれ)が代表になった。新設されたアジア太平洋地域からはフィリピンチャンピオンのルドルフォ・タン・カルドーソが進出した。彼は前年にコカコーラ社が主催したボビー・フィッシャーとの番勝負で6-2で敗れていた。そしてポルトロシュでは19位に終わったがその大会の結果に重要な役割を果たした。

(この章続く)

2010年04月05日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(174)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 ポルトロシュでの優勝者は2位のスベトザル・グリゴリッチ(1928年生まれ)に半点差をつけて13½-6½の成績を挙げたタリだった。3-4位にはベンコーとペトロシアンが入り5-6位にはフィッシャーとオラフソンが入った。最も意外な結果はベンコーかフィッシャーかそれとも最終戦でカルドーソに負けて挑戦者決定戦への進出を逃がしたダビッド・ブロンシュテインかはなんとも言えない。次の局面でブロンシュテインは交換損の代わりに1ポーンと異色ビショップを得てまだ負けを逃れることを期待していたようだが

41…Kf6 と指しカルドーソに42.Nxg5!(42…Nxg5 43.Bxg5+ Kxg5 44.h7)とすぐに咎められてしまった。ブロンシュテインは投了しそれと共に世界選手権争いに加わるのもこれが最後となった。

 タリが最も若い挑戦者候補群(インターゾーナル進出者のうち最年長は35歳のグリゴリッチだった)の先頭に立ったことは批評家たちによって複雑な受け止め方をされた。一つには彼の戦術能力は計り知れなかった(エーべは『接近戦の能力において彼はアリョーヒンをさえしのいでいるだろう』と婉曲に言わんばかりだった)。以前にブロンシュテインは次のように書いていた。「タリは素早くかつ深く読む能力において並ぶ者がない。それはほとんど何もないような局面で混沌とした状況を作り出すことによって試合を自分の得意な局面に誘導するやり方や、相手の手筋を予期し裏をかく能力においてそうである。」しかし彼の指し方には重大な欠陥があった。何年か前から「彼の指し方は非常に無造作で優勢の実現の仕方が不正確である」と言われていたがそれはまだある程度正しかった。彼はポルトロシュでも速く決めようとするあまり勝ちを逃がすことがあった。

 もっと高尚な批評家たちを本当にいらだたせたのは彼の手筋の哲学だった。他のほとんどのグランドマスターは捨て駒が成立すると読んだ場合に限りそうするが、タリはたとえ成立しないと読んでも喜んで捨て駒を行なった。それを咎める手を見つけるのは相手まかせだった。相手は見つけられないことが普通だった。しかし後で詳細な分析で咎める手が見つかると、当然ながらタリが幸運だったか格下の相手を脅して勝ったように見えた。だから挑戦者決定競技会の前夜にスミスロフがタリの棋風を不健全であり堂々と彼を負かすのがグランドマスターとしての自分の義務だと語ったと報じられた。

(この章続く)

2010年04月06日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(175)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 一方フィッシャーは欠陥のない棋風に成長していて、接近戦の技術に合わせて大局感の才能に磨きをかけ収局にも多くの時間をかけていた。彼とタリは共にアリョーヒンがやったように布局の熱狂的ともいえる研究家だった(フィッシャーは入手可能なソ連のチェス出版物をすべてむさぼり読んでいた)。しかしタリの布局のレパートリーが非常に広かったのに対しフィッシャーはかたくなに少数のお気に入りの戦法に固執しそれらが見事に粉砕されても使い続けることがあった。これは当初から彼のチェスに目立っていた自信の表れだった。例えばポルトロシュでフィッシャーはタリに真っ向から勝負を挑んだ。

ルイロペス
白 フィッシャー
黒 タリ

1.e4 e5 2.Nf3 Nc6 3.Bb5 a6 4.Ba4 Nf6 5.O-O Be7

6.Re1 b5 7.Bb3 O-O 8.h3 d6 9.c3 Nd7 10.d4 Nb6

11.dxe5 Nxe5 12.Nxe5 dxe5 13.Qh5 Qd6 14.Nd2 Be6 15.Nf3 Bxb3

16.axb3 Nd7 17.b4 Rfd8 18.Bg5 f6 19.Be3 Qe6 20.Red1 c5

21.Nh4 Bf8 22.Nf5 g6 23.Qg4 Kf7 24.Nh6+ Bxh6 25.Qxe6+ Kxe6

26.Bxh6 cxb4 27.cxb4 Rdc8 28.Be3 Rc4 29.Rd2 Rxb4 30.Rad1 Nf8

31.Rd6+ Kf7 32.Rb6 Rxb2 33.Rdd6 a5 34.Rb7+ Kg8 35.Rxf6 Re8

36.Rff7 Ne6 37.Rxh7 a4 38.Ra7 Ra8 39.Rhg7+ Kh8 40.Rh7+ Kg8 41.Rhg7+ 引き分け

(この章続く)

2010年04月07日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(176)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 1959年の挑戦者決定競技会はユーゴスラビアの3都市、ブレッド、ザグレブ、べオグラードで8月29日から始まった。8選手が各相手と4戦ずつ対局することになっていた。第1回戦でタリはスミスロフに、ケレスはフィッシャーに共に負けたがすぐにこの二人が優勝争いをすることが明らかになっていった。第1巡が終わったところでタリ、ケレスおよびペトロシアンが4½点で同点首位に立ち、グリゴリッチが3½点、スミスロフ、フィッシャーおよびベンコーが3点、最下位のオラフソンが2点で続いていた。フィッシャーの試合はむらがあったが第4回戦ではグリゴリッチ相手に目の眩むような指し回しを見せた。

シチリア防御
白 フィッシャー
黒 グリゴリッチ

1.e4 c5 2.Nf3 Nc6 3.d4 cxd4 4.Nxd4 Nf6

5.Nc3 d6 6.Bc4 Bd7 7.Bb3 g6 8.f3 Na5

9.Bg5 Bg7 10.Qd2 h6 11.Be3 Rc8 12.O-O-O Nc4

13.Qe2 Nxe3 14.Qxe3 O-O 15.g4 Qa5 16.h4 e6

17.Nde2 Rc6 18.g5 hxg5 19.hxg5 Nh5 20.f4 Rfc8

21.Kb1 Qb6 22.Qf3 Rc5 23.Qd3 Bxc3 24.Nxc3 Nxf4

25.Qf3 Nh5 26.Rxh5 gxh5 27.Qxh5 Be8 28.Qh6 Rxc3

29.bxc3 Rxc3 30.g6 fxg6 31.Rh1 Qd4 32.Qh7+ 黒投了

(この章続く)

2010年04月08日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(177)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 第2巡の第1回戦でタリはスミスロフとまた対戦しみごとに前回の負けの雪辱を遂げた。

カロカン防御
白 タリ
黒 スミスロフ

1.e4 c6 2.d3

 この手に触発されたこのシステムは本局以降ある程度の人気が出たがタリに関してはそうでなかった。彼はボトビニクのカロカンに対する有力な戦型を見つけようと躍起になることがあったがこのシステムは二度と用いることはなかった。白の意図は明らかに色が逆のキング翼インディアンの陣形である。

2…d5 3.Nd2

3…e5

 今日最も普通の手順は 3…g6 4.g3 Bg7 5.Bg2 e5 6.Ngf3 Ne7 7.O-O O-O

で、ここからは 8.Re1 d4 9.a4 c5 10.Nc4 Nbc6 11.c3 Be6 12.cxd4 Bxc4 13.dxc4 exd4 14.e5! +/=(フィッシャー対ヒューブナー、パルマ・デ・マジョルカ、1970年)

や 8.b4!? a5 9.bxa5 Qxa5 10.Bb2 d4 11.a4 Qc7 =(シュテイン対ホルト、ロサンゼルス、インターゾーナル順位決定戦、1967年)という実戦例がある。

4.Ngf3 Nd7 5.d4

 しかしこの手はもちろんまったく一貫性がなく黒は造作なく互角の形勢にできる。

5…dxe4

 5…Ngf6 は 6.Nxe5 Nxe5 7.dxe5 Nxe4 8.Nxe4 dxe4 9.Qxd8+ Kxd8 10.Bg5+ Be7 11.O-O-O+

で白が優勢である。しかし単純に 5…exd4 6.Nxd4 Ngf6 で黒が十分である。

6.Nxe4 exd4 7.Qxd4 Ngf6 8.Bg5 Be7 9.O-O-O O-O 10.Nd6

 タリは明らかに布局からの大きな優位と彼特有の才能が発揮されるような局面を実現した。彼は本譜の手を指した時すでにこの先に現れる駒捨てを見越していたに違いない。

10…Qa5 11.Bc4

 11.Kb1 はもちろん 11…Bxd6 12.Qxd6 Ne4 -+ でだめである[訳注 13.Bd2 で受かっています]。実戦のビショップ出もaポーンを守ることはできない。なぜなら 11…b5 に対して 12.Bb3 は 12…c5 から 13…c4 でビショップを殺されるからである。

11…b5 12.Bd2

12…Qa6

 12…Qa4 の方が積極性に欠けるが次のように安全である。13.Nxc8 Rac8 14.Bb3 Qxd4 15.Nxd4 Nc5 これで黒も指せる局面である。

13.Nf5 Bd8

 13…Bc5 は 14.Qh4 bxc4 15.Bc3 で白の猛攻が待っている。

14.Qh4 bxc4 15.Qg5

15…Nh5

 15…g6 に対する応手は 16.Bc3 Qxa2 17.Qh6 ではない。なぜならその後 17…gxf5 18.Rxd7(18.Ng5 Ba5!)18…Bxd7 19.Qg5+ Kh8 20.Bxf6+ Bxf6 21.Qxf6+ Kg8

で白は千日手にするしかないからである。正着は 16.Bc3 Qxa2 17.Nh6+! Kg7 18.Nh4!

で、二通りの変化がある。
Ⅰ18…Re8 19.Rde1! Re6 20.Ng4 Qa1+ 21.Kd2 Qa6 22.Qh6+ Kg8 23.Rxe6 fxe6 24.Nxg6! Ne4+ 25.Ke2 Nxc3+ 26.bxc3 hxg6[訳注 黒は他の手、例えば 26…Qa5 と指せば勝勢のようです]27.Qxg6+ Kf8 28.Nh6

これで白の攻撃が決まって勝ちになる[訳注 28…Ke7 で千日手引き分けのようです]。
Ⅱ18…Qa1+ 19.Kd2 Qa6 20.N4f5+ Kh8 21.Ke2! Re8+ 22.Kf1

これで白が勝つ。

16.Nh6+ Kh8 17.Qxh5

17…Qxa2

 この手が敗着になった。ここは 17…Bf6! で次のように受かっていた。18.Bc3! Bxc3 19.Ng5! g6 20.Nhxf7+ Rxf7 21.Nxf7+ Kg7 22.Qf3 Bf6 23.Nd6

ここで 23…Qxa2 と取れば 24.Ne8+ Kf7 25.Rxd7+ Kxe8 となって白はちょうど永久チェックをかける余力が残っている(26.Qxf6 Kxd7)[訳注 黒キングがクイーン翼に隠れて勝勢のようです]。

18.Bc3 Nf6 19.Qxf7!

 これで白の勝ちが決まった[訳注 黒は 18…Bf6 でまだ受かっていたようです]。

19…Qa1+ 20.Kd2 Rxf7 21.Nxf7+ Kg8 22.Rxa1 Kxf7 23.Ne5+ Ke6 24.Nxc6 Ne4+ 25.Ke3 Bb6+ 26.Bd4 黒投了

(この章続く)

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チェス世界選手権争奪史(178)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 しかし第10回戦でケレスはタリから2勝目をあげた。単にタリの捨て駒を全部ありがたくちょうだいし平然と強襲をはねのけた。一座がテントをたたんでザグレブに移動した時にはタリは首位から半点引き離されていて得点はケレス10点、タリ9½点、ペトロシアン8½点、グリゴリッチ8点、スミスロフ6点、フィッシャー5½点、ベンコー5点、オラフソン3½点になっていた。

 タリ以外の全員に対して拮抗していたフィッシャーは競技会のザグレブの部の初めのペトロシアン戦で大乱戦の収局になった。

 この局面で手番のペトロシアンは 35…a1=Q とクイーンを作りフィッシャーが 36.h7 と指して以下のように進んだ。36…Qd6?(36…Ne2+ 37.Kf2 Nxg3 と指せば白は 38.Qb8+ で引き分けにしなければならなかった)38.h8=Q Qa7 39.g4 Kc5! 39.Qf8(39.Qh2!)39…Qae7 40.Qa8 Kb4! 41.Qh2 Kb3!

ここで試合が指しかけになった。白の封じ手は 42.Qa1 だった。試合が再開された時ペトロシアンは自陣の改善を続けた。42…Qa3 43.Qxa3+ Kxa3 44.Qh6 Qf7! 45.Kg2 Kb3 46.Qd2 Qh7! 47.Kg3 Qxe4! 48.Qf2? Qh1!

ここでフィッシャーは引き分けを申し込んだ。「彼が受けないのではないかと思っていた。・・・しかし引き分けに持ち込もうとあれほど必死に戦った後では心理状態を再調整して勝ちを目指して指し始める用意は明らかにできていなかった。だから・・・引き分けになった。」

(この章続く)

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チェス世界選手権争奪史(179)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 戦いの舞台はザグレブに移りタリにとっては最高の出来ばえとなった(その中にはケレスからの唯一の勝ちも含まれていた)。この地での締めくくりには15½点で首位に立ち、その後にケレス(14点)、ペトロシアンとスミスロフ(11½点)、グリゴリッチ(10½点)、フィッシャー(8½点)、ベンコー(6½点)そしてオラフソン(6点)が続いていた。競技会がベオグラードで再開された時タリはグリゴリッチに勝ち競争相手のケレスはスミスロフに負けたので差をさらに1点広げた。両者が第24回戦で対戦したとき優勝への数字的な可能性を残すためにはケレスは勝つしかなかった。

クイーン翼ギャンビット拒否
白 タリ
黒 ケレス

1.Nf3 d5 2.d4 c5 3.c4 e6 4.cxd5 exd5 5.g3 Nc6

6.Bg2 Nf6 7.O-O Be7 8.Nc3 O-O 9.Bg5 Be6 10.dxc5 Bxc5

11.Na4 Bb6 12.Nxb6 axb6 13.Nd4 h6 14.Bf4 Qd7 15.a3 Bh3

16.Qd3 Rfe8 17.Rfe1 Bxg2 18.Kxg2 Re4 19.Nf3 Rae8 20.Bd2 d4

21.e3 Qd5 22.exd4 Rxd4 23.Rxe8+ Nxe8 24.Qe2 Nd6 25.Be3 Rd3

26.Kg1 Nc4 27.Ne1 Rb3 28.Rc1 Nxe3 29.fxe3 Qe5 30.Ng2 Rxb2

31.Qd3 Qe6 32.Nf4 Rb3 33.Rc3 Rxc3 34.Qxc3 Qe4 35.Qb3 b5

36.Qxb5 Qxe3+ 37.Kf1 Qf3+ 38.Kg1 Qe3+ 39.Kf1 g5 40.Ne2 Ne5

41.Qxb7 Nd3 42.Qc8+ Kg7 43.Qf5 Qd2 44.Nd4 Qe1+ 45.Kg2 Qe3

46.Qd5 Qf2+ 47.Kh3 Qf1+ 48.Kg4 Nf2+ 49.Kf5 Qd3+ 50.Ke5 Ng4+

51.Kd6 Qxa3+ 52.Kc7 Qe7+ 53.Kc8 Ne3 54.Qb5 Qe4 55.Qb2 Kg6

56.Qb6+ f6 57.Ne6 Nc4 58.Qa6 Ne5 59.Nc7 Qc2 60.Qd6 Qxh2

61.Nd5 Qf2 62.Kb7 Qxg3 63.Qxf6+ Kh5 64.Qe6 Ng4 65.Ne7 Qf3+

66.Kc8 Kh4 67.Nf5+ Kh3 68.Kd8 h5 69.Qg6 Ne5 70.Qe6 Ng4

71.Qg6 Ne5 72.Qe6 Qd3+ 73.Nd4+ Ng4 74.Qd5 Nf2 75.Kc8 h4

76.Qe5 Qe4 77.Qf6 Qf4 78.Nf5 Ne4 79.Qe6 Qg4 黒投了

(この章続く)

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チェス世界選手権争奪史(180)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 しかしタリはこんなことではびくともしなかった。彼は成績が下位の選手たちを叩くことにより得点のほとんどをたたき出していた(最終的にはフィッシャーに4-0、オラフソンに3½-½、ベンコーに3½-½だった)。そして第27回戦では楽ではなかったがフィッシャーをまた破った。

シチリア防御
白 フィッシャー
黒 タリ

1.e4 c5 2.Nf3 d6 3.d4 cxd4 4.Nxd4 Nf6 5.Nxc3 a6 6.Bc4

(当時フィッシャーはいつも決まってこの手を指していた。そしてロシア勢はそれに対して準備怠りなかった)6…e6 7.Bb3

7…b5(第13回戦でタリは 7…Be7 と指し次のように進んだ。8.f4 O-O 9.Qf3 Qc7 10.O-O? b5 11.f5 b4 12.Na4 e5 13.Ne2 Bb7=/+

途中 10.f5! なら白の方が良かった)
8.f4

8…b4(8…Bb7! 9.f5 e5 10.Nde2 Nbd7 11.Bg5 Be7 12.Ng3 Rc8 13.O-O h5! 14.h4 b4 =/+

R・バーン対フィッシャー、スース、1967年)9.Na4 Nxe4 10.O-O

10…g6?(10…Bb7 または 10…Nf6)11.f5! gxf5 12.Nxf5!

12…Rg8(12…exf5? 13.Qd5 Ra7 14.Qd4 +/- または 12…d5! 13.Nh6 Bxh6 14.Bxh6 +/=)13.Bd5! Ra7

14.Bxe4?(14.Be3! Nc5 15.Qh5! Rg6 16.Rae1 +/-)14…exf5 15.Bxf5 Re7!

16.Bxc8 Qxc8 17.Bf4?(17.Qf3!)17…Qc6! 18.Qf3 Qxa4!

19.Bxd6 Qc6! 20.Bxb8 Qb6+ 21.Kh1 Qxb8

22.Qc6+(22.Rae1 Kd8! 23.Rd1+ Kc7! 24.Qf4+ Kb7 25.Rd6 Qc7 26.Qxb4+ Kc8 27.Rxa6 Qb7! 28.Qxb7+ Kxb7 29.Raf6 Rg7 =

フィッシャーの研究)22…Rd7 23.Rae1+ Be7 24.Rxf7 Kxf7 25.Qe6+ Kf8!

26.Qxd7(26.Rf1+ Kg7 27.Rf7+ Kh8 28.Qxd7 Rd8 29.Qg4 Qe5 -/+

26…Qd6 27.Qb7 Rg6 28.c3 a5 29.Qc8+ Kg7 30.Qc4 Bd8 31.cxb4 axb4

32.g3?(32.Qe4)32…Qc6+ 33.Re4 Qxc4 34.Rxc4 Rb6! 35.Kg2 Kf6 36.Kf3 Ke5

37.Ke3 Bg5+ 38.Ke2 Kd5 39.Kd3 Bf6 40.Rc2?(40.b3)40…Be5 41.Re2 Rf6

42.Rc2 Rf3+ 43.Ke2 Rf7 44.Kd3 Bd4! 45.a3 b3 46.Rc8 Bxb2

47.Rd8+ Kc6 48.Rb8 Rf3+ 49.Kc4 Rc3+ 50.Kb4 Kc7 51.Rb5 Ba1 52.a4 b2! 白投了

(この章続く)

2010年04月12日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(181)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 これでタリはボトビニクへの次期挑戦者になった。フィッシャーは今回の挑戦者決定競技会に進出したことにより最年少のグランドマスターになっていた。そしてケレスはいつものように2位だった。

 ボトビニクに立ち向かうタリの可能性についての衆評はもちろん大きく分かれていた。とうとうタリがうそ筋の駒捨てに抗体を持つ相手と対決すると考える者がいた。その相手は常にタリのはったり戦術を堅固な防御で迎えることだろう(ケレスがかなりの程度やってのけたことがこの見方を助長した)。一方タリは世界中のチェス愛好家、特に若者の目にほとんど神のように映っていた。そして多くの者には彼の途切れることのない快進撃が止まることなど想像もできないことだった。客観的にはタリには若さという有利があった。26歳差はラスカー対シュタイニッツ以来の世界選手権戦における最も大きな年齢差だった。

 番勝負を前にしてのタリのボトビニク観は(133)でのエーべの見方と比較するとことに興味深い。

 『確かなことは私がこれから対戦する相手は最近激烈な戦いに自ら飛び込んで行っていないということである。そして戦術の「嵐」に巻き込まれた場合は自信を欠いている。布局で自分に主導権のある局面になれば、圧力にさらされた相手はほとんど起こりえない奇跡を願うしかなくなっている。彼の多くの試合を見て分かったことはM・ボトビニクは収局でのごくわずかな有利に満足し、非常に洗練された技量のおかげで勝利に至るのが通例であるということである。

 しかし彼のすべての試合を研究して得られた最も重要な結論は次のことである。M・ボトビニクは対局中ほとんどの思考を戦略上の問題に費やしていて、いろいろな戦術上の変化手順には気をそらされていない。これはプラスともなり得るが(作戦の実現の一貫性)マイナスにもなり得る。というのはいくつかの局面で戦術をおろそかにしたためにかなり勝負にひびいているからである。』[ミハイル・タリ著「1960年チェス世界選手権戦」]

(この章続く)

2010年04月13日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(182)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 この考察には複雑さへの愛やこれまでの戦いの渇望はなくなり、純粋に技術的な面が強調されていることが今や明らかだった。番勝負の第1局は3月15日にモスクワのプーシキン劇場で始まり、タリの分析が的を射ていたことが示されていた。

フランス防御
白 タリ
黒 ボトビニク

1.e4 e6 2.d4 d5 3.Nc3 Bb4 4.e5 c5 5.a3 Bxc3+ 6.bxc3 Qc7

7.Qg4 f5 8.Qg3 Ne7 9.Qxg7 Rg8 10.Qxh7 cxd4 11.Kd1 Bd7

12.Qh5+ Ng6 13.Ne2 d3 14.cxd3 Ba4+ 15.Ke1 Qxe5 16.Bg5 Nc6

17.d4 Qc7 18.h4 e5 19.Rh3 Qf7 20.dxe5 Ncxe5

21.Re3 Kd7 22.Rb1 b6 23.Nf4 Rae8 24.Rb4 Bc6

25.Qd1 Nxf4 26.Rxf4 Ng6 27.Rd4 Rxe3+ 28.fxe3 Kc7

29.c4 dxc4 30.Bxc4 Qg7 31.Bxg8 Qxg8 32.h5 黒投了

(この章続く)

2010年04月14日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(183)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 第2局の引き分けの後ボトビニクは今や常用となっていたカロカンに転じた。そして 1.e4 c6 2.Nc3 d5 3.Nf3 Bg4 4.h3 Bxf3

の後タリは驚きの 5.gxf3?! を指した。試合は引き分けに終わりこの新手は繰り返されることがなかった。しかしカロカンに対して白が優位を勝ち取れるのかという問題はこの番勝負のもっとも重要な問題の一つになった。

(この章続く)

2010年04月15日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(184)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 第4局と第5局もボトビニクが優勢ながら引き分けに終わった。そして迎えた第6局ではタリがボトビニクに対しても「知らぬが仏」が通じることを示した。

キング翼インディアン防御
白 ボトビニク
黒 タリ

1.c4 Nf6 2.Nf3 g6 3.g3 Bg7 4.Bg2 O-O 5.d4 d6 6.Nc3

6…Nbd7

 現代流の 6…Nc6 については後出(218)の1966年のペトロシアン対スパスキー世界選手権戦第10局を参照されたい。

7.O-O e5 8.e4

8…c6

 以前の主手順の 8…Re8 から 9…exd4 は今では廃れた。一例は 8…Re8 9.h3 exd4 10.Nxd4 Nc5 11.Re1 a5 12.Qc2 c6 13.Be3 Nfd7 14.Rad1 a4 15.Nde2 Qa5 16.Bf1 Ne5 17.Nd4 a3 18.f4 Ned7 19.b3

で白がまだ少し優勢だった(レシェフスキー対ブロンシュテイン、チューリヒ、1953年)。

9.h3

 9.Be3 は前出(155)の1954年のボトビニク対スミスロフ世界選手権戦第14局を参照されたい。

9…Qb6

 9…exd4 と指せば黒はまだ引用した実戦の手順に戻ることができる。9…Qa5 も今日ではよく見かける。

10.d5

 黒の狙いはもちろん 10…exd4 11.Nxd4 Nxe4! である。白は実戦の手の代わりに 10.Re1 または 10.Rb1 で中原の争点を維持することができる。
Ⅰ10.Re1 Re8 11.d5 c5 12.a3 Qd8 13.Nb5 Nf8 14.b4 +/=(レンジェル対グリゴリッチ、アムステルダム、1964年)

Ⅱ10.Rb1 exd4 11.Nxd4 Nxe4?(11…Qb4!)12.Nxe4 Bxd4 13.b4! Ne5 14.c5! dxc5 15.bxc5! Qd8 16.Bh6 +/-(レシェフスキー対ロンバルディー、米国選手権戦、1958年)

10…cxd5 11.cxd5 Nc5 12.Ne1 Bd7 13.Nd3 Nxd3 14.Qxd3

14…Rfc8

 14…Nh5 は 15.Be3 Qd8 16.Qe2! f5 17.exf5 Bxf5

で白が良い。しかし 14…Ne8 なら 15.Be3 Qd8 16.Rac1 f5 17.exf5 gxf5 18.f4

でほぼ互角である。タリは最も積極的な手を選んだ。

15.Rb1 Nh5 16.Be3 Qb4 17.Qe2 Rc4 18.Rfc1 Rac8 19.Kh2 f5

 黒はf5の地点でビショップで取り返す必要があるので、白の駒にe5の地点を譲るこの手は黒の21手目の捨て駒がなければ単純に悪手である。

20.exf5 Bxf5 21.Ra1 Nf4!?

 「私に言わせればこの手に関する議論は完全に無意味である。他の手はすべて悪いと言えば十分だろう。」(タリ)

22.gxf4 exf4

23.Bd2

 後になって 23.a3 なら白が完全に勝っていたという主張が出てきた。しかしタリが示したようにことはなかなかどうして明白でない。23.a3 Qb3 24.Bxa7 Be5!(24…b6 25.Qd1!)

黒の狙いは 25…f3+ である。ここで白の応手が分かれる。
Ⅰ25.Kg1 b6 26.Qd1 Qxb2 27.Ra2 Rxc3

これは黒の勝ちになる。
Ⅱ25.f3 b6 26.Qd1 Qxb2 27.Ra2 Rxc3 28.Rxb2 Rxc1 29.Qd2 Bxb2 30.Qxb2 R1c2 31.Qd4 Re8 32.Qxf4 Ree2 33.Qg3

これは引き分けに終わるだろう。
Ⅲ25.Bf3! b6 26.Qd1 Qxb2 27.Ra2 Rxc3 28.Rxb2 Rxc1

29.Qd2 Be4! または 29.Qe2 R8c3 で形勢不明である。

23…Qxb2

 タリはこの手と 23…Be5 との選択に15分費やした。後者の予想手順は 24.f3 Qxb2 25.Nd1! Qd4 26.Rxc4 Rxc4 27.Rc1 Rxc1 28.Bxc1 Qxd5 29.Bf1

でほぼ互角の分かれである。しかし本譜のタリの読みには見落としがあった・・・

24.Rab1 f3

25.Rxb2?

 タリは 25.Bxf3 Bxb1 26.Rxb1 Qc2 27.Be4! Rxe4

の後 28.Qxe4 Be5+ しか読んでいなかった。しかし 28.Nxe4! Be5+(28…Qxb1 29.Nxd6 Rf8 30.Qe6+ Kh8 31.Nf7+ Rxf7 32.Qxf7 Qf5 33.Qxf5 gxf5 34.Kg3 Be5+ 35.Bf4

)29.Kg2 Qxb1 30.Nxd6! Bxd6 31.Qe6+ Kg7 32.Qd7+

で白が大優勢だった(フロールの研究)。

25…fxe2 26.Rb3 Rd4

27.Be1

 27.Be3 なら 27…Rxc3 28.Rbxc3 Rd1 で黒が勝つ。

27…Be5+ 28.Kg1

28…Bf4

 ここでタリは 28…Rxc3 29.Rbxc3 Rd1 30.Rc4 Bb2 という速い勝ちを逃がした。彼にとっては珍しいことだが実戦の手も確実に勝つ手である。

29.Nxe2 Rxc1 30.Nxd4 Rxd1+ 31.Bf1 Be4 32.Ne2 Be5 33.f4 Bf6 34.Rxb7 Bxd5 35.Rc7 Bxa2 36.Rxa7 Bc4 37.Ra8+

37…Kf7

 37…Kg7 として38.Re8 に 38…d5、38.Ra7+ に 38…Kh6 と応じる方が簡明だった。

38.Ra7+ Ke6 39.Ra3 d5 40.Kf2 Bh4+ 41.Kg2 Kd6 42.Ng3 Bxg3 43.Bxc4 dxc4 44.Kxg3 Kd5 45.Ra7 c3 46.Rc7 Kd4

 ここで指しかけになったがボトビニクは対局を再開せずに投了した。

(この章続く)

2010年04月16日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(185)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 第7局でタリはボトビニクのカロカンを粉砕し完勝に向かって順風満帆のように見えた。選手権戦の本でボトビニクは以降の試合で勝敗に見合った指し方をしていないとタリを批評している。3点も勝ち越しているのだから安全に指して相手に危険を冒させてことによったらやり過ぎさせれば良かったというのである。「しかしあと17局も引き分けを目指して指すのは非常にうんざりする」とタリは反論している。いずれにせよボトビニクは激闘の末に第8局に勝った。そして第9局を迎えた。

カロカン防御
白 タリ
黒 ボトビニク

1.e4 c6 2.d4 d5 3.Nc3 dxe4 4.Nxe4 Bf5 5.Ng3 Bg6 6.N1e2

6…Nf6(第5局の 6…e6 も第7局の 6…Nd7 から 7.h4 h6 8.Nf4 Bh7 9.Bc4 e5 も互角の形勢にならなかった)7.h4(7.Nf4 e5! 8.dxe5 Qxd1+ 9.Kxd1 Ng4 10.Nxg6 hxg6 11.Ne4 Nxe5 =

7…h6 8.Nf4 Bh7 9.Bc4 e6 10.O-O Bd6 11.Nxe6!

11…fxe6 12.Bxe6 Qc7 13.Re1(13.Nh5!)13…Nbd7 14.Bg8+ Kf8!

15.Bxh7 Rxh7 16.Nf5 g6! 17.Bxh6+ Kg8 18.Nxd6 Qxd6 19.Bg5 Re7

20.Qd3(20.Rxe7 Qxe7 21.h5 Qf7! -/+)20…Kg7 21.Qg3??(21.f4! Rae8 22.Re5! c5 23.c3 cxd4 24.cxd4 Nxe5 25.fxe5 Rxe5 26.Bxf6+ +/-

21…Rxe1+ 22.Rxe1 Qxg3 23.fxg3 Rf8! 24.c4 Ng4

25.d5(25.Re4 Ndf6 26.Rf4 Re8 -/+)25…cxd5 26.cxd5 Ndf6 27.d6 Rf7 28.Rc1 Rd7 29.Rc7 Kf7

30.Bxf6 Nxf6 31.Kf2 Ke6 32.Rxd7 Kxd7 33.Kf3 Kxd6 34.Kf4 Ke6

35.g4 Nd5+ 36.Ke4 Nf6+ 37.Kf4 Nd5+ 38.Ke4 Nb4

39.a3?(39.a4!)39…Nc6 40.h5 g5 41.h6 Kf6 42.Kd5 Kg6 43.Ke6 Na5

44.a4 Nb3 45.Kd6 a5 46.Kd5 Kxh6 47.Kc4 Nc1 48.Kb5 Nd3

49.b3 Nc1 50.Kxa5 Nxb3+ 51.Kb4 Nc1 52.Kc3 Kg6 53.Kc2 Ne2

54.Kd3 Nc1+ 55.Kc2 Ne2 56.Kd3 Nf4+ 57.Kc4 Kf6 58.g3 Ne2 白投了

(この章続く)

2010年04月17日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(186)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 第10局は引き分けで第11局はタリが勝ち2点差をつけた。これで彼は番勝負の流れを緩やかにしようと決めたらしく5局連続して引き分けが続いた。第17局も次図で棋理に反する
12.f4?! でなく 12.Qd2 と指していたら引き分けになっていただろう。

タリは変化を考えている間にいったい何が問題なのかが突然明らかになったと述べている。つまり 12.Qd2 と指し引き分けになったら「妻と私が映画か演劇に行く時間があるだろうか」ということである。代わりに 12.f4 と指し41手で勝ったことからしてその答えはノーだったろう。これでタリはまた3点差をつけボトビニクの可能性はなくなったように思われた。

(この章続く)>

2010年04月18日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(187)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 しかしボトビニクは挽回に努めた。第18局は収局で惜しくも勝ちを逃がした。そして第19局では黒番でも勝つ可能性を求めて諸刃の剣のオランダ防御を指した。

オランダ防御
白 タリ
黒 ボトビニク

1.c4 f5 2.Nf3 Nf6 3.g3 g6 4.Bg2 Bg7 5.d4 d6

6.Nc3 e6 7.O-O O-O 8.Qc2 Nc6 9.Rd1 Qe7

10.Rb1 a5 11.a3 Nd8 12.e4 fxe4 13.Nxe4 Nxe4

14.Qxe4 Nf7 15.Bh3 Qf6 16.Bd2 d5 17.Qe2 dxc4

18.Bf4 Nd6 19.Ng5 Re8 20.Bg2 Ra6 21.Ne4 Nxe4

22.Bxe4 b5 23.b3 cxb3 24.Qxb5 Rf8 25.Qxb3 Rb6

26.Qe3 Rxb1 27.Bxb1 Bb7 28.Ba2 Bd5 29.Bxd5 exd5

30.Bxc7 a4 31.Rd3 Qf5 32.Be5 Bh6 33.Qe2 Rc8

34.Rf3 Qh3 35.Bc7 Bf8 36.Qb5 Qe6 37.Be5 Qc6

38.Qa5 Ra8 39.Qd2 Rc8 40.Kg2 Qd7 41.h4 Qg4 黒投了

(この章続く)

2010年04月19日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(188)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 何はともあれ今回の番勝負に関してはこれで終わりだった。第20局と第21局は短手数で引き分けになりタリが世界チャンピオンになった。感傷的な人は一つの時代の終わりを悲しんだ。ボトビニクは断続的ではあったが12年間世界チャンピオンの座にあった。もっと前向きな人は来るべき時代について考えをめぐらした。タリは23歳にすぎなかった。そして彼の最も有力な挑戦者と目されるスパスキーとフィッシャーの二人は十分手ごわくもっと強くなるはずだが、それでもタリより強い者が現れるとはとても信じられなかった。ボトビニクに再戦の権利があることはもちろん当然注目されていた。彼の信奉者のほとんどはさらに屈辱を受ける機会になりかねないことを危惧していた。

 精力的で若い相手に成すところなく屈っしてからほぼ1年後の日にボトビニクはタイトルを取り戻していた。それも負けた番勝負よりももっと一方的と思われる番勝負で奪回したのだった。

 この奇妙な有為転変の理由は理解しがたい。確かに最も重要な理由の一つはタリの健康状態だった。彼は容易ならぬ腎臓病でたびたび入院していた。そしていまだに患っている。最初は選手権を奪取した直後に発病が始まった。1962年キュラソーでの挑戦者決定競技会では成績が振るわないまま途中で棄権しなければならなかったが、しかしそれは唯一の例外でいつどのくらい彼の対局に病気が影響していたかは何とも言えない。タリは不成績の前でも後でも言い訳をする人間ではなかった。同様にボトビニクが2回目の番勝負ではるかに好調だったことは言っておかなければならない。そして最初の番勝負で自分をこっぴどく負かした相手に再び挑み負かしてしまったボトビニクの計り知れぬ自信と勇気は誇張などと言えるものではない。

(この章続く)

2010年04月20日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(189)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 対局は1961年3月15日からモスクワのエストラーダ劇場で始まった。ボトビニクが第1局に勝ちタリが第2局に勝った。そして第3局でボトビニクが布局で軽妙な手筋を放って優勢を確立した。

ニムゾインディアン防御
白 ボトビニク
黒 タリ

1.c4 Nf6 2.Nc3 e6 3.d4 Bb4 4.e3 O-O

5.Bd3 d5 6.a3 dxc4 7.Bxc4 Bd6 8.Nf3 Nc6

9.b4(第1局でボトビニクは 9.Nb5 と指したが 9…e5 10.Nxd6 Qxd6 11.dxe5 Qxd1+ 12.Kxd1 Ng4 13.Ke2 Ncxe5

と進んで優勢にならなかった)9…e5 10.Bb2 Bg4 11.d5 Ne7 12.h3 Bd7 13.Ng5 Ng6

14.Ne6!(これで白は陣形的に勝勢になった)14…fxe6 15.dxe6 Kh8 16.exd7 Qxd7 17.O-O Qf5 18.Nd5 Ng8

19.Qg4 Qc2 20.Qe2 Qf5 21.Qg4 Qc2 22.Qe2 Qf5 23.e4 Qd7

24.Rad1 Rad8 25.Qg4 Qe8 26.g3 Nh6 27.Qh5 Ng8 28.Qe2 N6e7

29.Ne3 Nh6 30.Ng4! Nxg4 31.hxg4 Nc6 32.Kg2 Be7 33.Bd5 Nd4

34.Bxd4 exd4 35.Bc4 c5 36.b5 Bf6 37.f4 d3 38.Rxd3 Rxd3 39.Bxd3 Bd4

40.e5 g6 41.Rh1 Kg7 42.Qe4 b6 43.Bc4 黒投了

(43…Qe7 の後[43…Qd7 は 44.Qc6! Qxc6 45.bxc6 Rc8 46.e6!]44.g5![45.Qc6 から 46.Qf6+ の狙い]44…Rc8 45.f5 gxf5 46.Rxh7+ Kxh7 47.Qh4+

で黒キングが詰まされる)

(この章続く)

2010年04月21日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(190)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 3局引き分けが続いたあとボトビニクが第7局に勝って2点差をつけた。しかしタリは第8局に勝ってすぐに挽回した。

カロカン防御
白 タリ
黒 ボトビニク

1.e4 c6 2.d4 d5 3.e5 c5 4.dxc5 e6 5.Qg4 Nc6

6.Nf3 Qc7 7.Bb5 Bd7 8.Bxc6 Qxc6 9.Be3 Nh6 10.Bxh6 gxh6

11.Nbd2 Qxc5 12.c4 O-O-O 13.O-O Kb8 14.Rfd1 Qb6 15.Qh4 a5

16.Rac1 Rg8 17.Nb3 a4 18.c5 Qc7 19.Nbd4 Rc8 20.b4 axb3e.p.

21.axb3 Qd8 22.Qxd8 Rxd8 23.b4 Rg4 24.b5 Rc8 25.c6 Be8

26.Rc2 Bg7 27.Ra1 Bxe5 28.Nxe5 Rxd4 29.Nd7+ 黒投了

(この章続く)

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チェス世界選手権争奪史(191)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 それからボトビニクが3局棒に勝って7½-3½と差を広げた。そしてチェス界は騒然となった。タリの病気は番勝負中本当に病気だったとしてもその気配さえ感じられなかった。ここ2、3年当たるべからざる勢いだった青年がわずか1年前の初めての番勝負の終わりに老け込み憔悴したような相手にどうして突然壁際に追い詰められたのか人々はまったく説明に窮してしまった。もちろんタリの熱狂的な支持者の中にはまだ巻き返しを期待する者もいた。しかしボトビニクは冷酷なまでにリードを守り抜き第20局を終わったとき番勝負に勝つには1引き分けを必要とするだけだった。第21局はある意味では縮図の対戦だった。老人が若き挑戦者を手玉に取った。

キング翼インディアン防御
白 ボトビニク
黒 タリ

1.d4 Nf6 2.c4 g6 3.Nc3 Bg7 4.e4 d6 5.f3 Nbd7

 これは …c5 と突く含みのある手である。過去にこの手でうまくいったことがあった。例えば1958年バルナでの学生団体選手権戦のボボツォフ対タリ戦は次のように進んだ。6.Be3 O-O 7.Qd2 c5 8.Nge2 Qa5 9.O-O-O a6 10.Kb1 b5 11.Nd5 Nxd5!?

12.Qxa5 Nxe3 13.Rc1?(13…Rd3!)13…Nxc4 14.Rxc4 bxc4 15.Nc1 Rb8 =/+

6.Be3 e5

 …c5 と突くつもりではなかった。

7.Nge2 O-O 8.d5 Nh5

9.Qd2

 これで主手順の中の一つに戻った。もちろん 9.g4 Nf4 10.Nxf4 exf4 11.Bxf4 でポーン得するのは 11…f5!

で黒の反撃がきつい。

9…f5 10.O-O-O a6 11.Kb1 Ndf6 12.exf5 gxf5 13.Ng3

13…Qe8

 13…f4 は 14.Nxh5 fxe3 15.Nxf6+ Qxf6 16.Qc2(16.Qxe3 は 16…e4! 17.fxe4 b5 で黒の攻撃が強いからだめである)で白が優勢になる。

14.Bd3

14…Nxg3

 しかしここでは 14…e4! 15.Nxh5 Nxh5 16.fxe4 f4 で黒が十分だった。

15.hxg3 c5 16.Bh6 Qg6 17.g4 b5

18.Bxg7

 ここは 18.Rh4 の方が正確だった。

18…Kxg7 19.Rh4 bxc4 20.Bc2 h6! 21.Rdh1 Qg5 22.Qxg5+ hxg5 23.Rh6

23…fxg4

 23…e4 は 24.fxe4(24.gxf5 Bxf5 25.fxe4 Bh7!)24…Nxe4 25.Nxe4 fxe4 26.Rxd6

24.fxg4 Bxg4 25.Rg6+ Kf7 26.Rf1 Ke7 27.Rg7+

27…Ke8

 27…Kd8 なら白は 28.Ne4! と指す(28.Rxf6 は 28…Rxf6 29.Rg8+ Ke7 30.Rxa8 Rf1+ -/+ で良くない)。

28.Ne4 Nd7

29.Nxd6+

 ここでも白は 29.Rxf8+ Kxf8 30.Rxg5 Be2! と間違える可能性があった。

29…Kd8 30.Rxf8+ Nxf8 31.Nxc4 Bd7 32.Rf7 Kc7 33.d6+ 黒投了

(この章続く)

2010年04月23日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(192)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 再戦でのボトビニクの勝利は世界選手権の将来の予測を楽しいものにした。彼がいつまでもチャンピオンではいられないことは明らかだが、あるいは可能だろうか。タリはなんといっても24歳にすぎないのですぐに復活するだろうか。はたまた他の若い有望株の一人が、たぶんスパスキーかフィッシャーだが、若さにもかかわらず取って代わることになるのだろうか。そして古参をみな度外視することができるのだろうか。いや、老練なボトビニクの最近のできばえを見ればそんなことは決してない。

 1962年ストックホルムでのインターゾーナルは驚きの結果だったけれども明解な答えが出たように見えた。この大会はフィッシャーの独壇場で、無敗で後続に2½点差をつけて圧勝した。

 次期世界選手権の計画を策定するためにFIDE総会が1959年ルクセンブルクで開催されたとき、注意深く立てられた計画が混乱に陥る状況を予測することはほとんど不可能だった。困難な状況がほとんどすぐに発生した。1960年東ドイツ政府はベルリンの東と西を隔てる壁を築いた。国際的な反響はチェス界にもたちどころに波及した。中欧ゾーナルはオランダのベルヒエンダルで開催されることになっていたが東ドイツのボルフガング・ウールマンがオランダへのビザを拒否されたとき一人欠場になった。そしてブルガリア、チェコスロバキア、ハンガリー、ポーランドそれにユーゴスラビアの代表が抗議で参加を取り止めたとき欠場は数名になった。それでも残りの選手たちは試合をしたが、最終結果が認められるのかについては不確実だった。フリドリク・オラフソンが優勝しオーストリアのアンドレアス・デュクシュタインと西ドイツのルドルフ・テシュナーが同点2位で続いた。

 実のところこの競技会は1961年夏にチェコスロバキアのマリアンスケ=ラズニェで再開催された。そしてオラフソンがまた優勝しチェコスロバキアのミロスラフ・フィリップとウールマンがそれぞれ2位と3位に入った。デュクシュタインもテシュナーもこの2度目の大会には参加しなかったが1961年のFIDE総会で両者が番勝負を戦い勝った方が追加で進出することが認められた。この番勝負は3-3になったときデュクシュタインが不可解な棄権をしテシュナーに権利を譲った。

(この章続く)

2010年04月24日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(193)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 他のゾーナル競技会はもっと順調だった。第26回全ソ連選手権戦はゾーナルも兼ねていて優勝はペトロシアンだった。続いてはビクトル・コルチノイ(1931年生まれ)で、彼は長い間ソ連チェス界の強豪だったがこれまで世界選手権戦の競技会に進出したことはなかった。さらにゲレルとウクライナ選手権者だが比較的無名だったレオニド・シュテイン(1934年生まれ)が続いた。ゾーナルを突破できなかった選手には元世界チャンピオンのワシリー・スミスロフ、ボリス・スパスキーそれにダビド・ブロンシュテインが名を連ねた。これらの選手はアジアゾーナルからの進出者にポーンと1手のハンディを与えても勝つかも知れないことは紛れもない事実なのでシステム全体の公平性に疑問が投げかけられた。1961年FIDE総会でスミスロフにインターゾーナルへの進出を与えるべきという主張は退けられた。そしてインターゾーナルから挑戦者決定競技会に進出できるロシア選手は3名までということも決定された。

 1961年米国選手権戦もまた米国ゾーナルを兼ねていた。これはボビー・フィッシャーが優勝しウィリアム・ロムバルディとレイモンド・ワインスタインが後に続いた。しかし舞台裏の交渉の結果フィッシャー、アーサー・ビズガイアーそれにパル・ベンコーが米国の代表となった。

 インターゾーナルは開催国が見つけられなかったので数ヶ月遅れた。ソ連とスペインで開催する案が共につぶれたあとFIDE会長のフォルケ・ロガルドがストックホルムの市当局に懸命の要請をして1962年1月後半にスウェーデンの首都で急遽開催されることになった。

(この章続く)

2010年04月25日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(194)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 インターゾーナルの結果は2語で要約できた。ボビー・フィッシャー。最後の進出者の席をめぐってはいつものどたばたがあってベンコーが決定戦に勝ったがすべての視線は18歳の米国選手に注がれていた。フィッシャーは第5回戦で首位に立ち一度もその座を譲らなかった。最初の2戦は2引き分けとゆっくりした出だしだったがそれから5連勝と快調に飛ばし第7回戦までに首位に立った。第8回戦は抜け番で得点上はほんの少しの間だけウールマンに抜かれたが第11回戦からまた5連勝して首位を奪い返しこんどはそのままだった。第16回戦からはソ連軍団と4連戦で、シュテイン、ペトロシアンそれにゲレルと引き分けコルチノイには次の試合のように勝った。

ルイロペス
白 フィッシャー
黒 コルチノイ

1.e4 e5 2.Nf3 Nc6 3.Bb5 a6 4.Ba4 Nf6 5.O-O Be7 6.Re1 b5 7.Bb3 O-O 8.c3 d6 9.d4

 フィッシャーの兵器庫の中で最強の武器の一つは布局の中の小さな意外性が無限とも思えるほどあることである。コルチノイ戦にもこのほとんど未開拓の戦型を用意していた(1950年ブダペストでのブロンシュテイン対ケレス戦(139)を参照)。

9…Bg4 10.Be3 exd4 11.cxd4 Na5 12.Bc2 Nc4 13.Bc1 c5 14.b3 Na5

 コルチノイはほどなく書いた試合解説で代わりに 14…Nb6 なら完全に互角になるという見解を載せていた。しかしフィッシャーによればその戦型でも白が優勢になる(彼がそれにもまた小さな意外性を用意していたことは疑いない)。いずれにしても以降の世界選手権競技会でこの戦法が2回出現してどちらも黒が 14…Na5 と指した。

15.d5!

 この手は 15.Bb2 Nc6 16.d5(カパブランカ対ボゴリュボフ、1922年)の改良である。その試合では黒のナイトは戦いに復帰していた。以下は 16…Nb4 17.Nbd2 Nxc2 18.Qxc2 Re8 19.Qd3 h6 20.Nf1 Nd7 21.h3

と進み、ここで 21…Bh5 でなく 21…Bxf3 なら黒も十分に戦えた。

15…Nd7 16.Nbd2 Bf6 17.Rb1

17…c4

 コルチノイはこの手を多くの弱点を作り出したので「超楽天主義」と呼んだ(特に白にd4の地点の支配を譲った)。1967年スースでのインターゾーナルで白番のコルチノイがポルティッシュ相手にこの戦法を用いたとき、ポルティッシュはこの局面で 17…Bc3 と指した。しかし 18.h3 Bxf3 19.Qxf3 Qf6 20.Re3 Bd4 21.Qxf6 Nxf6 22.Re2

と進んで白が優勢だった。それでも後にグリゴリッチが1968年の挑戦者決定番勝負でタリ相手に 17…Ne5 を試みた。これはもともとコルチノイがフィッシャー戦の試合の自戦解説で推奨していた手だった。しかし 18.h3 Nxf3+ 19.Nxf3 Bxf3 20.Qxf3 Re8

と進んでやはり互角の形勢にならなかった。この局面は要するに白が優勢なのだろう。

18.h3

 18.b4? は悪手で 18…c3! 19.bxa5 cxd2 20.Bxd2 Ne5

となって白のキング翼が乱れポーン得が役に立たなくなる。

18…Bxf3

 18…Bh5 は 19.g4 でビショップがたぶん永久に働かなくなる(ボゴリュボフはそのようにしてカパブランカに負けた)。

19.Nxf3 cxb3 20.axb3 Qc7

21.Be3

 コルチノイはこの手を批判し代わりに 21.Re2 を推奨した。その意図はおそらく 21…Bc3 に 22.Nd4 g6 23.Bh6(23.Be3 なら本譜に戻る)と応じて実戦より白の利得が多いということだろう。

21…Bc3 22.Re2 b4

 コルチノイによるとこれで黒が黒枡で十分に戦える。

23.Nd4 Rfe8

 黒は 23…g6! で 24.Nf5 を防ぐべきだった。白はここからキング翼で強力な攻撃を仕掛けていく。

24.Nf5 Nb7 25.Bd4 g6 26.Nh6+ Kf8 27.Rc1 Rac8

28.Bd3

 28.Re3! の方がはるかに強い手で 29.Bxc3 bxc3 30.Qd4 f6 31.Bb1 でポーン得する狙いがある。本譜は数手でどのみち黒が1ポーンを犠牲にすることになるが代わりに適切な反撃を確保する。

28…Qa5 29.Rec2 Ne5 30.Bf1 Nc5 31.Bxc3 bxc3

32.Rxc3 Kg7 33.Ng4 Nxg4 34.Qxg4 Rb8 35.Rf3 Nxe4 34.Qf4

36…f5

 コルチノイは時間に追われて怖い作戦に手を染めた。明らかに 36…Rb7 の方が安全だった。

37.Re3 Re5 38.Rc6

38…Rbe8

 それでもここは 38…g5 と指すべきだった。

39.Rxd6!

39…Qa1?

 そしてここでは 34…g5! が絶対だった。想定手順は 40.Rd7+ Kg6 41.Qf3 Qb6

で 42…Nf6 で白ルークを捕まえる必殺の狙いがある。だから 42.Qe2!(フィッシャーによれば最善の受け)42…Nxf2 43.Rxe5 Ng4+ 44.Kh1 Rxe5 45.Qxa6 Qxa6 46.Bxa6 Nf6

でポーンを取り返せる[訳注 46…Re1+ で詰むので正着は 44.Re3! Rxe3 45.Qxa6 Qxa6 46.Bxa6 Nf6! 47.Rd8 Rxb3 =]。本譜の手で黒の負けが決まった。

40.Rxa6 Qd4 41.Rd3 Qb2 42.d6 g5 43.Qe3 f4 44.Qa7+ 黒投了

 次のように黒のルーク損になる。44…Kf8 45.d7 Rd8 46.Qb6 Ke7 47.Qxd8+ Kxd8 48.Ra8+

から 49.d8=Q+ 悪手はあったが面白い試合だった。

(この章続く)

2010年04月26日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(195)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 2位につけていたゲレルが第19回戦でポマルに負けた後はフィッシャーが他の選手に2点差をつけた。ストックホルムでソ連勢の団長を務めたアレクサンドル・コトフはその回戦が終わったあと彼とフィッシャーが歩いてホテルまで帰った時ボビーが彼に1952年のストックホルム・インターゾーナルで何点あげたか聞いてきたと明かしている。「私は笑ってしまった」とコトフは続けている。「『君はもう一人ライバルを探しているんだな。私は20試合で16½点をあげたんだ』するとボビーは計算し始めた。『それなら僕は18½点取らなければならない』と彼は言った。『取ってやる』」コトフがフィッシャーについて書いていることは全部額面どおりに受け取ることはできないがこのちょっとした回想談には一つのことを除いておかしなことは何もない。それはフィッシャーが残り試合を全部勝ったとしても18点にしかならないということである。

 ストックホルムでの最終順位はフィッシャーが断トツで、ゲレルとペトロシアンが同点の2-3位で続き、フィリップとコルチノイが4-5位、そしてベンコー、グリゴリッチおよびシュテインが同点で次の競技会への最後の席を争うことになった。ゲレルは非常に攻撃的なチェスを指しフィッシャーを除けば誰よりも多い10試合で勝ち負けたのは2試合だけだった。これに対してペトロシアンは同じ得点をもっと地味にあげた(8試合に勝ち、ボビー以外では唯一の無敗だった)。そして効率よく立ち回ったのはそれもこれも長期の戦いに備えたためのように見えた。

 進出者のうち最大の番狂わせだったのはチェコスロバキアのミロスラフ・フィリップ博士だった。彼は大病のため1958年から1960年の間ほとんどチェスを指していなかった。しかし負かすことの難しい選手との評判を得ていた(ストックホルムでは2敗しかしなかった)。それでも彼が挑戦者決定競技会で活躍するとは誰もあまり考えなかった。

 13½点同士のベンコー、グリゴリッチそしてシュテインはもう数日ストックホルムに留まり順位をつけるため2回戦総当たりの試合を行なった。シュテインは3人のロシア人選手の第1補欠となるために指しているだけだったがベンコーと2試合引き分けグリゴリッチに2試合勝って1位になった。ベンコーはグリゴリッチとの1試合に勝ちもう1試合は引き分けて、キュラソーでの来るべき挑戦者決定競技会の8番目の選手になった。

(この章続く)

2010年04月27日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(196)

<b><big>第8章 タリとペトロシアン</big></b>(続き)

 キュラソーはベネズエラからそう遠くないオランダ領アンティル諸島の島である。この島の風景の最も目立つ特色は順不同で三軒の現代米国様式ホテル、ヤギそれにサボテンである。挑戦者決定競技会の会場としては一風変わっているがこの島の行政府が観光業の全面的な振興策の一環として開催費用に2万5千ギルダーを寄付し他の出資者、とりわけ地元の商人と宝くじで残りをまかなった結果だった。開催国が現れなかったインターゾーナルの記憶の生々しいフォルケ・ロガルドはとにかく開催地が見つかって喜んだに違いない。

 競技会はインターゾーナルの二ヵ月後に島の中心地のウィレムスタットで4月から滞りなく始まった。第1回戦は好局と番狂わせがあった。ボビー・フィッシャーはストックホルムで負けなしだっただけでなくその2、3ヶ月前のブレッドでの熾烈な大会でも負けなしでタリに次いで2位だった。これまで40局以上負けたことのなかった彼がパル・ベンコーに負けた。そしてタリはさらに意外なことに旧知のペトロシアンに負けた。1959年の挑戦者決定競技会でおざなりの4引き分けだった相手に早くも負けたのはタリの最悪の大会の始まりを告げるものだった。

 フィッシャー対ベンコー戦は二つの理由で触れておく価値がある。一つ目はベンコーの指した 1.g3 は以降の回戦でタリをも負かした初手でベンコー・システムと呼ばれるようになった。二つ目はその試合の後二人の米国選手は口論になり、その結果大会の残りの期間お互いに口をきかなくなった。米国チェス連盟からフィッシャーとベンコーの助手として派遣されたアーサー・ビズガイアーは微妙な立場に立たされたに違いない。

(この章続く)

2010年04月28日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(197)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 もっとチェス本来のことで面白かったのはコルチノイとゲレルの派手な戦いだった。

キング翼インディアン防御
白 コルチノイ
黒 ゲレル

1.d4 Nf6 2.c4 g6 3.g3 c6 4.d5 Bg7

5.Bg2 d6 6.Nc3 O-O 7.Nf3 e5 8.O-O cxd5

9.cxd5 Nbd7 10.Nd2 a5 11.Nc4 Nc5 12.Nb5 Ne8

13.f4 Bd7 14.a4 Nxa4 15.Qxa4 Nc7 16.Nxc7 Bxa4

17.Nxa8 b5 18.Ncb6 exf4 19.Rxf4 Re8 20.e3 Re7

21.Ra3 Rc7 22.Nxc7 Qxc7 23.Rc4 bxc4 24.Nxa4 h5

25.Nc3 h4 26.gxh4 Qd8 27.Ra4 Qxh4 28.Bd2 Bh6

29.Ra1 f5 30.Ne2 Qe7 31.Kf2 Qh4+ 32.Kf1 Qxh2

33.Rxa5 Qe5 34.Ra8+ Kf7 35.Ra7+ Ke8 36.Ra8+ Kf7

37.Ra7+ Ke8 38.Ra8+ 引き分け

(この章続く)

2010年04月29日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(198)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 第2回戦でフィッシャーとタリはそれぞれゲレルとケレスに負け2連敗となった。第3回戦でもタリは(前述のようにベンコーに)負けフィッシャーはフィリップに勝った。しかしその試合は前の2敗の試合にもまして若い米国チャンピオンが何もかもうまくいっていないことを示していた。次の局面で[訳注 この試合は第3回戦でなく実際は第17回戦です]

フィッシャーは 28.Qa1 と指し66手で勝った。しかし 28.Qh5 ならすぐにポーン得になっていた(28…Kg8 なら 29.Qxg6! で白の勝ち)。これは通常ならフィッシャーがブリッツ戦でも見とおしているはずである。明らかにインターゾーナルの終了と挑決の開始の間の期間が短くてフィッシャーがストックホルムへの遠征から休養をとる機会がほとんどなかった。

 一方ロシア人4選手-ペトロシアン、ゲレル、ケレスおよびコルチノイ-は着実な歩みで、第5回戦の終了時にはみな3点で同点首位だった。第6回戦でコルチノイとケレスが半点差をつけ第7回戦でコルチノイが7試合中5点をあげ単独首位に立った。第1巡を終わって成績はコルチノイ5点、ペトロシアン、ゲレルおよびケレス4点、ベンコー3½点、フィッシャー3点、フィリップ2½点、そして信じられないことにタリが2点で最下位だった。

(この章続く)

2010年04月30日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(199)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 フィッシャーの成績は明らかに本人と彼の膨大な信奉者にとって期待はずれだったが、彼の定評ある追い込みが今回も発揮されればまだ十分に首位に追いつき追い越すことも可能だった。そのうえ第7回戦ではケレスを相手に見事な指し回しをみせた。

ルイロペス
白 フィッシャー
黒 ケレス

1.e4 e5 2.Nf3 Nc6 3.Bb5 a6 4.Ba4 Nf6 5.O-O Be7 6.Re1 b5 7.Bb3 d6 8.c3 O-O 9.h3 Na5 10.Bc2 c5 11.d4 Nd7

 ケレスはキュラソーで通常の 11…Qc7 の代わりにこの手を採用し4試合で3点をあげた。「いい手とは思わなかったし今も思っていない」とフィッシャーはこの試合の解説で評している。これが定跡論争におけるフィッシャー側の基調で、数年に渡って大会や種々のチェス雑誌と本でその論争が続いた。それ以来この手は大会の実戦からあまりはっきりした理由もなく消えてしまった。

12.dxc5

 第16回戦のタリ対ケレス戦は次のように進んだ。12.Nbd2 cxd4 13.cxd4 Nc6 14.a3 exd4 15.Nb3 Nde5 16.Nbxd4 Bf6

17.Bd2?(17.Nxc6 Nxc6 18.Rb1 =)17…Nxd4 18.Nxd4 Nd3! =/+

第21回戦でフィッシャーはケレス相手に 12.d5 と手を変えたが 12…Nb6 13.g4? h5! 14.Nh2 hxg4 15.hxg4 Bg5

で不利に陥り負けた。

12…dxc5 13.Nbd2

13…Qc7

 ロシアの雑誌で解説を担当したボレスラフスキーは 13…f6 を推奨した。その要点は 14.Nc4? が成立しないことである。14…bxc4 15.Qd5+ Kh8 16.Qxa8 Nb6 17.Qb8 Nc6

でクイーンが捕まってしまう。後にフィッシャー対イフコフ戦(ハバナ、1965年)で 13…f6 が指され 14.Nh4 Nb6 15.Nf5 Rf7 16.Nxe7+ Rxe7

で黒が問題なかった。しかし 16.Qg4 Kh8 17.h4(フィッシャーの指摘)

なら白がいくらか良かった。

14.Nf1 Nb6 15.Ne3 Rd8 16.Qe2 Be6 17.Nd5!

17…Nxd5

 17…Bxd5 は 18.exd5 f6 19.h4! Nxd5 20.h5

で白が優勢になる。

18.exd5 Bxd5 19.Nxe5 Ra7 20.Bf4 Qb6 21.Rad1!

 この手には 22.Rxd5 Rxd5 23.Qe4 という狙いがあり、じっくり自陣を強化しながら最終攻撃を見据えている。

21…g6

 21…Bxa2 に対するフィッシャーの読み筋は 22.Rxd8+ Qxd8(22…Bxd8 23.Nc4! Qe6 24.Qd1 Rd7 25.Nd2)23.b4! cxb4 24.cxb4 Bxb4 25.Qe4!

25…Bxe1 26.Qxh7+ Kf8 27.Qh8+ Ke7 28.Bg5+ f6 29.Ng6+ Kd7 30.Bf5+ Kc7 31.Bf4+

これで黒クイーンが取られる。

22.Ng4

22…Nc4

 ここで 22…Bxa2 は 23.Rxd8+ Qxd8 24.Bh6! で白が攻め勝つ。

23.Bh6

 23.Nh6+ は 23…Kg7 24.Rxd5 Rxd5 25.Nxf7 Qf6! でうまくいかない。

23…Be6 24.Bb3 Qb8 25.Rxd8+

25…Bxd8

 25…Qxd8 は 26.Bxc4 Bxc4 27.Nf6+ Kh8 28.Qe5 で白の勝ちになる。

26.Bxc4 bxc4 27.Qxc4!

27…Qd6

 27…Qxb2 は 28.Rxe6! でだめである。

28.Qa4 Qe7 29.Nf6+ Kh8 30.Nd5 Qd7 31.Qe4! Qd6 32.Nf4 Re7

33.Bg5

 フィッシャーが自分で指摘しているように 33.Bf8 で決まっていた。

33…Re8 34.Bxd8

34…Rxd8

 34…Qxd8 は 35.Qe5+ f6 36.Qxc5 Bxa2 37.Rxe8+ Qxe8 38.c4 となる。

35.Nxe6 Qxe6 36.Qxe6 fxe6 37.Rxe6 Rd1+ 38.Kh2 Rd2 39.Rb6 Rxf2 40.Rb7 Rf6 41.Kg3 黒投了

(この章続く)

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チェス世界選手権争奪史(200)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 しかし波乱に富んだ第12回戦の前はコルチノイとゲレルが7点でまだ首位に並び、ペトロシアンとケレスが6½点で僅差で追いフィッシャーが5½点だった。その回でコルチノイはフィッシャー相手に序盤から大きな優勢を確保し中盤の初めも快調に指し回していたのに突然自滅した。

図の局面で彼は 31.Bc6 と指し(正着は 31.Nb3! から 32.Nd4 +/=)31…Nxc6 32.Rc1?(32.dxc6)32…Qa7!

となって黒が駒得し勝った。

(この章続く)

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チェス世界選手権争奪史(201)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 同時にペトロシアンはベンコー相手に慣れない猛攻に手を染めていた。そして順調に名局賞に輝くかに見えた。

グリューンフェルト防御
白 ペトロシアン
黒 ベンコー

1.d4 Nf6 2.c4 g6 3.Nc3 d5 4.Nf3 Bg7 5.Bf4 O-O

6.Rc1 c5 7.dxc5 dxc4 8.e4 Qa5 9.e5 Rd8

10.Bd2 Ng4 11.Bxc4 Qxc5 12.Ne4 Qb6 13.Bxf7+! Kxf7

14.Rxc8 Rxc8 15.Nfg5+ Kg8 16.Qxg4 Qc6 17.Nd6! Qd7

18.Qxd7?(しかしここでは 18.Qh4! h6 19.Nxc8 hxg5 20.Qc4+ Kf8 21.Nxe7! Qxe7 22.Bb4

で白の勝ちだった。または 18.Qh4! のあと黒が 18…exd6 としても 19.Qxh7+ Kf8 20.Qxg6 Kg8 の時白は 21.O-O!

から f4 として攻め勝つ)18…Nxd7 19.Nxc8 Rxc8 20.f4 Rc2 21.Ke2 Bh6 22.Nf3 Rxb2 23.g3 g5 引き分け

(この章続く)

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チェス世界選手権争奪史(202)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 コルチノイは第13回戦でせっかくフィリップに勝ったにもかかわらずその直後4連敗してしまった。そして優勝はペトロシアン、ゲレルおよびケレスの3人の争いになった。実のところ首位争いの3人はコルチノイの気力がほとんど消えうせたのを感じ取ってことさら獰猛に彼に襲いかかったせいだった。第17回戦ではケレスの番だった。

シチリア防御
白 ケレス
黒 コルチノイ

1.e4 c5 2.Nf3 Nc6 3.d4 cxd4 4.Nxd4 e6 5.Nc3 Qc7

6.Be3 a6 7.Be2 Nf6 8.a3 Be7 9.O-O O-O 10.f4 d6

11.Qe1 Nxd4 12.Bxd4 e5 13.fxe5 dxe5 14.Qg3 Re8 15.Kh1 Bd8

16.Be3 Kh8 17.Bd3 Be6 18.Rae1 Rc8 19.Bd2 Qb6 20.Nd1 Nd7

21.b4 Be7 22.Ne3 Qd8 23.Rd1 Bh4 24.Qf3 Nb8 25.Nf5 Bf6

26.Be3 Qc7 27.c4 Be7 28.c5 Nc6 29.Qe2 Rcd8 30.Bc4 Bf8

31.Bd5 g6 32.Nh6 Nd4 33.Qc4 Bxh6 34.Bxh6 b5 35.Qa2 Qe7

36.Be3 Kg8 37.Bxd4 exd4 38.Rxd4 Qg5 39.Qf2 Qe5 40.Rfd1 Kg7 黒投了

(この章続く)

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チェス世界選手権争奪史(203)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 そして第23局でペトロシアンがとうとう名局賞をとった。

イギリス布局
白 ペトロシアン
黒 コルチノイ

1.c4 c5 2.Nf3 Nf6 3.d4 cxd4 4.Nxd4 g6 5.Nc3 d5 6.Bg5 dxc4 7.e3

7…Qa5(7…Bg7!)8.Bxf6 exf6 9.Bxc4

9…Bb4(9…Bg7!)10.Rc1! a6 11.O-O

11…Nd7(11…O-O 12.Nd5 +/-)12.a3 Be7?(12…Bxc3)13.b4

13…Qe5(13…Qxa3 14.Nd5 +/-)14.f4!

14…Qb8(14…Qxe3+ 15.Kh1 のあと白の狙いは 16.Re1 と 16.Nd5)15.Bxf7+! Kxf7 16.Qb3+

16…Ke8(16…Kg7 17.Ne6+ Kh6 18.Rf3 +-)17.Nd5 Bd6 18.Ne6 b5 19.Ndc7+ Ke7 20.Nd4!

20…Kf8(20…Bxc7 なら 21.Nc6+、20…Qxc7 なら 21.Rxc7 Bxc7 22.Qe6+ Kf8 23.Qc6 Ra7 24.Ne6+)21.Nxa8 黒投了

 タリは第4巡の初めから病気のために競技会を欠場した。病院のベッドから対局を続けるという懇願が認められなかったためだった。ボビー・フィッシャーは何回か彼の見舞いに行った。しかしタリの同国人たちは自分たちの本分にかかりきりのようで誰も見舞わなかった。第26回戦終了後ペトロシアンとケレスが首位に並びゲレルが半点差で追っていた。第27回戦はゲレルの手空き番でペトロシアンがフィッシャー戦、ケレスがベンコー戦だった。ケレスはこの競技会で既にベンコーを三たてに負かしていた。ペトロシアンは引き分けたが皆も驚いたしほとんどの者が残念がったことにケレスはいいところなくベンコーに負けてしまった。そのため第28回戦でペトロシアンがフィリップとケレスがフィッシャーと引き分けた時ケレスはまたしても鼻の差で及ばなかった。傷の上塗りをするように最終戦でベンコーがゲレルに負けたためゲレルが同点2位になることができケレスが自動的に次の挑戦者決定競技会にシードされなくした。まもなく両者による順位決定番勝負が行なわれケレスが4½-3½で勝った。最終成績はペトロシアン17½点、ケレスとゲレル17点、フィッシャー14点、コルチノイ13½点、ベンコー12点、タリとフィリップ7点だった。

(この章続く)

2010年05月05日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(204)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 タイトル防衛の準備をしている間にミハイル・ボトビニクはこれから対戦する相手と前回の相手との棋風と気質の大きな違いについて何度も考えをめぐらせたに違いない。そして1963年3月23日にモスクワのエストラーダ劇場で両雄の対局が始まった時ほぼ同じ考えがまた彼の頭をよぎったに違いない。黒番のボトビニクは以前に何回もしていたように堅実なニムゾインディアン防御を採用した。そしてペトロシアンはタリの荒っぽいゼーミッシュ戦法でなく穏やかな 4.Qc2 で応じた。もし対局中にボトビニクの心がタリとの最初の番勝負の第1局に舞い戻ったらその違いに純粋に嬉しく思われたに違いない。ペトロシアンはチェスの医者が末期的な舞台負けと呼ぶかもしれないものにさいなまれている人間のように指していた。そして実際に最初の規定手数に達した時にこの患者は死亡してしまった。

ニムゾインディアン防御
白 ペトロシアン
黒 ボトビニク

1.d4 Nf6 2.c4 e6 3.Nc3 Bb4 4.Qc2 d5 5.cxd5 exd5 6.Bg5 h6

7.Bxf6(ボトビニクはケレスが1941年の絶対選手権戦で用いてきた 7.Bh4 に対し次のように非常に楽しい経験をした。7…c5 8.O-O-O Bxc3 9.Qxc3 g5 10.Bg3 cxd4 11.Qxd4 Nc6 12.Qa4 Bf5

そして黒が22手で勝った)7…Qxf6 8.a3 Bxc3+ 9.Qxc3 c6 10.e3 O-O 11.Ne2

(ここまでは1953年チューリヒでのレシェフスキー対ゲレル戦と同じである。その試合ではゲレルは 11…Bf5 と指し 12.Nf4 Nd7 13.Be2 Rfe8 14.O-O Nf8 15.b4

と進んで白の方が形勢が良かった。ボトビニクの次の手は 12…Qxf4 があるので 12.Nf4 を防いでいる)11…Re8 12.Ng3 g6 13.f3 h5 14.Be2 Nd7 15.Kf2 h4 16.Nf1 Nf8

17.Nd2 Re7 18.Rhe1 Bf5 19.h3 Rae8 20.Nf1 Ne6 21.Qd2?

21…Ng7(ケレスはここで 21…Ng5! で 22…Bxh3 を狙うことを推奨した。白が 22.Kg1 と応じれば 22…Bxh3 23.gxh3 Nxh3+

で黒が勝つ。一例は 24.Kh2 Rxe3 25.Nxe3-25.Kxh3 なら 25…Rxe2-25…Qf4+ 26.Kh1 Nf2+ 27.Kg1 Qg3+ 28.Kf1-28.Ng2 なら 28…h3 29.Bf1 h2#-28…Nh3 29.Bd1 Qg1+ 30.Ke2 Nf4#

である。また 24.Kh1 ならば 24…Qg5 25.Kh2 Qg1+ 26.Kxh3 Rxe3!

で …g5-g4 のねらいで決まる。22.Qd1 と受ける方が優るがそれでも 22…Bxh3! 23.gxh3 Ne4+ 24.Kg2 Qg5+ 25.Kh2 Nf2

で黒の勝勢である。以下は 26.Qd2 なら 26…Rxe3、また 26.f4 なら 26…Qf6 27.Qd2 Rxe3! 28.Nxe3 Qxf4+ である)22.Rad1 Nh5 23.Rc1 Qd6 24.Rc3 Ng3

25.Kg1 Nh5 26.Bd1 Re6 27.Qf2 Qe7 28.Bb3 g5

29.Bd1 Bg6 30.g4? hxg3e.p. 31.Nxg3 Nf4! 32.Qh2 c5

33.Qd2 c4 34.Ba4 b5 35.Bc2 Nxh3+ 36.Kf1 Qf6

37.Kg2 Nf4+ 38.exf4 Rxe1 39.fxg5 Qe6 40.f4 Re2+ 白投了

(この章続く)

2010年05月06日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(205)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 次からの3局は引き分けだった。第2局でペトロシアンはクイーン翼ギャンビット受諾を指した。彼はこの防御を第6局、第8局、第16局、第20局、それに第22局でも繰り返し用いすべて引き分けだった。第3局でボトビニクは指しかけ時に1ポーン損だったが再開までの優れた研究のおかげで半点をもぎ取ることができた。第4局はたった24手だった。

 第5局で挑戦者はこの選手権戦中の最高の出来で対戦成績を互角にした。

グリューンフェルト防御
白 ペトロシアン
黒 ボトビニク

1.c4 g6 2.d4 Nf6 3.Nc3 d5 4.Nf3 Bg7

5.e3

 第1局のようにペトロシアンは穏やかな戦法を選択した。たぶん 5.Qb3 はボトビニクがスミスロフとの番勝負の準備で徹底的に研究していたので避けたのだろう。

5…O-O 6.Be2

 フィッシャーは「チェスライフ」誌の解説の一つで 6.Be2 を「まさに初心者の手」と呼んだ。そしてここからどのように進展するかの例として本局を引用した。

6…dxc4 7.Bxc4 c5 8.d5 e6

9.dxe6

 9.e4 は 9…exd5 10.exd5 Re8+ 11.Be2 Nbd7 12.O-O Nb6

で黒が満足できる。実戦の手はこれよりも強い手である。

9…Qxd1+ 10.Kxd1 Bxe6 11.Bxe6 fxe6 12.Ke2

 形勢はほぼ互角である。黒の多数派クイーン翼ポーンが孤立eポーンの適切な代償になっている。

12…Nc6 13.Rd1 Rad8

 フロールは 13…Kf7 を推奨した。

14.Rxd8 Rxd8 15.Ng5 Re8 16.Nge4 Nxe4 17.Nxe4 b6 18.Rb1 Nb4 19.Bd2!

19…Nd5

 19…Nxa2 と取ると 20.Ra1 Nb4 21.Bxb4 cxb4 22.Rxa7 Bxb2 23.Rb7 +/=

となる。

20.a4 Rc8 21.b3 Bf8 22.Rc1

22…Be7?

 この手のためにペトロシアンが黒の多数派クイーン翼で有利に戦うことができるようになった。タリ推奨の 22…a6 なら 23.b4 c4 24.b5 axb5 25.axb5 Be7

で黒がはるかに強力に反撃できた。

23.b4! c4 24.b5 Kf7 25.Bc3 Ba3 26.Rc2 Nxc3+

 この手は 27.Nd2 の防ぎである。

27.Rxc3 Bb4 28.Rc2

28…Ke7

 タリは「ソ連のスポーツ」誌で 28…e5 の主変化を次のように分析していた。29.Nd2 c3 30.Ne4 Ke6 31.f3 h6 32.Kd3 Rd8+ 33.Kc4 Rd2!? 34.Kb3

34…Rxc2(34…Kd5 35.Nxc3+ は白の勝ち)35.Kxc2 Kd5 36.Kd3! c2 37.Kxc2 Kc4 38.Nd2+

これで白が優勢である。

29.Nd2 c3 30.Ne4 Ba5 31.Kd3 Rd8+ 32.Kc4

32…Rd1

 32…Rd2 なら 33.Kb3 +/- である。

33.Nxc3 Rh1 34.Ne4! Rxh2 35.Kd4 Kd7

36.g3

 36.g4 は 36…h5! が鋭い反撃で 37.Ke5 hxg4 38.Nf6+ Ke7 または 37.gxh5 gxh5 38.Ke5 Be1 となる。

36…Bb4 37.Ke5 Rh5+ 38.Kf6 Be7+ 39.Kg7 e5

40.Rc6 Rh1 41.Kf7! Ra1 42.Re6 Bd8 43.Rd6+ Kc8

44.Ke8 Bc7 45.Rc6 Rd1 46.Ng5 Rd8+ 47.Kf7 Rd7+ 48.Kg8 黒投了

(この章続く)

2010年05月07日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(206)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 第6局は穏やかな引き分けだったが第7局で挑戦者が対戦成績をリードした。

イギリス布局
白 ペトロシアン
黒 ボトビニク

1.c4 g6 2.Nf3 Bg7 3.Nc3 e5 4.g3 Ne7 5.Bg2 O-O 6.d4 exd4 7.Nxd4 Nc6

8.Nxc6 Nxc6 9.O-O d6 10.Bd2 Bg4 11.h3 Be6 12.b3 Qd7

13.Kh2 Rae8 14.Rc1 f5 15.Nd5 Kh8 16.Be3 Bg8 17.Qd2 Nd8

18.Rfd1 Ne6 19.Nf4 Nxf4 20.Bxf4 Qc8 21.h4 Re7 22.Bf3 Bf7

23.Qa5 Be8 24.c5 d5 25.Bd6 Qd7 26.Bxe7 Qxe7 27.Rxd5 f4

28.Qd2 Bc6 29.Rd3 Bb5 30.Rd4 fxg3+ 31.fxg3 Bxd4 32.Qxd4+ Qg7

33.Qxg7+ Kxg7 34.Rc2 Re8 35.Kg2 Kf6 36.Kf2 Bc6 37.Bxc6 bxc6

38.Rc4 Ke5 39.Ra4 Ra8 40.Ra6 Kd5 41.b4 Kc4 42.a3 Kb5

43.Ra5+ Kc4 44.Ke3 a6 45.Kf4 Kd5 46.Kg5 Re8 47.Rxa6 Rxe2

48.Ra7 Re5+ 49.Kf4 Re7 50.Rb7 Ke6 51.a4 Kd7 52.Rb8 黒投了

(この章続く)

2010年05月08日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(207)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 それから長い凪(なぎ)が続き6局連続引き分けだった。リードしているペトロシアンは傍観に満足し相手に何かやってこさせるようにした。一方ボトビニクも早まった攻撃を仕掛けず単に好機を待つだけだった。しかし第14局でボトビニクは好機をとらえ対戦成績を互角にした。しかしそれもつかの間だった。ペトロシアンはお返しに第15局に勝った。それからもう2局引き分けが続いたあと第18局が天王山だった。

クイーン翼ギャンビット拒否
白 ボトビニク
黒 ペトロシアン

1.d4 d5 2.c4 e6 3.Nc3 Be7 4.cxd5 exd5 5.Bf4 c6 6.e3 Bf5

7.g4 Be6 8.h3 Nf6 9.Nf3 Nbd7 10.Bd3 Nb6 11.Qc2 Nc4

12.Kf1 Nd6 13.Nd2 Qc8 14.Kg2 Nd7 15.f3 g6 16.Rac1 Nb6

17.b3 Qd7 18.Ne2 Ndc8 19.a4 a5 20.Bg3 Bd6 21.Nf4 Ne7

22.Nf1 h5 23.Be2 h4 24.Bh2 g5 25.Nd3 Qc7 26.Qd2 Nd7

27.Bg1 Ng6 28.Bh2 Ne7 29.Bd1 b6 30.Kg1 f6 31.e4 Bxh2+

32.Qxh2 Qxh2+ 33.Rxh2 Rd8 34.Kf2 Kf7 35.Ke3 Rhe8 36.Rd2 Kg7

37.Kf2 dxe4 38.fxe4 Nf8 39.Ne1 Nfg6 40.Ng2 Rd7 41.Bc2 Bf7

42.Nfe3?? c5 43.d5 Ne5 44.Rf1 Bg6 45.Ke1 Nc8 46.Rdf2 Rf7

47.Kd2 Nd6 48.Nf5+ Bxf5 49.exf5 c4 50.Rb1 b5 51.b4 c3+

52.Kxc3 Rc7+ 53.Kd2 Nec4+ 54.Kd1 Na3 55.Rb2 Ndc4 56.Ra2 axb4

57.axb5 Nxb5 58.Ra6 Nc3+ 59.Kc1 Nxd5 60.Ba4 Rec8 61.Ne1 Nf4 白投了

(この章続く)

2010年05月09日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(208)

第8章 タリとペトロシアン(続き)

 ペトロシアンが第19局も勝った時ボトビニクは終わった。第20局は21手の引き分け、第21局は10手の引き分けだった。そしてボトビニクが過去23年間のほとんどその座についていた王座からついに降りた第22局はあっけない結末だった。

クイーン翼ギャンビット受諾
白 ボトビニク
黒 ペトロシアン

1.d4 d5 2.c4 dxc4 3.Nf3 Nf6 4.Qa4+ Nc6 5.Nc3 Nd5

6.e4 Nb6 7.Qd1 Bg4 8.d5 Ne5 9.Bf4 Ng6 10.Be3 e6 引き分け

 これで一つの時代が終わった。

(この章終わり)

2010年05月10日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(209)

第9章 スパスキーと奇才フィッシャー

 チグラン・ペトロシアンが生まれ故郷のエレバンに戻りアルメニアのプラム・ブランデーで戴冠の祝杯を挙げている間にボビー・フィッシャーは世界の反対側でニュースになっていた。『スポーツ・イラストレーテッド』(米国の週刊スポーツ誌)の「ロシアが世界チェスでインチキ」という記事で彼はよそ者-はっきり言えばフィッシャーのこと-を世界選手権に挑戦させなくするために仲間で短手数の引き分けを前もって取り決めていたとキュラソーでのソ連軍団を非難した。短手数の引き分けが必要ならばロシア人選手たちがそのような戦術を用いないことはないということは一般に認識されていたが彼らが実際にそうしていたかという議論は続いていた。決定的な結論を出すことは明らかに不可能だった。フィッシャーの告発は二様の結果をもたらした。一つ目は本気であることを示すためにフィッシャーは1967年まで世界選手権競技会から引退した。二つ目は当時フィッシャーの告発とは無関係と主張されたけれどもFIDEは挑戦者の選出方法を抜本的に変えた。これ以降インターゾーナルからの進出者は彼らの間で一連の番勝負を戦い(これにより競技会によってもたらされる共謀の機会が排除される)最後に世界選手権の番勝負に至ることになった。

 1964年アムステルダムで開催されたインターゾーナルは滞りなく進行した。その結果ソ連のスミスロフ、スパスキー、タリとデンマークのベント・ラルセンの4人が同点優勝した。ラルセンはこの快挙によりフィッシャーに次ぐ西側最強の選手として登場し、フィッシャーの一時的な引退によりロシアの覇権を脅かす最大の存在となった。第5位に入ったのはレオニド・シュテインで、またしても同一国からの進出者を3名に制限する規定の犠牲になった。第6位はブロンシュテイン、第7位はボリスラフ・イフコフ(1933年生まれ、ユーゴスラビア)、そして最後の進出権を争う8位と9位には同点でラヨス・ポルティッシュ(1937年生まれ、ハンガリー)とレシェフスキーが入った。大会終了後まもなく行なわれた4番勝負の決定戦でポルティッシュはサミーの世界選手権戦への最後となるかもしれない希望をつぶした。

 他に挑戦者決定番勝負に加わるのはキュラソーでの2位決定番勝負でゲレルを下したことによるパウル・ケレスと、もちろんボトビニクだった。しかしボトビニクは再戦の権利が廃止されたことに不満で参加を辞退した。くじ引きの結果1回戦の組み合わせはボトビニクの代わりのゲレル対スミスロフ、ケレス対スパスキー、タリ対ポルティッシュ、ラルセン対イフコフとなった。

(この章続く)

2010年05月11日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(210)

第9章 スパスキーと奇才フィッシャー(続き)

 準々決勝で最も熱戦を期待されたのは1956年以来初めて世界選手権戦に戻ってきた再起ボリス・スパスキーと今回が世界選手権獲得への最後の機会となるはずであることを十分に承知しているケレスとの番勝負だった。実際期待にそぐわぬものとなった。10番勝負は1965年4月4日にリガで開始され、ケレスの快勝で始まり第2局は引き分けになった。スパスキーは第3局で成績を互角にし第4局と第5局で差をつけさらに2局引き分けで第7局までリードを維持した。ケレスは第8局に勝ち第9局は引き分けだった。ケレスが番勝負を続けるためには勝たねばならない第10局は最初から最後まで波瀾万丈だった。

キング翼インディアン防御
白 ケレス
黒 スパスキー

1.d4 Nf6 2.c4 g6 3.Nc3 Bg7 4.e4 d6 5.f4 c5 6.d5 O-O 7.Nf3 e6

8.Be2 exd5 9.cxd5 b5 10.e5 dxe5 11.fxe5 Ng4

12.Bf4(この手は新手で、以降の乱戦に引きずり込むつもりである。それまでの 12.Bg5 は次のように黒の指せる展開になる。12…f6 13.exf6 Bxf6 14.Bxf6 Qxf6 15.Bxb5 Bd7!

マルティネス対カバレク、テルアビブ、1964年)12…Nd7 13.e6

(眼目の手)13…fxe6 14.dxe6

14…Rxf4(14…Nb6 は 15.Qxd8 Rxd8 16.e7 Re8 17.Bd6 で良くない)15.Qd5 Kh8 16.Qxa8 Nb6 17.Qxa7 Bxe6

(明らかに黒には交換損の代償がある)18.O-O Ne3

19.Rf2(19.Rad1 で交換得を返す方が明らかに安全だが、引き分け-安全策の当然の結果-はケレスにとって意味がない)19…b4 20.Nb5 Rf7 21.Qa5 Qb8 22.Rae1 Bd5

23.Bf1 Nxf1 24.Rfxf1 Nc4 25.Qa6 Rf6 26.Qa4 Nxb2

27.Qc2?(27.Qa5 なら 27…Nd3 =/+ ただし 27…Nc4 は 28.Qc7 Qxb5 29.Qd8+ Bg8 30.Re8 +/-)27…Qxb5

28.Re7(28.Qxb2 は 28…Rxf3)28…Nd3 29.Qe2 c4 30.Re8+ Rf8 31.Rxf8+ Bxf8 32.Ng5 Bc5+ 33.Kh1 Qd7 34.Qd2 Qe7 35.Nf3 Qe3 白時間切れ負け

(この章続く)

2010年05月12日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(211)

第9章 スパスキーと奇才フィッシャー(続き)

 この後まもなくモスクワで行なわれたスミスロフとゲレルの番勝負は批評家たちの一般的な見方では元世界チャンピオンに分があるとされていた。しかし彼はひどい不調で1局も勝てなかった。一方ゲレルは意欲的な指し回しで初めの白番の奇数局3局に勝ち黒番は引き分けた。第5局では挑戦者決定番勝負の中で今でも最高の名局とたたえられる試合を指した。

グリューンフェルト防御
白 ゲレル
黒 スミスロフ

1.d4 Nf6 2.c4 g6 3.Nc3 d5 4.cxd5 Nxd5 5.e4 Nxc3 6.bxc3 Bg7 7.Bc4 c5 8.Ne2 O-O 9.O-O Nc6 10.Be3 Qc7 11.Rc1 Rd8

 この戦型はフィッシャーも得意だったが芳しくない戦績だった(例えばスパスキー戦での2敗)。もっとも両局とも布局は自分の方が良かったとすぐに指摘していた。

12.f4

 1966年サンタモニカでのフィッシャー戦でスパスキーは 12.Qe1 と指し次のように続いた。12…e6 13.f4 Na5 14.Bd3 f5 15.Rd1 b6 16.Qf2 cxd4 17.Bxd4 Bxd4 18.cxd4 Bb7

形勢はほぼ互角だった。1970年西ドイツのジーゲンでのオリンピアードでスパスキーは 12.h3 と手を変えて次のように進んだ。12…b6 13.f4 e6 14.Qe1 Na5 15.Bd3 f5 16.g4 fxe4 17.Bxe4 Bb7

18.Ng3 Nc4 19.Bxb7 Qxb7 20.Bf2 Qc6 21.Qe2 cxd4 22.cxd4 b5

少なくとも黒が互角の形勢だがこの後フィッシャーはチームの勝ち点を考慮して無理に勝とうとして負けてしまった。

12…e6 13.Kh1

13…b6

 13…Na5 14.Bd3 f5 と指す方がずっと安全だった。実戦は白が相手の形を乱すポーンの犠牲で強襲を仕掛けた。

14.f5!

14…Na5

 14…exf5 は 15.Bg5 Rf8 16.Nf4 で白の圧力が強い。

15.Bd3 exf5 16.exf5 Bb7 17.Qd2 Re8 18.Ng3 Qc6 19.Rf2

19…Rad8

 一見良さそうな 19…Rxe3 20.Qxe3 cxd4 21.cxd4 Bxd4 は 22.Qf4! Qxc1+ 23.Qxc1 Bxf2 24.Qh6!

で良くない。25.f6 の狙いがあるので白が勝勢である。

20.Bh6 Bh8 21.Qf4 Rd7 22.Ne4

22…c4

 22…Rxe4 には 23.Bxe4 Qxe4 24.Qb8+ がある。最善の受けはたぶん 22…Qc7 で、23.Re1 Bxe4 24.Rxe4 Rxe4 25.Qxe4 で白が優勢である。

23.Bc2 Rde7

24.Rcf1

 この手は 24.fxg6 hxg6 25.Bg5 で 25…f5 とさせて交換得を図るよりも強力である。

24…Rxe4

25.fxg6!

 25…Rxf4 なら 26.gxh7# は自明である。それほど自明でないのは 25…Qxg6 で、26.Qxf7+ Qxf7 27.Rxf7 となって黒はf8またはh7での詰みを防げない。

25…f6 26.Qg5!

 もちろん黒はf8で詰まされるのでこのクイーンを取ることができない。

26…Qd7 27.Kg1! Bg7 28.Rxf6

28…Rg4

 28…Bxf6 は 29.Qxf6 hxg6 30.Qxg6+ Kh8 31.Bg5 R4e6 32.Bf6+ Rxf6 33.Rxf6

で決まる。

29.gxh7+ Kh8 30.Bxg7+ Qxg7 31.Qxg4! 黒投了

(この章続く)

2010年05月13日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(212)

第9章 スパスキーと奇才フィッシャー(続き)

 一方ユーゴスラビアのブレッドではラルセンがイフコフに5½-2½と楽勝していた。タリはそれほど楽ではなかったがポルティッシュに同じ成績で勝った。彼は番勝負の全局をとおして典型的に奔放に指し回した。これはその第2局である。

カロカン防御
白 タリ
黒 ポルティッシュ

1.e4 c6 2.Nc3 d5 3.Nf3 dxe4 4.Nxe4 Bg4 5.h3 Bxf3 6.Qxf3 Nd7

7.d4 Ngf6 8.Bd3 Nxe4 9.Qxe4 e6 10.O-O Be7 11.c3 Nf6

12.Qh4 Nd5 13.Qg4 Bf6 14.Re1 Qb6 15.c4 Nb4 16.Rxe6+ fxe6

17.Qxe6+ Kf8 18.Bf4 Rd8 19.c5 Nxd3! 20.cxb6 Nxf4 21.Qg4 Nd5

22.bxa7 Ke7 23.b4! Ra8 24.Re1+ Kd6 25.b5! Rxa7 26.Re6+ Kc7 27.Rxf6 黒投了

(この章続く)

2010年05月14日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(213)

第9章 スパスキーと奇才フィッシャー(続き)

 準決勝の組み合わせはスパスキー対ゲレルとタリ対ラルセンになった。どちらも接戦が期待されたが実際にそうなったのは片方だけだった。スパスキーはゲレルを5½-2½でかなり気楽に片付けた。最も精魂を傾けたのは第6局だった。

ルイロペス
白 スパスキー
黒 ゲレル

1.e4 e5 2.Nf3 Nc6 3.Bb5 a6 4.Ba4 Nf6 5.O-O Be7 6.Re1 b5 7.Bb3 O-O 8.c3 d6

9.h3 Nd7 10.d4 Nb6 11.Nbd2 Bf6 12.Nf1 Re8

13.N1h2 exd4 14.cxd4 Na5 15.Bc2 c5 16.Ng4 Bxg4

17.hxg4 cxd4 18.g5 Be7 19.e5 Bf8 20.Bxh7+ Kxh7

21.g6+ Kg8 22.Ng5 fxg6 23.Qf3 Qxg5 24.Bxg5 dxe5

25.Rac1 Ra7 26.Qd3 Re6 27.f4! Nac4 28.fxe5 Nxe5

29.Qxd4 Rd7 30.Qe4 Be7 31.Be3 Nbc4 32.Rcd1 Rxd1

33.Rxd1 Nxb2 34.Qd5 Kf7 35.Rb1 Nbc4 36.Bf2 g5

37.Re1 Bf6 38.Kh1 Nb2 39.Re3 Nbc4 40.Re2 Nd6

41.Bd4 Ndc4 42.g4 Ke7 43.Bc5+ Kf7 44.Qb7+ 黒投了

(この章続く)

2010年05月15日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(214)

第9章 スパスキーと奇才フィッシャー(続き)

 一方タリ対ラルセン戦は激闘で、第9局が終わったところでは4½-4½の互角の成績になっていた。緊張が最高潮に達した第10局は老練なタリが棋理に反しているようだが有無を言わさぬ指し回しでまたしても立ちはだかる者すべてをなぎ払おうとしようと断固として見せつけているようだった(もっともこれより前の試合ではその反対が明らかだった)。

シチリア防御
白 タリ
黒 ラルセン

1.e4 c5 2.Nf3 Nc6 3.d4 cxd4 4.Nxd4 e6 5.Nc3 d6

6.Be3 Nf6 7.f4 Be7 8.Qf3 O-O 9.O-O-O Qc7 10.Ndb5 Qb8

11.g4 a6 12.Nd4 Nxd4 13.Bxd4 b5(13…e5!?)14.g5 Nd7 15.Bd3 b4

16.Nd5! exd5 17.exd5 f5 18.Rde1 Rf7 19.h4 Bb7

20.Bxf5(タリは「この手は勝敗を気にしてひよってしまった」と述懐している。そしてもっと激しく 20.g6 hxg6 21.h5 g5 としてから 22.Bxf5

とやっていく方が良かったと述べている。これに対する黒の最善の受けは 22…Bf6 23.Be6 Qf8! で、黒が受けきる可能性がある)20…Rxf5 21.Rxe7 Ne5 22.Qe4 Qf8 23.fxe5 Rf4 24.Qe3

24…Rf3(24…Bxd5 25.exd6 Rxd4 26.Qxd4! Bxh1 27.b3 Bf3! 28.Qc4+ Kh8 29.Rf7 Qxd6 30.Rxf3 +/-

25.Qe2 Qxe7 26.Qxf3 dxe5 27.Re1 Rd8 28.Rxe5 Qd6 29.Qf4

(ここでは白の勝勢である)29…Rf8 30.Qe4 b3 31.axb3 Rf1+ 32.Kd2 Qb4+ 33.c3 Qd6 34.Bc5!

34…Qxc5 35.Re8+ Rf8 36.Qe6+ Kh8 37.Qf7! 黒投了

(この章続く)

2010年05月16日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(215)

第9章 スパスキーと奇才フィッシャー(続き)

 スパスキー対タリ戦の世評はほぼ二分されていた。ある者はこれまでの対戦成績でタリに勝ち越しているのでスパスキーが少し有利とし別の者はタリであるがゆえにタリが勝つと考えていた。番勝負の結果はいささか期待はずれだった。最終結果は7-4でスパスキーが勝ちこれが話のほとんどを物語っていた。初戦はスパスキーがルイロペスの周期的にはやったり廃れたりしているマーシャルギャンビットを指しかなり楽に引き分けた。しかし第2局はタリと彼の多くのファンにとって大いに希望を抱かせるものだった。なぜならタリ一流のまやかし手でスパスキーが路頭に迷い彼でもそうなることが示されたからだった。

シチリア防御
白 スパスキー
黒 タリ

1.e4 c5 2.Nf3 e6 3.d4 cxd4 4.Nxd4 a6 5.Nc3 Qc7

6.Bd3 Nc6 7.Be3 Nf6 8.O-O b5 9.Nb3 Be7

10.f4 d6 11.Qf3 O-O 12.a4 b4 13.Ne2 e5!

14.f5 d5 15.Ng3 Na5 16.exd5 Bb7 17.Ne4 Nc4

18.Bg5 Nxb2 19.d6? Qxd6! 20.Nxd6 Bxf3 21.Rxf3 Bxd6

22.Bxf6 gxf6 23.Be4 Rac8 24.a5 Bb8! 25.g3 Rfd8

26.Re1 Ba7+ 27.Kg2 Rd6 28.Rff1 Nc4 29.Kh3 Ne3

30.Rf3 Nxc2 31.Rc1 Rc4 32.Rd3 Bd4 33.Rxc2 Rxc2

34.Rxd4 exd4 35.Bxc2 d3 36.Bd1 Rd5 37.Kg4 Re5

38.Kf4 Re2 39.h4 h5 40.Nc5 Re1 41.Bxh5 白投了

(この章続く)

2010年05月17日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(216)

第9章 スパスキーと奇才フィッシャー(続き)

 しかしスパスキーは第3局に勝って対戦成績を互角にした。そして5局連続引き分け(そのうちの2局はスパスキーが黒でマーシャル・ギャンビットを用いた)のあと第9局でタリが大いに優勢になった。しかし暖着を続けたあげくひどいポカを指してスパスキーにリードを許した。

ルイロペス
白 タリ
黒 スパスキー

1.e4 e5 2.Nf3 Nc6 3.Bb5 a6 4.Ba4 Nf6 5.O-O Be7 6.Re1 b5 7.Bb3 O-O

8.a4(マーシャルを避けるためなら何でもよかった。第7局は 8.c3 d5!? 9.exd5 Nxd5 10.Nxe5 Nxe5 11.Rxe5 c6 12.Bxd5 cxd5 13.d4 Bd6

14.Re3 Qh4 15.h3 Qf4 16.Re5 Qf6 17.Re1 Qg6 18.Qf3 Be6

と進み白はポーン得を生かせなかった)8…b4 9.c3 d6 10.a5 bxc3 11.dxc3 Be6 12.Nbd2 Rb8

13.Bc2 Nh5 14.Nf1 g6 15.Ne3 Bf6 16.Nd5 Bg7 17.Bd3 Ra8

18.Ng5 Bc8 19.Bc4 h6 20.Nf3 Be6 21.Qd3 Nb8 22.Be3 Nf6

23.Red1(23.Nxf6+! Qxf6 24.Bd5! +/-)23…Bxd5 24.Bxd5 Nxd5 25.Qxd5 Nd7

26.Qc4(26.b4!)26…Kh7 27.Ra4 f5 28.g3 Qc8!

29.Qe2?(29.exf5 gxf5 30.Qh4 +/=)29…fxe4 -/+ 30.Rxe4 Qb7 31.Nd2 Qxb2 32.Qd3 Qb8! 33.Rh4 Nf6 34.Nf3 Qe8

35.Re1(35.Qc4!)35…Qd7 36.g4 Rae8 37.Bxh6 Bxh6 38.g5 Nh5 39.gxh6 Qf5 40.Qxf5 Rxf5 41.Nd2 Nf4

(この手が封じ手だった。黒はもうすぐポーン得になり難なく勝つ)42.Ne4 Rb8 43.Ng3 Rff8 44.Ne4 Ne6 45.c4 Rb2 46.Rd1 Rf5 47.c5 d5

48.Rxd5 Rb1+ 49.Kg2 Nf4+ 50.Rxf4 Rxf4 51.Rxe5 Kxh6 52.Re6 Re1 53.f3 Re3

54.Rxa6 Rexf3 55.Rc6 Ra3 56.Ng3 Ra2+ 57.Kg1 Rff2 58.Nf1 Rf7 59.Ne3 Kg5

60.a6 Re7 61.Nf1 Kh6 62.h3 Kg7 63.h4 Kf7 64.h5 gxh5 65.Rh6 Re5

66.Rh7+ Kg6 67.Rxc7 Rg5+ 68.Kh1 Ra1 69.a7 Rxf1+ 70.Kh2 Ra1 白投了

(この章続く)

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チェス世界選手権争奪史(217)

第9章 スパスキーと奇才フィッシャー(続き)

 この試合の後タリの巻き返しは弱かった。そしてスパスキーが次の2局に連勝し、誰もが10年も前に予言していた世界選手権の挑戦者についになった。ペトロシアンは誰の基準に照らしても手ごわいやつだったが、若い挑戦者が勝つことにほとんど疑問はないように思われた。なぜそうだったかは願望という2語で説明できる。

 生まれ故郷のアルメニアでこそペトロシアンはあがめられていたが(彼が世界チャンピオンになってまもなくエレバンである三つ子が生まれティグラン、バルタンおよびペトロスと名付けられた)そこを除けばほとんどのチェス愛好者の彼を見る目は冷淡かそれ以下だった。彼の棋風はいつもかなり退屈で難解に思われていたが世界選手権獲得後はいっそうそのようになった。そして彼の慎重居士ぶりはスパスキーの力強く快活な指し方と比較して割を食っていた。だから専門家を含めほとんどの人はスパスキーの勝ちを予想し、彼に勝って欲しいというより他に理由も無く彼が勝つと考えていた。

 しかし彼らが見逃していたのはペトロシアン好みのチェスをスパスキーに指させるために試合に注ぎ込む彼の精神力だった。世界選手権戦は4月11日からモスクワのエストラーダ劇場で始まり初戦は引き分けだった。そしてその後の5局も引き分けで、挑戦者もほとんど自分から打って出ようとしないことがすぐに明らかになった。しかし第7局でペトロシアンは巧みな捌きで先勝した。

dポーン布局
白 スパスキー
黒 ペトロシアン

1.d4 Nf6 2.Nf3 e6 3.Bg5 d5 4.Nbd2 Be7 5.e3 Nbd7 6.Bd3 c5 7.c3 b6

8.O-O Bb7 9.Ne5 Nxe5 10.dxe5 Nd7 11.Bf4 Qc7

12.Nf3 h6 13.b4 g5 14.Bg3 h5 15.h4 gxh4

16.Bf4 O-O-O 17.a4 c4 18.Be2 a6 19.Kh1 Rdg8

20.Rg1 Rg4 21.Qd2 Rhg8 22.a5 b5 23.Rad1 Bf8

24.Nh2 Nxe5! 25.Nxg4 hxg4 26.e4 Bd6 27.Qe3 Nd7

28.Bxd6 Qxd6 29.Rd4 e5 30.Rd2 f5 31.exd5 f4

32.Qe4 Nf6 33.Qf5+ Kb8 34.f3 Bc8 35.Qb1 g3

36.Re1 h3 37.Bf1 Rh8 38.gxh3 Bxh3 39.Kg1 Bxf1

40.Kxf1 e4 41.Qd1 Ng4! 42.fxg4 f3 43.Rg2 fxg2+ 白投了

(この章続く)

2010年05月19日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(218)

第9章 スパスキーと奇才フィッシャー(続き)

 第8局と第9局も引き分けだったが第10局はまさしく激闘だった。

キング翼インディアン防御
白 ペトロシアン
黒 スパスキー

1.Nf3 Nf6 2.g3 g6 3.c4 Bg7 4.Bg2 O-O 5.O-O Nc6 6.Nc3 d6 7.d4

 キング翼インディアンのよく知られた戦型に移行した。本局はこの番勝負で両対局者が布局を未知のわき道にそらさなかった数少ない試合の一つである。

7…a6 8.d5 Na5 9.Nd2 c5

 これは b4 突きで(理論的に)悪形のナイトが取られるのを予防した手である。黒の防御態勢の真価はa5のナイトが役に立つことを示せるかどうかにかかっている。

10.Qc2 e5

 代わりに 10…Rb8 は 11.b3 b5 12.Bb2 で黒に十分な反撃力があるように見えない。

11.b3

 1957年のボトビニク対スミスロフの世界選手権戦第3局でボトビニクは 11.a3 と指した。しかし 11…b6 12.b4 Nb7 で局面はすぐに引き分けが濃厚になった。たぶん白の最善手は明らかに 11.dxe6e.p. である。1965年タリンでのコルチノイ対クジミン戦では 11…Bxe6 12.b3 d5 13.cxd5 Nxd5 14.Bb2 Nc6 15.Nxd5 Bxd5 16.Bxg7 Kxg7 17.Qb2+ Kg8 18.Ne4 Bxe4 19.Bxe4

と進んで白が優勢だった。

11…Ng4

 これはグリゴリッチの創始した捌きである。その意図は …f5 と突くことと白にキング翼を弱める h3 突きを指すように仕向けることである。

12.e4

 12.h3 なら黒は 12…Nh6 の後 …f5 から …Nf7 と指す。

12…f5 13.exf5 gxf5 14.Nd1

14…b5

 14…e4 15.Bb2 Bd4 は 16.Bxd4 cxd4 17.b4 でナイトが取られる。

15.f3 e4

16.Bb2

 16.fxg4 とナイトを取るのは 16…Bxa1 17.gxf5 Bd4+ 18.Kh1 Bxf5 19.Nxe4

となって白の交換損の代償が不十分である。

16…exf3 17.Bxf3 Bxb2 18.Qxb2 Ne5 19.Be2

19…f4!

 白は余裕があればナイトを Ne3-g2-f4 と捌き黒の多くの陣形上の弱点に型どおりのやり方でつけ込んでくる。だから黒は適切に反撃するためにできるだけ活発に動く必要がある。

20.gxf4

20…Bh3

 しかし実戦の手は戦術的に大きな誤りだった。20…Rxf4! なら黒は次のように大いに有望だった。21.Ne3(21.Rxf4 Qg5+ 22.Kh1 Qxf4 23.Nc3 Qd4!)21…Qg5+ 22.Kh1 Rxf1+ 23.Nexf1 Bg4! 24.Ne4 Qf4 25.Nfg3 Bf3+ 26.Bxf3 Qxf3+

21.Ne3!

21…Bxf1

 ここでの 21…Rxf4 は次のように白から猛攻をくらう。22.Rxf4 Qg5+ 23.Rg4! Bxg4 24.Nxg4 Nxg4 25.Bxg4 Qxg4+ 26.Kh1

しかし黒は 21…Ng6 で捨て駒を拒否する方がずっと良く 22.Rf3! Qh4! 23.f5 Ne5 24.Rg3+ Kf7!

で十分戦える。

22.Rxf1 Ng6 23.Bg4!

23…Nxf4

 23…Qf6 は 24.Be6+ Kh8 25.Qxf6+ Rxf6 26.f5 Ne5 27.Ne4

で黒が負ける。しかし実戦の手よりは 23…h6 の方がいくらか良かった。

24.Rxf4! Rxf4 25.Be6+ Rf7 26.Ne4

26…Qh4

 26…Ra7 には 27.Nf5! がある。

27.Nxd6

27…Qg5+

 27…Qe1+ は 28.Kg2 Qxe3 29.Bxf7+ Kf8 30.Qh8+ Ke7 31.Nf5+ Kxf7 32.Qxh7+

で白の楽勝になる。

28.Kh1 Ra7 29.Bxf7+ Rxf7 30.Qh8+! 黒投了

(この章続く)

2010年05月20日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(219)

第9章 スパスキーと奇才フィッシャー(続き)

 2点差をつけられたスパスキーは何をやってもはねつけられるようだった。第11局は短手数の引き分けだったが第12局は戦いらしい戦いだった。

キング翼インディアン防御
白 ペトロシアン
黒 スパスキー

1.Nf3 g6 2.c4 Bg7 3.d4 d6 4.Nc3 Nd7 5.e4 e6

6.Be2 b6 7.O-O Bb7 8.Be3 Ne7 9.Qc2 h6 10.Rad1 O-O

11.d5 e5 12.Qc1 Kh7 13.g3 f5 14.exf5 Nxf5

15.Bd3 Bc8 16.Kg2 Nf6 17.Ne4 Nh5 18.Bd2 Bd7

19.Kh1 Ne7 20.Nh4 Bh3 21.Rg1 Bd7 22.Be3 Qe8

23.Rde1 Qf7 24.Qc2 Kh8 25.Nd2 Nf5 26.Nxf5 gxf5

27.g4 e4 28.gxh5 f4 29.Rxg7 Qxg7 30.Rg1 Qe5

31.Nf3 exd3 32.Nxe5 dxc2 33.Bd4 dxe5 34.Bxe5+ Kh7

35.Rg7+ Kh8 36.Rf7+ Kg8 37.Rg7+ Kh8 38.Rg6+ Kh7 39.Rg7+ 引き分け

(この章続く)

2010年05月21日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(220)

第9章 スパスキーと奇才フィッシャー(続き)

 第13局で挑戦者がようやく初勝利をあげ1点差にした。そしてその差を詰めようとして布局をますます奇異な戦型にもっていった。一方ペトロシアンは相手の際どい指し方を咎めようと努める代わりに毎回わずかでも安全な有利さで満足した。例えば第14局は次のような具合だった(ペトロシアンの白番)。1.Nf3 Nf6 2.g3 b5?! 3.a4 b4 4.d3 Bb7 5.e4 d6

6.Bg2 Nbd7 7.O-O e6 8.a5 Rb8 9.Nbd2 Be7 10.Nc4 O-O

11.Re1 a6 12.Bf4 Ba8 13.Qe2 Re8 14.h3 …

第16局も同様だった。1.d4 g6 2.e4 Bg7 3.Nf3 d6 4.Be2 e6

5.c3 Nd7 6.O-O Ne7 7.Nbd2 b6 8.a4 a6

9.Re1 Bb7 10.Bd3 O-O 11.Nc4 Qe8 12.Bd2 f6 13.Qe2 …

 第19局でスパスキーは貴重な勝利をあげついに互角の成績にした。しかしそうすることによって彼はほとんど全力を出し切ってしまったかのようだった。ペトロシアンは第20局に勝ち第21局を引き分け第22局に勝って少なくとも互角で番勝負を終わることを確定させた。そしてもうタイトルの移動はなくなったがともかく最後の2局を行なうことになった。第23局はスパスキーにとって意味のない勝利で第24局は引き分けだった。最終成績は12½-11½となってペトロシアンの勝利が決まった。

(この章続く)

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チェス世界選手権争奪史(221)

第9章 スパスキーと奇才フィッシャー(続き)

 1966年世界選手権戦の結果とある程度の試合内容とがほとんどすべての人にとって失望というべきものならば、ペトロシアンの次期挑戦者を決める次の一連の大会の始まりはほとんど大混乱というべきものだった。1967年のインターゾーナル競技会の開催は他を押しのけてチュニジアのスースに与えられていた。最初はインターゾーナルのような非常に重要な大会のみならずこれまで国際大会開催の責任を負ったことのなかったチュニジアチェス協会ではその責任に全然適していないかもしれないという不安があった。しかしその不安はボビー・フィッシャーが参加するというニュースに対する広範な興味と熱狂によってかき消された。彼は1965年後半には自分で行なった孤立から抜け出てそれ以来少し大会に参加して二様の結果を残していた。しかしもちろん挑戦者決定競技会進出の有力候補だった。その彼がなぜ進出しなかったのかはたぶん米国チェス協会専務理事のエド・エドモンドソンが「チェスライフ」(同協会の機関誌)の1968年2月号に掲載した同協会宛ての長い報告によって一番よく説明できるだろう。以下はその記事の抜粋である。

    9月10日 チュニジアチェス協会と組織委員会の両会長のリダー・アルカディ氏がすべての連盟に1967年インターゾーナルの日程表を送付した。10月16日月曜日の第1回戦を除きスケジュールは火曜・水曜・木曜が対局日、金曜が休日、土曜と日曜が対局日、月曜が休日と決められていた。このスケジュールによる休日の例外はレシェフスキーとフィッシャーに対してだけであり彼らの信仰に十分に便宜を与えることが必要と考えられた。[レシェフスキーは正統派ユダヤ教徒、フィッシャーはキリスト原理主義教団の信徒で共に安息日を守っていた。]
    10月15日日曜 フィッシャーとレシェフスキーは大会予定より早く第3回戦の相手と対局を始めた。これは二人の宗教上の休日である10月18日水曜を除外できるようにするためだった。
    10月16日月曜から10月24日火曜まで 最初の7回戦は9月10日にベルカディ氏の配布したスケジュールどおりに終了した。
    10月25日水曜 スケジュールではこの日が第8回戦に当たっていた。しかしフィッシャーのコルチノイとの試合はフィッシャーが10月25日日没から10月26日日没まで宗教上の休日を守るため10月30日まで延期された(9月10日のスケジュールどおり)。同様に-そしてフィッシャーはこれを不必要だと考えていた-彼の翌日からの第9回戦(10月26日木曜の対ゲレル戦)も11月6日まで延期された。
    10月26日木曜 最も自分のためになるだけでなく関係する者皆にもより良いことだと感じ、直前の2日間に行なった口頭での提案がうまく伝わっていないかもしれない[大会委員長は英語が話せずフィッシャーはフランス語が話せなかった]と考えたフィッシャーは彼の試合の延期を避けるためにスケジュールを再び調整するよう文書で提案した・・・10月26日に大会委員長のヘンタティは文書で次のように回答した。「1967年10月26日付けのあなたの手紙は確かに受け取った。そしてインターゾーナル競技会の組織委員会は遺憾ながらあなたの要求に応じられないことをお伝えする。」それがすべてだった。フィッシャーの提案以外の何らかの方法で問題を解決しようとする提案もなかった。なぜ何もできないのか(またはしないのか)の説明もなかった。役員たちと当該競技者との「コミュニケーション」もなかった。
    10月27日金曜 問題はほったらかしのままだった。役員たちは何も行動せずフィッシャーの第8回戦と第9回戦は延期された。その結果フィッシャーは大会の対局条件についての自分の改善提案が無視されているためと第9回戦の不必要な延期のあと大会後半に6日連続対局を課せられる苦難のために大会を放棄しなければならないことを文書で大会委員長に通知した・・・
    [10月28日土曜日フィッシャーの時計が大会委員長によって開始され1時間後に不戦敗と宣告され対戦相手であるソ連のアリバルス・ギプスリスに1点が与えられた。これはだしぬけで規定上不当な手続きで、以降の交渉に不幸な結末をもたらすことになった。]
    10月29日日曜 ベルカディ氏がスースからチュニスに行きフィッシャーのホテルの部屋を訪ねた。長い議論[明らかにベルカディ氏はかたことの英語で]の末にフィッシャーはスースに戻り大会に復帰することに同意した。フィッシャーが6日連続対局する必要がないように1日か2日の休日を設けることをベルカディ氏が約束した後でフィッシャーは同意したのだった。ベルカディ氏は照明を改善するか[別の論争点だった]あるいはフィッシャーの試合を別室で行なうことも約束した・・・それからフィッシャーは大会に戻り第11回戦のレシェフスキー戦にちょうど間に合った。
    10月30日月曜 フィッシャーは延期されていた第8回戦のコルチノイとの試合を行ない引き分けた。
    10月31日火曜 全競技者によって第12回戦がスケジュールどおりに行なわれフィッシャーは[ロバート]バーンを負かした。成績は7勝3引き分けで、他に1局が延期されていてもう1局(ギプスリスとの)がまだ争いの元となっていた。彼の成績に最も近い者は既に2局余計に指していて8-4の成績で追っていた。
    11月1日水曜 ギプスリス戦が宙に浮いたまま残りの試合を指すのは確かに望ましくなかった。そこでフィッシャーは審判による裁定を求めた。
     米国チェス連盟がフィッシャーのために行なったいくつかの質問に審判員たちが全然回答しなかったので我々は非常に重要なことについてうわさに頼らざるを得ない。うわさではもしフィッシャー対ギプスリス戦が本当に行われることになればソ連は自国の4人の参加者全員をインターゾーナルから引き揚げると大会役員たちに通告したそうである。もしそのような脅しがたとえほのめかしにせよ行なわれたならば次に起こったことの説明がつく。
     チェコスロバキアのヤロスラフ・サイタルは大会後半戦の審判としてちょうど役目を始めていた。彼はフィッシャーにギプスリス戦の不戦敗は取り消せないと通知した。これを聞き、そして約束の休日がまだスケジュールに組み込まれていなかったのと照明の改善の約束が守られていなかったのを考慮してフィッシャーは二度目の大会放棄をした・・・

(この章続く)

2010年05月23日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(222)

第9章 スパスキーと奇才フィッシャー(続き)

 一部は米国からの長距離電話により、また一部はチュニスの米国大使館の介入でさらに交渉が行なわれた後でフィッシャーは嵐のような反感の喧伝(けんでん)のなか米国に帰国した(「チェス界はチェスの神童が怪物少年の世界チャンピオンに成長するのをなんとしても見たくないのだ」というのは新聞がフィッシャーについて描写していたことの一つの見本である)。それでも責任の全部ではないにしてもほとんどがチュニジアの大会役員にあるという米国チェス連盟の報告は説得力のある文章になっている。大会役員たちが事の収拾のためにもっともっと精力的に努力することができたはずなのは確かだった。彼らは実のところそのためにはほとんど何もせず、真意は何であれ難題を悪化させるために多くのことをした。またしてもフィッシャーの世界選手権の追求は激しい妨害で阻まれた。

 競技会自体はフィッシャー事件で味噌をつけられたがベント・ラルセンが15½-5½という成績で優勝した。ゲレル、グリゴリッチそれにコルチノイが14-7で同点2位で、ポルティッシュが13½-7½で単独5位だった。レオニド・シュテインはまたしても最後の進出権をかけて決定戦を戦うことになった。今度の相手はホルトとレシェフスキーで皆13-8の成績だった。決定戦は一ヵ月後にロサンゼルスで行なわれレシェフスキーが最後の席を射止めた。

 挑戦者決定番勝負の準々決勝の組み合わせはスパスキー(もちろんシードで)対ゲレル、タリ(同様に前回の挑戦者決定競技会での2位の結果によるシードで)対グリゴリッチ、コルチノイ対レシェフスキー、それにラルセン対ポルティッシュとなった。

(この章続く)

2010年05月24日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(223)

第9章 スパスキーと奇才フィッシャー(続き)

 スパスキー対ゲレル戦は4月2日から黒海に面するスフミで行なわれた。結果は予想どおり5½-2½でスパスキーの楽勝だった。スパスキーは黒番の4局を引き分け白番の4局のうち閉鎖シチリア防御の同じ戦法で3局を勝った(4局目は引き分け)。第6局が最も危なげなかった。

シチリア防御
白 スパスキー
黒 ゲレル

1.e4 c5 2.Nc3 d6 3.g3 Nc6 4.Bg2 g6 5.d3 Bg7 6.f4

6…Nf6(ゲレルは第8局でついにこの手を放棄し代わりに 6…e6 から 7…Nge7 を採用しかなり楽に引き分けた)7.Nf3 O-O 8.O-O Rb8

9.h3(スパスキーは第2局ではここで 9.Nh4 と指したが 9…Nd4 10.f5 b5 11.Bg5 b4 12.Nb1 Nd7 13.Nd2 Ne5

14.Kh1 a5 15.Rb1 a4 16.Nhf3 Nexf3 17.Nxf3 Nb5 18.Qd2 a3 19.bxa3 Nxa3

となって主導権は黒のものだった)9…b5 10.a3 a5 11.Be3 b4 12.axb4 axb4 13.Ne2 Bb7

14.b3(第4局でスパスキーはもっと正確に 14.Qd2 Ra8 15.Rab1 Qa5 16.b3 と指していたがここでもゲレルは 16…d5 と指していたら互角にできたかもしれなかった)14…Ra8 15.Rc1 Ra2 16.g4

16…Qa8?(16…e6! 17.f5? exf5 18.exf5 Re8 =/+)17.Qe1 Qa6 18.Qf2 Na7 19.f5 Nb5 20.fxg6

20…hxg6(20…fxg6!)21.Ng5 Na3 22.Qh4 Rc8 23.Rxf6! exf6 24.Qh7+ Kf8 25.Nxf7!

25…Rxc2(25…Kxf7 26.Bh6 Rg8 27.Nf4 Rxc2 28.Rf1 +/-)26.Bh6

26…Rxc1+(26…Rxe2 27.Qxg7+ Ke8 28.Ng5 fxg5 29.Bxg5 +-)27.Nxc1

27…Kxf7(27…Bxh6 28.Nxh6 Ke8 29.Ng8 Kf8 30.Ne7 以下詰む)28.Qxg7+ Ke8 29.g5 f5 30.Qxg6+ Kd7 31.Qf7+ Kc6 32.exf5+ 黒投了

(この章続く)

2010年05月25日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(224)

第9章 スパスキーと奇才フィッシャー(続き)

 タリ対グリゴリッチ戦は4月21日からベオグラードで始まった。タリが圧倒的な本命だったが初戦に勝って早くもリードを奪ったのはグリゴリッチで、それから4戦連続引き分けでリードを守った。第6局が転機だった。

ボゴインディアン防御
白 グリゴリッチ
黒 タリ

1.d4 Nf6 2.c4 e6 3.Nf3 Bb4+ 4.Bd2 a5

5.Nc3 O-O 6.e3 d6 7.Qc2 Nbd7 8.a3 Bxc3

9.Bxc3 Qe7 10.Be2 a4 11.O-O b6 12.Nd2 Bb7

13.e4? c5! 14.e5 Ne8 15.f4 cxd4 16.Bxd4 dxe5

17.fxe5 Nxe5! 18.Bxb6 Nd6 19.Bd4?(19.Qc3!)19…Nf5 20.Bxe5 Qc5+

21.Rf2 Qxe5 22.Nf3 Qc5 23.Qc3 Rfd8 24.Qb4 Qa7

25.c5 Rab8 26.Qc3 Rbc8 27.Rd1 Rxd1+ 28.Bxd1 Rxc5

29.Qb4 Bc6 30.Qf4 Rd5 31.Be2 h6 32.Ne5 Ba8

33.g4 g5 34.Qc4 Rxe5 黒投了

タリは次の3局で2½点をあげて5½-3½で番勝負を制した。

(この章続く)

2010年05月26日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(225)

第9章 スパスキーと奇才フィッシャー(続き)

 コルチノイ対レシェフスキー戦は5月7日からアムステルダムで行なわれ5½-2½でコルチノイが楽勝した。たぶん世界選手権戦への最後の登場となるレシェフスキーは不調で、1950年代にボトビニクと戦えなかったことを嘆くしかなかった。その頃なら世界選手権獲得も夢ではなかったはずだった。現実はタイトルに手の届くところまで来ていながら最後のところで敗退したケレスやブロンシュテインの仲間に加わることとなった。

 ラルセン対ポルティッシュ戦は予想どおり準々決勝の中で一番の激戦になった。番勝負は5月6日からユーゴスラビアのポレッチで始まり第1局は引き分けだった。それからラルセンが第2局と第3局を連勝しポルティッシュが第4局で勝った。そして2局引き分けが続きポルティッシュがまた勝った。第8局と第9局も引き分けだった。しかしポルティッシュは第9局の指しかけ時には勝てる局面だったのをふいにしたことに気持の整理がつかないまま第10局に臨みラルセンのあまり見かけない布局定跡に易々とはまって5½-4½で敗退した。それが次の第10局である。

ウィーン試合
白 ラルセン
黒 ポルティッシュ

1.e4 e5 2.Nc3 Nc6 3.Bc4 Nf6 4.d3 Na5 5.Nge2 Nxc4

6.dxc4 Be7 7.O-O d6 8.b3 O-O 9.Ng3 c6 10.Bb2 Qa5

11.Qe1 Qc7 12.a4 Be6 13.Rd1 a6 14.Qe2 Bg4 15.f3 Bd7

16.Kh1 Rab8 17.Nf5 Bxf5 18.exf5 Rfe8 19.Rd2 Rbd8 20.Rfd1 Nh5?

21.Ba3! Nf4 22.Qf2 Qa5? 23.Ne4 d5 24.Bxe7 Rxe7

25.Qh4! Red7 26.g3 Ne2 27.f6 Qb4 28.Qg4 黒投了

(この章続く)

2010年05月27日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(226)

第9章 スパスキーと奇才フィッシャー(続き)

 準決勝の組み合わせはタリ対コルチノイとスパスキー対ラルセンになった。そのうちの一方については専門家の間で事実上意見が一致していた。それはタリがコルチノイに対して勝ち目がない、あるいはせいぜいわずかな可能性しかないということだった。理由?タリのコルチノイに対するこれまでの対戦はコルチノイの9勝に対しタリはわずか1勝で他は9引き分けだった。要するにある強豪選手が別の強豪選手を無力化してしまえば・・・

 果たしてコルチノイが勝った。しかし成績は誰もが予想したよりはるかに僅差だった。最初の3局は引き分けだったがタリは第3局で簡単な勝ちを逃がしていた。しかしコルチノイが次の2局を連勝しタリの棋風を一見手玉にとっていることを証明しているようだった。それでも第6局は彼のもくろみを少なくとも一時的に頓挫させた。

カタロニアシステム
白 コルチノイ
黒 タリ

1.Nf3 Nf6 2.c4 e6 3.g3 d5 4.Bg2 Be7 5.O-O O-O 6.d4 dxc4 7.Qc2 a6

8.a4(8.Qxc4 b5 9.Qb3 Bb7 10.Rd1 Nbd7 11.Bg5 c5 12.dxc5 Qc7 13.Nbd2 Bxc5 =

8…Nc6(8…c5!)9.Qxc4(9.Rd1 Na5 10.Nbd2 b5 11.axb5 axb5 12.b3 +/=

9…Qd5 10.Nbd2 Rd8 11.e3 Qh5

12.e4!? Bd7 13.b3 b5 14.Qc3 bxa4 15.bxa4 Bb4 16.Qc2 Rac8

17.Nc4 +/= Be8 18.h3?(18.Bb2!)18…Rxd4!

19.g4?(19.Nxd4 Nxd4 20.Qd1 Qxd1 21.Rxd1 Ne2+ 22.Kh1 Nc3

形勢不明)19…Qc5 20.Nxd4 Nxd4 21.Qd3 Rd8

22.Bb2(22.Be3!)22…e5 23.Rfc1(23.Rfd1!)23…Qe7 24.Bxd4 Rxd4 25.Qg3 Qe6!

26.Qb3(26.Qxe5? Rxc4 27.Qxe6 Rxc1+)26…a5 27.Qc2 c5 28.Ne3 Bc6 29.Rd1 g6 30.f3 c4

31.Qe2(31.Rxd4 exd4 32.Nxc4 Bc3 33.Nb2 Nd7 -/+)31…Bc5 32.Kh1 c3 33.Nc2 Rxa4 34.Qd3

34…Bd4(34…Bb4!)35.f4 Rxa1 36.Rxa1 Bb6 37.Rb1 Bc5

38.f5(38.Qxc3! Nxe4 39.Rb8+ Kg7 40.Qxe5+ +/-)38…Qd7 39.Qxc3 Nxe4 40.Qxe5

40…Bd6(40…Nf2+! 41.Kh2 Bd6 42.Rb8+ Bxb8 43.Qxb8+ Qe8! -/+

41.Qxa5?(41.Rb8+ Bxb8 42.Qxb8+ Kg7 43.Qe5+ Nf6 44.Ne3

白が引き分けにできるかもしれない)41…Bc7 42.Qb4 Qd3 白投了

 この勝ちでタリが巻き返しそうに見えた。しかし残りの4局は激闘の末すべて引き分けに終わりコルチノイが5½-4½で番勝負に勝った。

(この章続く)>

2010年05月28日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(227)

第9章 スパスキーと奇才フィッシャー(続き)

 一方7月5日からスウェーデンのマルメで始まったラルセン対スパスキー戦は大接戦が予想されていた。しかし実際はスパスキーがのっけから3連勝し5½-2½で番勝負に勝った。第4局は引き分けで第5局はラルセンが勝ったが第6局の引き分けの後スパスキーが第7局に勝ち第8局を引き分けて挑戦者決定戦に進んだ。第3局が彼の一番の秀局だった。

シチリア防御
白 スパスキー
黒 ラルセン

1.e4 c5 2.Nc3 d6 3.g3 g6 4.Bg2 Bg7 5.d3 Nc6

6.f4 e6 7.Nf3 Nge7 8.O-O O-O 9.Bd2 Rb8 10.Rb1 b5

11.a3 a5 12.a4 b4 13.Nb5 d5 14.c4 bxc3e.p. 15.bxc3 c4

16.Be3 cxd3 17.e5 Ba6 18.Qxd3 Qd7 19.Rfd1 Rfc8 20.Qd2 Nf5

21.Bf2 h5 22.Bf1 Rd8 23.Bd3 Qe7 24.Qe2 Rb7 25.h3 h4

26.Nxh4 Nxh4 27.gxh4 Bh6 28.Bg3 Qc5+ 29.Kh2 Ne7 30.h5 Nf5

31.hxg6 fxg6 32.Bxf5 exf5 33.c4 d4 34.Nd6 Rxb1 35.Rxb1 d3

36.Qxd3 Bxf4 37.Qd5+ Qxd5 38.cxd5 Be3 39.Bh4 Bf4+ 40.Kg2 Bd3

41.Rb6 g5 42.Bg3 Bxg3 43.Kxg3 Bc2 44.Rb2 f4+ 45.Kg4 Bxa4 46.Kxg5 f3

47.Ne4 Kf8 48.Nf6 Bd1 49.Rb7 f2 50.e6 Rxd5+ 51.Kh6 Rh5+ 52.Kg6 黒投了

(この章続く)

2010年05月29日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(228)

第9章 スパスキーと奇才フィッシャー(続き)

 決勝戦のスパスキー対コルチノイは9月6日からキエフで始まった。どちらが勝つかの衆評は入り乱れていた。スパスキーがラルセンに危なげなく勝ったのでスパスキーがわずかに有利とする者が多かった。しかしコルチノイの長いチェスの経歴にはむらがありどんな予想も当てにならなかった。第1局は穏やかな引き分けだったが第2局はコルチノイが時間に追われてポカを指しスパスキーが勝った。第3局はコルチノイがずっと主導権を維持していたが引き分けに終わった。第4局はスパスキーがまた黒番で勝ち2点リードした。第5局は引き分けだったが第6局はスパスキーが後半での不注意な手で、今回の挑戦決定競技会で一番の会心局にできたのをふいにしコルチノイが勝った。明らかに第7局が山場だった。コルチノイがスパスキーの第6局の敗戦の落胆につけ込んで第7局で互角の成績に戻せるだろうか。まさしくこの種の不運な負けから立ち直ることができないことがスパスキーの長年の最大の欠点となっていた。

キング翼インディアン防御
白 スパスキー
黒 コルチノイ

1.d4 Nf6 2.c4 g6 3.Nc3 Bg7 4.e4 d6 5.f3 O-O 6.Be3 Nc6 7.Nge2 a6 8.Nc1 e5

9.d5 Nd4 10.Nb3 Nxb3 11.Qxb3 c5 12.dxc6e.p. bxc6 13.O-O-O

13…Be6(13…Qe7! 14.c5? d5! 15.exd5 cxd5 16.Nxd5 Nxd5 17.Qxd5 Rb8 =/+

または 13…Qe7! 14.Qb6 Bb7!)14.Qa3

14…Ne8(14…d5 15.cxd5 cxd5 16.exd5 Nxd5 17.Bc4 Rc8 18.Bxd5 Bxd5 19.Kb1 +/-

15.h4! f6?

16.c5! Rf7 17.Qa4 Qc7 18.Bc4 Bxc4 19.Qxc4 Bf8

20.h5! dxc5 21.hxg6 hxg6 22.Qe6

22…Rd8(22…Nd6 23.Bxc5 Nb5 24.Bxf8 Raxf8 25.Rh6 +/-

23.Rxd8 Qxd8 24.Rd1(24.Qxc6!)24…Qe7 25.Qxc6 Nc7 26.Qb6 Kg7 27.Nd5 Qe6

28.Bxc5 Bxc5 29.Qxc5 Nb5 30.Qe3 Qc6+ 31.Kb1 Nd4 32.Rc1 Qb5 33.Nc7 Qe2 34.Ne6+ Kh7 35.Qh6+ 黒投了

 スパスキーは次局にも勝ち2引き分けが続いて6½-3½でスパスキーが番勝負を制した。またしてもスパスキーがペトロシアンへの挑戦者になり、またしても世界のチェス愛好家の大多数の期待はスパスキーの方にあった。

(この章続く)

2010年05月30日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(229)

第9章 スパスキーと奇才フィッシャー(続き)

 世界選手権戦は1969年4月14日からモスクワのエストラーダ劇場で始まった。待望の番勝負にもかかわらずスパスキーは初戦でつまづいた。劣勢の収局で互角にするために奮闘して次の局面に到達した。

ここで 52.Ke3 Na4 53.Rh4 Nc3 54.Rb4 なら引き分けだったかもしれない。代わりにスパスキーは 52.Rh6+ と余計なチェックをかけ次のように負けた。52…Ke5 53.Rb6 Na4 54.Re6+ Kd4 55.Re4+ Kc5 56.Rxa4 Ra1 黒投了

(この章続く)>

2010年05月31日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(230)

第9章 スパスキーと奇才フィッシャー(続き)

 それから2局引き分けが続いた。第2局は黒番の挑戦者がクイーン翼ギャンビットに対して廃れたタラシュ防御を用いペトロシアンは成すすべがなかった。第4局もタラシュ防御になり今度はスパスキーが勝った(後で出てくる第18局の解説を参照されたい)。

 第5局もスパスキーが勝ちリードを奪った。

クイーン翼ギャンビット拒否
白 スパスキー
黒 ペトロシアン

1.c4 Nf6 2.Nc3 e6 3.Nf3 d5 4.d4 c5 5.cxd5 Nxd5

6.e4 Nxc3 7.bxc3 cxd4 8.cxd4 Bb4+ 9.Bd2 Bxd2+ 10.Qxd2 O-O 11.Bc4 Nc6 12.O-O b6

13.Rad1(1937年アリョーヒン対エーべの第18局は 13.Rfd1 Bb7 14.Qf4 Rc8 15.d5 exd5 16.Bxd5 = と進んだ。実戦のスパスキーの指した手はボトビニクの推奨した手だった)13…Bb7 14.Rfe1 Rc8(14…Na5!)15.d5

15…exd5(15…Na5 16.dxe6 Qxd2 17.exf7+ Kh8 18.Nxd2 Nxc4 19.Nxc4 Rxc4

20.e5 Bc8 21.e6 Bxe6 22.Rxe6 g6 23.Re7 Ra4 =

-コルチノイの研究)16.Bxd5 Na5(16…Qe7!)17.Qf4 Qc7 18.Qf5 Bxd5?! 19.exd5 Qc2 20.Qf4 Qxa2

21.d6 Rcd8 22.d7 Qc4 23.Qf5 h6 24.Rc1 Qa6 25.Rc7 b5 26.Nd4 Qb6 27.Rc8

27…Nb7(27…Qxd4 28.Rxd8 +- または 27…a6 28.Re8 Qxd4 29.Rxf8+ Rxf8 30.Rxf8+ Kxf8 31.Qc5+ +-

28.Nc6 Nd6 29.Nxd8 Nxf5 30.Nc6 黒投了

(この章続く)

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チェス世界選手権争奪史(231)

第9章 スパスキーと奇才フィッシャー(続き)

 さらに2局引き分けが続いた後スパスキーが第8局に勝って2点差をつけた。しかし奮起したペトロシアンは第10局と第11局に連勝し成績を互角に戻した。それから5局引き分けが続き緊張が着実に高まっていった。ペトロシアンの方がはるかに強い精神力で知られていたので(彼の粘液質の気質が主たる長所だと考える者もいた)こういった状況になればはペトロシアンが有利だとほとんどの人がみなした。しかし第17局でつまづいたのはチャンピオンの方でスパスキーはきわめて重要な勝利をあげた。

シチリア防御
白 スパスキー
黒 ペトロシアン

1.e4 c5 2.Nf3 e6 3.d4 cxd4 4.Nxd4 a6 5.Bd3 Nc6

6.Nxc6 bxc6 7.O-O d5 8.Nd2 Nf6 9.b3 Bb4 10.Bb2 a5

11.c3 Be7 12.c4 O-O 13.Qc2 h6 14.a3 Ba6 15.Rfe1 Qb6

16.exd5 cxd5 17.cxd5 Bxd3 18.Qxd3 Rfd8 19.Nc4 Qa6 20.Qf3 Rxd5

21.Rad1 Rf5 22.Qg3 Rg5 23.Qc7 Re8 24.Bxf6 gxf6 25.Rd7 Rc8

26.Qb7 Qxb7 27.Rxb7 Kf8 28.a4 Bb4 29.Re3 Rd8 30.g3 Rd1+

31.Kg2 Rc5 32.Rf3 f5 33.g4 Rd4 34.gxf5 exf5 35.Rb8+ Ke7

36.Re3+ Kf6 37.Rb6+ Kg7 38.Rg3+ Kf8 39.Rb8+ Ke7 40.Re3+ Kf6 41.Rb6+ Kg7 42.Rg3+ Kf8 43.Rxh6 f4

44.Rgh3 Kg7 45.R6h5 f3+ 46.Kg3 Rxh5 47.Rxh5 Rd3 48.Nxa6 Kg6

49.Rb5 Bxa5 50.Rxa5 Rxb3 51.Ra8 Ra3 52.a5 Kf5 53.a6 Kg6

54.a7 Kg7 55.h4 Kh7 56.h5 Kg7 57.h6+ Kh7 58.Kf4 黒投了

(この章続く)

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チェス世界選手権争奪史(232)

第9章 スパスキーと奇才フィッシャー(続き)

 1点差をつけられ残り局数が少なくなっていくなかペトロシアンは第18局で攻撃的に指すことを余儀なくされた。しかし彼は挑戦者の秘密兵器となった鉄壁を誇るタラシュ防御にまたしても直面した。

クイーン翼ギャンビット
白 ペトロシアン
黒 スパスキー

1.c4 e6 2.d4 d5 3.Nc3 c5

 これがタラシュ防御である。創始者はこれを誇張気味に推薦し「クイーン翼ギャンビットに対する唯一の正しい防御」と呼んだ。この防御が正当かどうかは孤立dポーンについての古くからの質問に対する答えにかかっている。その質問とは「このポーンの持つ実戦的な活動の可能性は本質的な弱点をしのぐか」ということであり、答えは「そうなることもある」である。

4.cxd5 exd5 5.Nf3 Nc6 6.g3

 そしてこれがルビーンシュタイン戦法である。この戦型は約50年の間タラシュ防御を失業させていた。

6…Nf6 7.Bg2 Be7 8.O-O O-O 9.Bg5

 この手は長い間この局面での最強手と考えられてきた。代わりの 9.Bf4 と 9.dxc5 は白にほとんど優勢をもたらしそうにない。

9…cxd4!

 スパスキーは1957年第24回全ソ連選手権のコルチノイ戦で相手にこの手を指された。第16局では 9…Be6 10.dxc5 Bxc5 11.Bxf6 Qxf6 12.Nxd5 Qxb2 13.Nc7 Rad8 14.Qc1! Qxc1 15.Raxc1

と進み白がまだ少し優勢だった。

10.Nxd4 h6! 11.Be3

11…Re8!

 第12局の 11…Bg4 は少し正確さが欠けていて 12.Qa4! Na5 13.Rad1 Nc4 14.Bc1 Qc8 15.Qc2 Rd8 16.b3

となって白が優勢だった。

12.Rc1 Bf8 13.Nb3 Be6 14.Nb5

 このナイトはd4の地点を目指している。この地点はもう黒ポーンが支配することができないので黒陣の弱点の一つを強調することになる。しかしこの局面で白が優勢とはとても言えないかもしれない。それどころかまったく正反対である。

14…Bg4 15.h3 Bf5 16.N5d4 Nxd4 17.Nxd4 Bd7 18.Qb3 Qa5

 駒の働きが優っているので黒が少し優勢である。

19.a3 Bd6 20.Qd3 Qd8 21.Rfd1 Qe7

22.Bd2

 この手は 22…Bxg3 の狙いに備えている。

22…Ne4 23.Be1 Be5 24.Qb3 Bxd4 25.Rxd4 Bc6 26.h4 Qe5

27.Qe3

 27.e3 と受けた方が少し良かっただろう。

27…Qf6 28.Bxe4 Rxe4 29.Rxe4 dxe4 30.Bc3 Qf5

 黒が少し優勢だが勝てるほどではない。残りの手順は次のとおりである。31.Rd1 Re8 32.Rd6 f6 33.Rd4 a6 34.Kh2 Qg4 35.a4 Kf7

36.Kg1 Re5 37.Rd6 Rf5 38.b3 Qh3 39.Be1 Qg4 40.Bc3 Qh3

41.Bd4 h5 42.Bc3 Kg8 43.Rd8+ Kh7 44.Rd6 Qg4 45.a5 Qg6

46.b4 Qf7 47.Bd4 Qc4 48.Bc5 Re5 49.Bd4 Rf5 50.Bc5 Qc2

51.Qd2 Qb3 52.Qd1 Qb2 53.Qd2 Qa1+ 54.Qd1 Qe5 55.Qd4 Qe8

56.Qc4 Bb5 57.Qe6 Qxe6 58.Rxe6 Rd5 59.Rd6 引き分け

(この章続く)

2010年06月03日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(233)

第9章 スパスキーと奇才フィッシャー(続き)

 ペトロシアンのdポーン布局に対して黒で互角の局面にするスパスキーの能力は今回の番勝負における彼の勝利に極めて重要だった。

 第19局はスパスキーが勝ったが第20局はペトロシアンが勝って1点差に戻した。第21局が始まったとき明らかにスパスキーがリードをふいにしてしまう可能性はまだ十分あった。しかし・・・

ルイロペス
白 スパスキー
黒 ペトロシアン

1.e4 e5 2.Nf3 Nc6 3.Bb5 a6 4.Ba4 Nf6 5.O-O Be7 6.Re1 b5 7.Bb3 O-O 8.c3 d6

9.h3 Nd7 10.d4 Bf6 11.Be3 Na5 12.Bc2 Nc4 13.Bc1 Bb7

14.b3 Ncb6 15.Be3 Re8 16.d5 Rc8 17.Nbd2 c6 18.c4 cxd5

19.cxd5 Qc7 20.Rc1 Qb8 21.a4 Nc5 22.axb5 axb5 23.Ra1 b4

24.Qe2 Nbd7 25.Bd3 Nxd3 26.Qxd3 Ba8 27.Nc4 Nc5 28.Bxc5 Rxc5

29.Ra4 h6 30.Qd2 Be7 31.Rea1 Bb7 32.Qxb4 f5 33.Ra7 Rc7

34.exf5 Qc8 35.Ne3 e4 36.Nd4 Bf6 37.Rf1 Ba6 38.Rxc7 Qxc7

39.Qa4 Ra8 40.Rd1 Qb8 41.Nc6 Qb7 42.Qxe4 Qxb3 43.Re1 Bc3

44.Rb1 Qa2 45.Nb4 Qa4 46.Qe6+ Kh8 47.Qxd6 Be2 48.Nc6 Qa2

49.Rb8+ Rxb8 50.Qxb8+ Kh7 51.Qg3 Bh5 52.Kh2 Be1 53.f6 黒投了

 今やタイトルが移動することがほとんど確実だった。第22局と第23局は順当な引き分けでボリス・バシリエビッチ・スパスキーが新しい世界チャンピオンになった。しかしどのくらい長く続くのだろうか。

(この章続く)

2010年06月04日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(234)

第9章 スパスキーと奇才フィッシャー(続き)

 米国チャンピオンのロバート・ジェームズ・フィッシャーがパルマ・デ・マリョルカで開催されるインターゾーナルに向かったとき退役空軍大佐のエド・エドモンドソンに伴われていた。大佐は何年か米国チェス連盟の専務理事を務めていたことがあった。今回の役目は難役になることが確実だったが盤外の問題に対処しフィッシャーが盤上の問題に彼の時間のすべてを注ぎ込めることを保障するためだった。要するにスースで起こったような破局にまた陥ることを避けるためだった。エドモンドソン大佐はフィッシャーが実際に自分の任務を果たしたのとほとんど同じくらい見事に自分の任務を立派に果たした。そう声高に言えるのはフィッシャーが18½-4½の成績で2位に3½(!)点差をつけて優勝したからだった。唯一の負けはベント・ラルセン戦だった。特筆すべきは最後を6連勝で締めくくったことである(最終戦で棄権したアルゼンチンのパンノを数えない)。フィッシャーの最も華々しい勝利は次に示すアルゼンチンのルビネッティ戦だった。

シチリア防御
白 フィッシャー
黒 ルビネッティ

1.e4 c5 2.Nf3 d6 3.d4 cxd4 4.Nxd4 Nf6 5.Nc3 e6 6.Bc4 a6

7.Bb3 b5 8.O-O Bb7 9.Re1 Nbd7 10.Bg5 h6 11.Bh4 Nc5?

12.Bd5! exd5 13.exd5+ Kd7 14.b4 Na4 15.Nxa4 bxa4

16.c4 Kc8 17.Qxa4 Qd7 18.Qb3 g5 19.Bg3 Nh5

20.c5! dxc5 21.bxc5 Qxd5 22.Re8+ Kd7 23.Qa4+ Bc6 24.Nxc6 黒投了

(この章続く)

2010年06月05日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(235)

第9章 スパスキーと奇才フィッシャー(続き)

 15-8の成績で同点2位になったのはラルセン、ゲレルそれに西ドイツから来た22歳で無名のローベルト・ヒューブナーだった。そして同点で最後の二つの本戦進出権を獲得したのはソ連のGMマルク・タイマノフと東ドイツのボルフガング・ウールマンだった。以上の6人にペトロシアンとコルチノイが加わって準々決勝の組み合わせが抽選で次のように決まった。ペトロシアン対ヒューブナー、ラルセン対ウールマン、コルチノイ対ゲレル、そしてフィッシャー対タイマノフ。

 ペトロシアン対ヒューブナー戦はスペインのセビリアで行われ多くの注目を集めた。誰もヒューブナーについてよく知らなかった。インターゾーナルでの彼の活躍は誰にもまったく意外だった。彼はそれまでチェスの国際大会で注目されるような成績をあげたことがなかった。それでも前世界チャンピオンにとってさえ一筋縄ではいかない相手であることが明らかになり最初の6局は引き分けだった。そしてペトロシアンが突破口を開き第7局に勝った。この後ヒューブナーが耐え難い対局環境、具体的には熱狂的なスペインの観戦者の大きな騒音に抗議して対局を放棄した。公平な報道によればヒューブナーの不満にももっともなところがあり、他の開催地からの正に衝撃的なニュースがなければこの件ははるかにもっと注目を浴びていたはずだった。

 一応記せばそれはラルセンがウールマンを5½-3½で破ったカナリア諸島からでもなければコルチノイがゲレルを5½-2½で片付けたモスクワからでもなかった。両方の勝者とも本命視されていたし彼らの勝ちっぷりもある程度いつもどおりだった。大見出しはすべてブリティッシュコロンビアのバンクーバーで作られていた。その地でフィッシャー対タイマノフ戦が1971年5月16日から始まっていた。

(この章続く)

2010年06月06日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(236)

第9章 スパスキーと奇才フィッシャー(続き)

 タイマノフ(1926年生まれ)はこの20年の間ソ連の最強選手の一人だったが世界選手権戦の舞台への登場はこれが初めてだった。彼がフィッシャー相手に番勝負に勝つ可能性はほとんどないと誰もが考えていたが、それと同じくらい実際に起こったことを予想してもいなかった。第1局はタイマノフが序盤で緩手を指してフィッシャーが勝った。第2局もフィッシャーが大優勢だったが不正確な着手で雲散霧消してしまった。そして次の局面になって

タイマノフ(黒)は 81…Kd6 で簡単に引き分けにできていた。それほど簡単なので記者として現場に居合わせていたコトフは「子供でもこんな収局は引き分けにできる」と評したと言われている。しかしタイマノフは 81…Ke4?? と指し次のように負けた。82.Bc8 Kf4 83.h4 Nf3 84.h5 Ng5 85.Bf5 Nf3 86.h6 Ng5 87.Kg6 Nf3 88.h7 Ne5+ 89.Kf6 黒投了

(この章続く)

2010年06月07日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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チェス世界選手権争奪史(237)

第9章 スパスキーと奇才フィッシャー(続き)

 第3局でタイマノフは明らかに第2局の影響を引きずっていてずるずると負けを重ねた。

キング翼インディアン防御
白 タイマノフ
黒 フィッシャー

1.d4 Nf6 2.c4 g6 3.Nc3 Bg7 4.e4 d6 5.Nf3

 これはタイマノフの長年にわたる愛用の手である。彼はキング翼インディアン定跡に白でも黒でも大きく貢献してきた。

5…O-O 6.Be2 e5 7.O-O Nc6 8.d5 Ne7

9.Bd2

 これはほとんど知られていない手である。明らかにタイマノフはこの番勝負のために研究してきた。9.Ne1 と比較的最近の 9.Nd2 は数多く指されている。

9…Ne8 10.Rc1 f5

11.Qb3

 第1局でタイマノフは 11.exf5 gxf5 12.Ng5? と指した。しかし 12…h6 13.Ne6 Bxe6 14.dxe6 Qc8 15.Qb3 c6 16.Bh5 Qxe6

となって代償がなく単なるポーン損だった。

11…b6 12.exf5 gxf5 13.Ng5

13…Nf6

 13…h6 は 14.Ne6 Bxe6 15.dxe6 Qc8 16.c5 bxc5 17.Bh5 Kh8 18.Bf7

となって白がうまい。

14.f4 h6

15.fxe5

 この手よりも 15.Ne6 Bxe6 16.dxe6 c6 17.Qa3!

の方が良く白の圧力が強かった。

15…dxe5 16.c5 Nfxd5 17.Nxd5 Nxd5 18.cxb6 axb6 19.Rc6

 この手は …c6 を妨げて 20.Bc4 を狙っている。

19…Kh8 20.Nf3?

 ここは 20.Ne6 または 20.Qh3(フィッシャーの推奨)の方がずっと良かった。実戦の手のあと主導権は黒に移った。

20…Bb7 21.Rg6 Nf4!

 これで黒が勝勢である。

22.Bxf4 exf4 23.Rd1 Qe7 24.Re6 Qc5+ 25.Kf1 Rfd8 26.Rxd8+ Rxd8

27.Qa4 Qc1+ 28.Kf2 Bf8 29.b4 Be4 30.Re8 Bc6 31.Qxc6 Qxc6

32.Rxd8 Qf6 33.Rc8 Qe7 34.Kf1 Kh7 35.Nd4 Bg7 36.Nb5 Be5

37.a3 Qd7 38.Ra8 f3 39.gxf3 Bxh2 40.Kg2 Qg7+ 41.Kxh2 Qe5+ 白投了

(この章続く)

2010年06月08日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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